「クロワッサン」
りんご箱をDIYして、趣味の珈琲のサイフォンやら豆やらが並んだ
棚を見つめながら、入れ立てのカフェラテの香りに包まれて、
モーニングルーティーンを気持ち良く熟す彼だった。
売り出し中のモデルルームの様な部屋で満たされた朝。
渦巻き型のクロワッサンとミルで引き立てのカフェ。
一人だけの時間に思い切り囲まれる幸福だった。
クロワッサンの渦巻きを見つめていると、ふっと目眩に襲われ
気を失った感じを覚えた。が直ぐに普通に戻り、辺りを見渡すと
そこは、自分の部屋では無くなっていた。
どこか見覚えのあるでも住んだ事のない街。
しかも朝ではなく夕暮れ時のようだ。
いつか映画で観たモンパルナスか?
客引きの男達が数人立っている。
そう女ではなく男達。
ジェンダーレスが一番早く大道を走ったのがこの辺りか。
しまった。
一人の男と目が合ってしまう。
男はとびきりの笑顔だ、良く見ると女にも見える。
片言の日本語で話しかけて来た。
「どこから来たの?」
その声の優しさといきなり知らない場所に置かれて、
ふっと心が緩んだ。誰でも良い、縋りたい泣きたい思いに駆られる。
うっかり客引きかもしれない男に笑顔を返してしまった。
男は手招きをする。
彼に着いて行く事しか出来ないのだった。彼女かもしれないが。
とぼとぼ後を歩いて行くと、その横をモデリィアーニが酒瓶を持ち、飲んだくれて歩いて行く。
ここは時代的に1920年代か?
「そういえば君の名前は?」
「ジャンヌよ」
女性なのか?モディリアーニの妻ではないだろうが。
会ったことないし。
「カフェに行かない?」
「いいけど、僕は日本人なんです。日本に帰りたいのです」
涙目で言った。
「あら、それは簡単よ。ここに来た時と同じ事をすれば良いの」
「じゃ、クロワッサンを売ってる店を教えてください」
やっとの事でパン屋にたどり着くと、店主は
「クロワッサンが渦巻きの訳は無いだろう。三日月に決まってるさ」
むっとして言う。
まあ、クロワッサンなら良いだろう。
じっと見つめてみた。
目眩はしなかったがゆらゆらと天にも昇る気持ちで、
三日月のブランコに揺られた気分になり気を失った。
再び目が覚めると自分の部屋にいつもの朝と同じく座っていた。
ひとつ違っていたのは、あの男、いやあのジャンヌの顔になっていた事だ。
やはり渦巻きのクロワッサンでないと妙な事になるのか。
もう一度、渦巻き型のクロワッサンを見つめてみた。
また気を失い、モンパルナスの夕暮れの中に自分の顔で立っていた。
ジャンヌがまた微笑みかけて来た。
これはいったい・・・。
自分とジャンヌは時空の乱れで、バリエガータの葉のように
一体型の人間になったのか。
こうして毎朝、彼はモンパルナスに行き、戻ると
ジャンヌの顔になるという朝を繰り返す終わり無き日々となっている。
Fin
オリジナルストーリーNo.16
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