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「格差は心を壊す 比較という呪縛」読書メモ

こちらの本の読書メモです。

タイトルの通り、格差が広がる、不平等な社会はそこで住む人たちにとっては快適なものではなく、精神的にも辛く、心の病や身体的健康も悪化させ、社会としても分断されたものになってしまう。ということを研究やデータを元に明らかにしていきます。そんな社会、住みにくいよね!そして、今の新自由主義では格差がどんどん拡大しているから、なんとかして格差を解消していくような社会にしようよ、というようなお話しの本です。

例えば、アメリカやイギストでは多くの人が、他人との接触に臆病であったりストレスを感じたことがある、対人関係で不安を感じたことがある、などのデータがあり、一方で、自分をよりよく見せようとする(そうしないと不難)というように自己誇示をする人が多い、とか。

いくつか本書の内容を書きます。

・米国人の80%以上が臆病に悩んでいる
・社会的地位が私たちの優劣を示す基準になってしまっている
・そうして社会階層による区別が行われ、分断が深まる
・社会的地位の差は所得格差とだいたい同じ

他人と比較してしまうのは、人類が生き延びてくる過程で身につけたものでもあるので、お金が多いか少ないか、地位が高いか低いか、などの比較をしてしまうのはしょうがない部分もあると思いますが、ここに縛られてしまうと、勝ち組・負け組、上流国民・下流国民というような言葉で分断が進み、下流・負け組の人と思ってしまうと、よりストレスを感じ、心も体も悪化してしまい、よりお金も稼ぎにくく、、という悪循環になりそうです。

最近の親ガチャなどの言葉も、こういった格差社会の1つの表れですね。

じゃあ、どうすれば良いのか、というので、より平等は社会を目指そうよとなるのですが、どうしてもすぐにそうなるとは思えないですね。残念ながら。それほどまでに、資本主義のパワーは強いと思いますし、その中では格差拡大というのはデフォルトですし、政治などもお金のパワーにやられてしまっている感じがするので、日本もまだ格差は拡大しそうです。

社会として限界が来たら方向転換になるのかもしれないですが(本当はもう限界に来ていると思うのですが)、まだアメリカを目指しているような雰囲気があるので、当面格差は拡大すると予想します。

その中で自分の取れる方法は何があるのか、考えてみました。

その前に気になった文章のメモです。

流動性が低い社会では、階級は生まれながらの偶然の産物だと見られている。社会的な階級や身分が劣っていても、個人的な責任は問われない。出自についても個人的な非難を受けることはない。しかし個人の実力や努力で社会的な階段を上り下りできる社会では、社会的地位は個人的な能力や努力が強く反映された結果だと見られる。社会的地位が低ければ個人の怠慢によるものだとみなされる。

いわゆる能力資本主義と言われている最近では、社会的地位が低い人は、しょうがないのではなく、努力しなかったからそうなったと言われてしまう、、、と。

ホームレスは自己責任というメンタリストもこのロジックですね。
でも子供の頃の環境や教育などによっても、頑張り方を知らないとか、そういった環境に自分がいなかった人も多いので、これを社会として承認してしまうと、本当にしんどい社会になりますね。。。

なぜ不平等はすべての国で、地位への不安を高めるのか。おそらくその最も説得力のある説明は、社会階層の頂点に立つ人はとても重要な人間で底辺の人は役立たずの人間だとの感覚が強まり、金銭の多寡が人の価値基準として重視されるにつれて、私たち全員が自らの社会階層に劣等感を抱くようになるからだ、というものだ。

そんなことはない、とわかっているのに、そう思ってしまうような力がありますね。例えば、デイトレーダーで何億も稼いでいる人の価値よりも、一次産業でお米、野菜、漁業などに従事している人の方が、社会に生み出す価値は高いですが、報酬は全く比例していない、、、

