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人間の成分


好きなマンガの1つに、「鋼の錬金術師」があります。そう、ハガレンですね。本田翼も好きだと言ってました。やったね。

ざっくりあらすじを言うと、主人公のエドワード兄弟が「錬金術」を駆使して世界と戦っていく物語です。ざっくりですね。

エドワード兄弟は小さい頃に母親を亡くしていて、物語の序盤、2人はその世界で禁忌とされている「人体錬成」で母親をこの世に「錬成」しようとします。そのシーンで、こんなセリフがあります。


「水35L、炭素20㎏、アンモニア4L、石灰1.5㎏、リン800g、塩分250g、硝石100g、イオウ80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g、その他少量の15の元素・・・大人一人分として計算した場合の人体の構成成分だ」


加えて、その個人の「遺伝子の情報」も必要と主人公のエドワード・エルリックは言っていますが、人間を構成する成分???そんなのあるの???と当時高校生ながら衝撃を受けたのを覚えています。


でもよく考えてみると、「人間の成分」って表現は面白いなと。

人間だれしも、「自分って何なんだろう」と人生のどこかで思ったことがあると思います。自分を自分たらしめてるものは何なんだろう、と。思春期によく抱える想いですね。でも私はこの想いを今なお抱き続けています。

ちなみに教育心理学の権威であるエリクソンは、青年期の課題をアイデンティティの形成、と捉えています。エリクソンのいう青年期は13歳~19歳らしいので、私は23歳の今もなお、その課題をクリアしてないことになりますね。くやしい。


では、青年期の課題、アイデンティティの形成をクリアした人々は「自分」というものをどれくらい理解しているのでしょうか。もっと言うと、人間は「自分という人間の成分」をどれくらい理解できるのでしょうか。

もちろん「水が35L・・」のように物質的な話ではないのですが、少なくとも私は、死ぬまで自分を理解できる気はしないのです。自分がどんな性格なのか、コミュニケーション能力はどれくらいか、文章を書く能力はどれくらいか・・・もちろん、「だいたいの把握」はできますが、「理解」に辿り着くことはないでしょう。だって、環境や年齢によって性格や能力のチャートは日々変化するし、そもそも人間という生き物がまず解明されてないのだから。

そういえば最近、「『人間とは何か』はすべて脳が教えてくれる(著:カーヤ・ノーデンゲン)」という本を買いましたが、ちょっと難しくて全部読めてません。


現在私は、とある教職大学院に所属しています。平たくいうと、教育に特化した大学院です。新型コロナウイルスによりテレワークや遠隔授業が進んでいる今、文科省のGIGAスクール構想(1人1台タブレット)も追い風となって学校の形は急速に変化していくと考えられます。確実に子どもたちの学習セットに、タブレット型端末が加わります。

それらを効果的に使うことも重要ですが、もっと重要なのは目の前の子どもたちを理解しようと努力することだと思っています。「教育」は、確実に人間の構成成分に影響を与えるものです。自分が何者か分かっていない人間が、1年後そのような仕事に就くのは不安ですが、だからこそ未知の楽しみもあると思っています。


教育というとお堅い、凝り固まったイメージになっちゃいますね。いやだいやだ。

そういえばハガレンの主人公兄弟の弟、アルフォンス・エルリックは、母親の人体錬成に失敗して身体を全部「持っていかれ」、鎧に魂が付着した形で生きています。鎧の身体で生きている彼は、果たして「人間」なのでしょうか??こう考えるとそもそも人間の定義から揺るがしてくる深いマンガですね。

まあこんな感じなので、私はまだしばらく青年期の課題にヒイコラ言い続けてるでしょうね。それを楽しんでる自分もいますが。自分を構成する成分を集めていって、そのうち何かがぼんやりと見えてくることを願います。


最後までお読みいただきありがとうございました!🤖

2020.4.26 



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