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「インプロビゼーション」

朝からそわそわと緊張していた。
久しぶりに後輩に夜のクラブへ誘われたのだ。
以前は良く出かけたものだが、彼が居なくなって
インドア派になりつつあった。
久しぶりに鏡に向かってマスカラをつけ、微笑んでみる。
老けたかな、いやまだまだ行けるかな。
ドレスは少し派手目のパープルのサテン地にゴールドオーガンジーの網のかかるアシンメトリーの長めスカートにした。
家から駅まで歩くと目立つ格好なので、現地までタクシーを呼んだ。
そこは、古民家を改造したアールヌーボーの古い洋館で雰囲気がある。
誘ってくれた後輩は先に到着していて、もう誰かと会話している。
結構格好良い人じゃない。抜け目ないわ。
会場が薄暗くなり、キャンドルの灯りに変わる。
生演奏のバンドが曲を奏でる粋なクラブ。
ジンライムを手に最初は演奏を楽しんでいたが、ひとりの男性が
声をかけて来て、意気投合して少し踊った。
楽しい。久しぶりの感情が爆発してる。
きっと高揚感てこんなだったわ。
後輩もさっきの彼と楽しんでいる様子だった。
締めのリベルタンゴが演奏されて、バンドネオンの見事な演奏に
知り合った彼と拍手を送った。
夜の時間は過ぎるのが早く、蛍の光の曲と共に、
キャンドルの明かりがひとつまたひとつと消えて上品に終わりを
促すのだった。
今夜楽しませてくれた彼はとても良い人だったし、お礼を言って
帰ろうとしたが、
「もう一軒いきませんか?良いバーを知ってるんですよ」
どうしよう、困ったな。でもたまには良いかな。
その時だった。
幕の閉まったその中から、コントラバスのハーモニクスが響いた。
え、彼なの。
聞き慣れた、両手で弦を押さえるこの音の出し方、彼が得意としていた。
大好きな音が何回も響くのだった。
あの時、天に昇るけむりと共に見送ったはずなのに、直ぐ側にいたのね。

                            Fin
オリジナルストーリーNo.5
ストーリーBy kiora

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