デイトレーダーに価値はない、といくら言っても、それは嫉妬の裏返しでは?と言われてしまうと心の底から反論はできない。お金パワーってすごいですね。

ルサンチマンという嫉妬、やっかみ、といった感情が出てきますが、解消の仕方は2つです。
①その対象よりも上にいくことで解消
②その対象とは違う軸で考えることで解消

どう考えても億稼ぐのは無理なので、①は諦めて、②のデイトレーダーは所詮マネーゲームで実際の価値って生み出してないよね、と思うことで解消します。

自尊心には、実際の実行力や能力といった評価に基づく「裏付けのある自尊心」と、防衛的、防御的な自己誇示ー大丈夫でなくても大丈夫と言ってしまうー、つまり「裏付けのない自尊心」と呼ばれるものがある。

格差によって裏付けのない、自己防御的な自尊心が増えていると著者は言っています。

そしてこの裏付けのない自尊心が強くなりすぎると自己愛が強くなり、自分最高!他人はバカ!となり、他人の気持ちが理解できない、自分の欠点を認めず否定する、あるいは批判に対して激しく反発、となってしまうと、、、。トランプさん。

度を越した自尊心は病的で不健全である。それは自己愛にほかならない。自己愛の特徴としては、人の注意を引こうとする行動、自らの批判への激しい反発、うぬぼれ、才能や業績の誇示などが挙げられる。
自己愛を強めることは、自信喪失や劣等感に打ち勝って社会的に生き残るための究極の闘いだ。それはまた、社会的な不安や臆病、自己不信を生み出す環境への適応でもある。

不平等な社会になればなるほど、自分を守るために自己愛が強くなり、他者を攻撃したり、自分を誇示したりする、と。今後、日本でもこういった自己愛が強すぎる人などが増えるような気がしますね。

不平等の拡大によって社会的評価の脅威に直面した私たちは、板挟みの状態に追い込まれている。不安症やうつ病に陥るか、それとも自己誇示や自己愛を支えにして必死に出世の階段をよじ登るか。こうした二者択一をめぐる葛藤がいかに激しいかは、統合失調症や躁うつ病に苦しむ人々がしばしば誇大妄想にとらわれることからも明らかだ。

どっちもごめんこうむりたいですね。違う道を探したい。

貧困とは、財産が少ないことでも、収入と支出の差でもない。突き詰めると、人との関係だ。貧困は社会的な身分の1つだ
-マーシャル・サーリンズ

なるほど、、、

経済成長推進派は、経済が成長するとトリクルダウンが起きて、社会全体が豊かになる、という人が多い気がします。ネット全盛の時代ではこのトリクルダウン自体が起きないと思うのですが、、、、

仮にトリクルダウンが起きたとしても、下から見ると、自分は豊かになったかもしれないが、上はもっと豊かになっている、となると結局貧困は解消されないですね。

というなかなか暗い気持ちになったところで、著者は最後に「私たち全員が幸せになれる社会への移行を」ということでいくつかの提案をしています。

①不平等をなくし、ストレスも分断もなくそう
②生産性を上昇させ、余暇を拡大して労働時間を減らそう
③民主的な組織を作り、労働者の疎外感をなくそう
④無駄な消費をやめ、身体的、精神的な健康を回復させよう
⑤新自由主義の1人勝ちから抜け出し、新しい社会を創造しよう

なるほど。政治家なら政策に反映させようとなるかもしれないですが、一個人として考えると④以外は具体的なイメージができない、、、

ということで、自分ごととして卑近な例まで落とし込むと、、、

①無駄な消費をやめ、身体的、精神的な健康を回復させよう
②できるだけストレスを溜めない仕事をしよう
③マウントを受けてしまう(感じてしまう)ような異業種交流会には近づかないようにしよう
④高級車や物でマウントしそうな雰囲気の人には、インナーマウンティングで心の中でマウントを取ろう(このSDGsの時代にリッター数キロのゲレンデヴァーゲンなんてダセエ!と思い込もう、強く、負けずに)
⑤資本主義の果実を得るべく、投資は引き続きしよう
⑥寄付やボランティア、コミュニティでの活動はできるだけしよう
⑦ヨガ、サウナ、運動など体を使ってくつろごう

といったところでしょうか。

広告業界や資本主義パワーに呑み込まれずに、できるだけくつろげる人が増える社会にしたいものです。






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