見出し画像

「ブルシット・ジョブ」について。読書メモ含む。

以前、デイビッド・グレーバーの大著「ブルシット・ジョブ」を読んだ。長編すぎて読むのが大変だった記憶もあるのだが、気になったことや参考にしたものについてメモしていたので、それを振り返りながらブルシット・ジョブについて考えてみる。

その前に「働く」ということについて、思っていることを整理してみる。

・嫌な仕事は本当にしたくない、理想はゼロ、当面の目標は1日1時間以内
・くつろいだり、本を読んだり、飲んだり、ヨガ、サウナ、を優先したい
・やりたいという衝動で行う活動はそれが、お金を稼ぐものであっても、無償のものであっても、やりたいのだからここで言う仕事とは違う。余暇。
・この仕事意味ないな。と自分で思う仕事は絶対やりたくない。
・「はたらかないで、たらふく食べたい」著者:栗原康さん。最近とても好き。

幸いにも会社勤めという立場ではないので、自分次第でこういった環境を整えられる状況でもあるので、それを目指しながら日々生きていこうかと思う。

さて、そんな振り返りをした上で、ブルシット・ジョブについて。

本書のプロローグではこんな言葉から始まる。

豊かな国の大半では、数世紀ぶりに、若い世代が自分の親よりも貧しい生活の将来像しか展望できなくなっている。

残念ながら、そうだと思う。
ケインズが「孫の時代の経済可能性」で100年後(2030年頃)を予測して、その頃には、週の労働時間は15時間ぐらいで、余暇を持て余して、余暇の過ごし方で悩んでいるだろう、という予想をしたのとはだいぶ違う状況だ。

ただ、テクノロジーに関してはケインズの予測以上に進化しているだろうし、実際問題、週15時間労働で行けるのではないか、と。なのになぜ、労働時間もたいして減らずに、むしろもっと働かないと、といような世の中になっているのか?それはブルシット・ジョブのせいだ、といようなスタートです。

ブルシット・ジョブとは何か?

これは栗原康さんの本「サボる哲学」でも書いてある表現がわかりやすかったので、引用させていただく。

ブルシット・ジョブとは、、、
たてまえでは、誰もが高収入でうらやましい立派な仕事だというにも関わらず、実のところ客観的に見ても、本人からしても、こんな仕事は意味がない、クソであると思っている仕事のことだ。
合理化がますます非合理な仕事を生んでいく。-「サボる哲学」より
ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえその雇用条件の一環として、本人はそうではないと取り繕わないといけないと感じている。-「ブルシット・ジョブ」より

主なブルシット・ジョブのグループ分けは下記の通り。

太鼓持ち
上司に重要な気分を与えるのに役立つ。
例:受付、管理アシスタント、ドアアテンダント

チンピラ
他の企業が雇った他の悪党に反対する人。
例:ロビイスト、企業弁護士、テレマーケティング、広報の専門家

配管テープ貼り師(ダクトテーパー)
永続的に修正される可能性のある問題を一時的に修正する人。
例:クソコードを修理するプログラマー、荷物が届かない乗客を落ち着かせる航空会社のデスクスタッフ

箱型電信受信機
事務処理やジェスチャーをアクションの尺度として使用する人。
例:パフォーマンスマネージャー、社内報ジャーナリスト、レジャーコーディネーター

タスクマスター
本当は必要ではない人を管理したり、その人達のための余分な仕事を作ったりする人。
例:中間管理職、リーダーシップ専門家

面白い。ポイントは、本人も意味がないと思っているところだ、それで働くのはツラい。

ブルシットジョブは、たいていとても実入りがよく、きわめて優良な労働条件のもとにある。ただ、その仕事に意味がないだけである。

本書では、それぞれのグループごとに詳細な事例や、実際携わっている人のインタビューなども多く載っている。

なぜブルシット・ジョブが増えてしまうのか?

複数要因が関わっているのだろうから、これだ!というものはないだろうが、やはりこの資本主義というものが大きい要因なのだと感じる。

やりとりされる富の大半を人口の1%の人間が掌握しているとすれば、私たちが市場と呼ぶものが反映しているのは、他ならぬかれら(人口の1%)が有益ないし重要だと考えていること

資本主義がさらに加速した新自由主義によって、持てる者と持たざる者の格差が広がり、それによってブルシットジョブも増えてったのだろうか、、

社会主義体制のもとではダミーのプロレタリアの仕事が無数に作られたように、資本主義体制ではダミーのホワイトカラーの仕事が無数に作り出されている。

旧ソ連では、パン屋の店員が2-3人でいいようなところに10人いた、というようなものを読んだ気もするが、ホワイトカラーの仕事もダミーだ、とバッサリ。。。でも実際ブルシットな仕事は本当に多い気がする。

テレビでは、視聴者が番組本編をみているあいだは自分たちに欠陥があるように思わせ、CM時間にはその【欠陥】への【解決策】(商品)の効能を誇張して見せるのです。

広告業界も多くはブルシットなのだろうか?

