見出し画像

岸本佐知子編『楽しい夜』を読んだ

最近読んだ『楽しい夜』っていう短編集が良かったので備忘録。


群像に掲載された主にアメリカ人作家の作品をまとめた海外小説集で、夜をテーマにしているわけじゃないけれど、朝よりも特別な暗い夜と、でも、朝が来てしまうのはわかっている諦めに似た許しみたいな雰囲気の作風が多かった。
全体的に90年代アメリカ映画っぽい作品が集まっている気がする。

一作ずつの感想。

・マリー=ヘレン・ベルティーノ「ノース・オブ」
兄のイラク派兵を翌日に控えた感謝祭の日、数年ぶりに故郷の田舎に帰省した女性の話。

コンプレックスを抱えながら燻る兄と都会に出た妹の情愛はあるのに埋まらない溝や、それに気づかないよう子どもたちが幼い頃からの慣習に拘る母の生々しい虚しさがあるんだけど、なぜか語り手が帰省の際に一緒に連れてきたのが、ボブ・ディラン。
ノーベル文学賞まで獲ったあのディラン本人。

ディランは「ああ、ボブ・ディランっぽいな」という振る舞いをするだけでひとことも台詞がない。
現実味のないディランと、それより感謝祭の食事の買い出しのが気がかりな町の住民たちの、善良だけど発展のない田舎の時が止まったような雰囲気が漂っていた。
スターの突然の来訪くらいじゃ何の修復もできない兄妹の隔意や、先の見えない人生の暗さが際立つ。

本当にいるのかも怪しいディランと対照的に、兄妹の溝を決定的にした、今は取り壊された野球場でのナイターで起こった事件の思い出は鮮明。

いい家族小説なんだけど、ボブ・ディラン夢小説でもあるような、不思議な小説だった。


・ルシア・ベルリン「火事」
これを目当てで読んだ。
語り手の女性がメキシコに移住した死期の近い妹に会うため、到着した空港で火事が起こる。

畳み掛けるようだけど文章で、妹との記憶とメキシコの風景が混ざって、火事の騒がしさで更に混線し、たったひとりの妹の死から必死で逃げているような忙しさ。
描写される景色も思い出も、どこか熱と不潔な匂いを含んだものばかりで、すごく短いけど生と火災の熱気を感じる小説。


・ミランダ・ジュライ「ロイ・スパイヴィ」
飛行機で偶然有名俳優と隣席になった女性の話。

ハーレクイン小説やドラマのような恋愛は始まらない。
それ以上に、自分だけじゃなくあのスターにとってもこの出会いは特別だったんじゃないかという、滑稽だとわかってる希望だけ植えつけられる、一瞬の触れ合いの密度があった。

別の収録作で有名人が現れる「ノース・オブ」と少し重なる。
こっちはスターにとって本当に自分が特別だったと思えるようになった頃には、もう自分の凡庸さを許容できるくらい大人になって、結局日常で思い出す一瞬の煌めき程度になっている手遅れな雰囲気が良かった。


・ジョージ・ソーンダーズ「赤いリボン」
狂犬病の犬のせいで娘を失った男性が、悲劇の再発を防ぐために始めた活動が、村の獣から人間まで脅かす熱狂に加速する。

娘を悼む家族の純粋な思いがプロパガンダに変わる様を天国の娘も喜ぶはずと占める悍ましさと、それに至るのも納得できてしまう悲しみの両面が描かれていた。

娘の死への混乱に満ちたような改行が多く散らかった文章が、狂犬病対策への集会のときだけ不自然なほど整然とする。
悲しみを怒りと大義に変えなければ生きられない人間の哀しさと気色悪さがあった。
現代への暗示にも思えるし、ビートニク作家の書いたカミュのペストという感じもする。


・アリッサ・ナッティング「アリの巣」、「亡骸スモーカー」
この作家だけ二作掲載されてる。
それぞれ、人間が一人一種の動物を体に住ませるようになった近未来で、自身の骨の中に蟻を飼う美女の話と、故人の髪を吸うと生前の記憶が読める葬儀屋に想いを知らせるため自分の髪を吸わせる女性の話。

題材は珍しくて好きなんだけど、帰着点は男女の相互不理解を受け入れつつ理解し合うような、小さな部分に向かっていって、逆に文章が抽象的になっていくのが、「そこなんだ…….」という感じで、個人的にはあまりハマらなかったなと思った。


・ブレット・ロットの「家族」
夫婦喧嘩中に消えた子どもを探す夫と妻を襲う悪夢のような話。

あり得ないことが起こるんだけど、子どもを探して回る家中の小物やその思い出全てを仔細に描写するのでとても現実的。
契約で繋がっている他人どうしの夫婦、血が繋がっているだけで別の人間の親子。家族という幻想を叩き壊すような寒々しい本質があるように思えた。
エドワード・ゴーリーの絵本うろんな客を思い出した。

・ジェームズ・ソルター「楽しい夜」
表題作。

様々な人生を抱えた女友だち三人の会話が戯曲のように続いていって、終盤戯曲から映画に変わったように場面転換し、旧友たちとの楽しい夜には言えなかった真実を他人が聞いて締める。

いろいろな可能性や疑念を含んだまま、あれほど近くにいた友人だからこそ言えない真実を、赤の他人に告げるためにこの文体だったのかと思った。
見えない未来から逃げるように言葉を重ねて、飲酒して、踊るけど必ず朝が来てしまう残酷さがすごくよかった小説だった。


・デイヴ・エガーズ「テオ」
村で長い間眠っていた二人の男女の巨人の後に目覚めた小さな巨人の男の話。

雄大な自然を巨人のスケールで描きながら、三角関係に打ち負かされた内気な青年の抽象になっているのが
、ラテン・アメリカ文学っぽいなと思った。


・エレン・クレイジャズ「三角形」
怖い。下手なホラーより怖い小説だった。
学会発表を終えた大学教授の男性が、喧嘩と言えない裏切りをしてしまった同じく教授の古道具好きな同性パートナーに、ナチスの収容所のワッペンに送ったことから始まる話。

知的で愛情深くて血の通った溢れるひとりの人間が、時代が変わればゴミのように殺されていた寒々しい恐怖。
ドイツ軍マニアの老人から買ったワッペンひとつが起こす怪奇現象が、どこで歯車が狂ったか原因を求めようのない理不尽さを出す。

ひとをひととも思わない迫害の再現にも、自分の裏切りや軽率さへの因果のようにも見てて、その両方が迫る。
差別ってこういうことだよなんて説教ではなく、淡々と事実を書く冷たさがめちゃくちゃ怖い。これが掲載作のラストじゃなくてよかった。もしそうだったら読後しばらく放心状態だよ。


・ラモーナ・オースベル「安全航海」
人生を終えたはずの老女たちが、巨大な船に乗せられて海を漂う話。

誰かの祖母である老婆たちはみんな、大雑把に牧歌的に現状を受け入れながら、別々の人生を回想しつつ、最期までのときを少しの不安と寂しさを抱えつつ、静かに楽しみまくる。
大往生という言葉が似合うような、次に新しい生が待っているか今の人生に満足したような、明るい死の受容の物語だった。

どれも誰もが知る有名作家というわけではないけれど、雰囲気あるいい小説が一気に読める短編集だった。
特に好きだったのはノース・オブ、ロイ・スパイヴィ、楽しい夜あたり。

他にも訳者の岸本さんの「変な愛」をテーマにした短編集『変愛小説』が二作出ているそうで、それも読みたい。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,460件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?