昔は日本も貧乏で、モノがなかった、それが行き渡るまではそこには大義があった。豊かになろう、そのためにモノを行き渡らせよう、水道哲学だ。

商売をするものの使命はなにか。この世から貧をなくすことである、世の中を豊かにすることである。物の面から人びとを救うことである。

こう言った松下幸之助は実際、今のパナソニックを大企業にして、この世から貧をなくせるぐらいになった。バンザイ、達成だ。

先進国になり、豊かになった日本は、どこか方向性を見失っているようにしか思えない。もう充分豊かになったのに、まだまだ経済成長だ!この道しかない。と。

それで格差は広がらないのだろうか?実際、弱者も豊かになるのだろうか?

そういった大義もないままに経済成長至上主義になっているような中では、多くの広告での商品も意味がないように感じる。

エンタメのようにショップチャンネルを見ている老人がいて、その中で煽るように商品を買わせようとして、それを買う、、、そのサイクルの先には何があるのだろうか、、?

「ブルシット・ジョブ」内の気になった言葉メモ

今日、重要視されているのは仕事である。
だが、その仕事が有益であるかは重視されていない。

本当にそう思う。地方の道路の工事現場で、10mごとに「徐行」の旗を持った人が立っていた、4-5人も。たまにくる車が通ると、その「徐行」の旗を出す、10mごとに。立て看板を置いといてくれと思う。

仕事を生み出すためなのだろう。そんな仕事やめてくれ、その分のお金を普通に払ってくれ、ベーシックインカムでいいじゃないか、本当にそう思う。

労働者の時間は、労働者自身のものではない。
それを買った人間のものである。
もし、この道徳の論理に従うなら、怠惰はトラブルのタネではない。
怠惰とは盗みなのである。

恐ろしい、、、労働力を売る、ということはそれを買った人間のもの。
この理論は少なからず思っている人は多いのだと思う。

近代的資本主義は単に古い奴隷制の新しい姿である。

コロナ禍でテレワークが増えた際に、どこだかの企業が在宅でのオンラインでの業務を監視できるシステムを開発して売っていたような気がする。僕ならそれを導入された瞬間にその会社を辞めてしまうが、恐ろしい。。。

もしオンライン上で働いているかを監視しているような中間管理職がいるのだとしたらスーパーブルシットジョブだろうし、奴隷制があったころの農園で奴隷がさぼらないかを監視している農場主と大枠は一緒ではないかと思ってしまう。

もちろん奴隷は無理矢理かつ、それ以外選択肢がないという点で、違うという主張もあるだろうが、これからテクノロジーの進化に伴い、その仕事以外選択肢がない、という人も増えてしまうのだろう、、、

他人の権威のもとで無意味な仕事にすらおとなしく従事せねばならぬという発想は、人間をより良い人格に仕上げる道徳的自己規律の一形式なのである。これはピューリタニズムの現代的変種である。
そしてこの宗教的要素が、怠惰は他人の時間の盗みなりという倒錯した道徳観念を、さらに不快なものにしている。

宗教は大衆のアヘンである。と言ったマルクスの言葉が思い出される。

なぜアメリカ人は野宿者たちがいることを国民の恥としてみなしていなかったのか。1980年代以降、そもそも論で反応するようになった。つまり、ホームレスは人間的弱さの必然的な結果にすぎないと結論づけた。

ホームレス=自己責任論は日本でも強い気がする。最近でもメンタリズムがそんな発言をして炎上していた。

ホームレスがいることを国民の恥とする、ホームレスが生まれないように社会で支える。それが豊かになった日本では優先してやるべきことだとも思う。そうだビッグイシュー買わなきゃ。定期購読してたのに。

ベーシックインカムの究極的な目的は、生活を労働から切り離すことにある。

日本でなんとか実現しないだろうか。しないだろうな。

どうしたら良いのだろうか、なかなか難しい。

でもブルシット・ジョブだと思っている人は、お金をためて早いところやめた方が良いのかもしれない。

資本主義の仕組みをうまく利用して、資本を少しでも増やし、この不毛な資本主義ど真ん中の暮らしから少しずつ抜け出していく。資本主義をハックする。そんなのが現実的な気もする。

でも時代は明らかに資本主義には限界で、その先を求めている。なんとも面白い時代を生きていると、改めて感じる。はたらかないで、たらふくたべたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?