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「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」読書メモ

こちらの読書メモです。読み応えかつ大変でしたが良い本でした。
この本は現代が「How much is enough?」で、2012年に発売されているので、著者が書いたのは2010-2011年頃でしょうか。10年前ですが、今の時代も当時とあまり変わっておらず、著者の危惧が解消されているようには思えません。資本主義の未来、幸福とは?よく生きるとは?といったことに興味がある僕としては、割とど真ん中で参考になる内容でした。

著者はケインズの研究者で、スタートは「孫の経済的可能性」で技術発展により100年後の孫世代は1日3時間も働けば十分だろうと予測していました。技術的には十分予測は当たっているのに、多くの人は相変わらず忙しく働いている、それはなぜか?という疑問からスタートします。

ケインズは「人々の金儲けの本能や金銭欲への絶え間ない刺激」が資本主義を支える動機だと考えていた。そして豊かになれば、この動機は社会的に容認されなくなるから、資本主義はその任務を終えて自然消滅するだろうと考えた。

資本主義の動機は合っていても、達成したあとにこの動機が社会的に容認されなくなる、と言う部分が外れてますね。

そうならなかった1つは競争関係、もう1つは貪欲。その2つが重なり合うと飽くなき欲望の追求をよしとする倫理観が生まれ、社会は無目的の富の創造に狂奔することになる。

資本主義というシステムはそれ自体が善とか悪とかではなく、資本の無限の成長を目指す性質があるので、それは無限成長を目指します。そのアクセルを宗教や倫理、道徳といったものでブレーキをかけながら抑えていたものが、宗教、倫理、道徳が資本主義に飲み込まれていくことで、誰も止められなくなって、格差拡大などの負の側面が大きいというのが現代だと思います。

資本主義の無限の増殖活動のパワーと人間の貪欲さ、欲望の掛け合わせが行き着いた先が、ネオリベラリズムであったりグローバリゼーションであり、その限界(地球に対しても)を感じとってるのが、まさに今なのだと感じます。

今年読んだ本でも好きな、「人新世の資本論」「ビジネスの未来」でも資本主義はもう目的を達成した、と言っていて、それを脱成長コミュニズムということや、資本主義をハックするということで次のステージに進もうというような感じですが、とても共感できます。

この本での個人的に重要なキーワードは「貪欲(欲望)」「お金の目的」「資本主義」「よく生きるとは」「広告のパワー」です。

なぜこれだけ豊かになってもがむしゃらに働くのか?それに対する答えは

自由主義経済は雇用主に労働時間と労働条件を決める力を与えると同時に、地位を誇示するような競争的な浪費をしたがる人々の生来の傾向に拍車をかけたからだ。
労働に駆り立てる主な要因として、第一に労働者に対して資本家が優位に立っていること、第二に広告に煽られて人々が際限のない消費に駆り立てられていること

①資本主義の中での資本家と労働者の力関係の問題
②広告に煽られすぎる人たちの際限のない欲望の問題

の2つと言っています。

ここで①の資本主義を変えよう!などというのはなかなかリアリティがないので、その資本主義という仕組みや考えをうまく使おう、というのが僕にとってはリアルです。政治家とか大企業のトップは是非資本主義そのものに対しても挑んでもらいたいですが。

「資本主義をハックする」ということですね。
お金本などでも、労働者側から資本家側に、といったのはよくあります。ただ、仮にそうなったとして労働者を搾取すれば良い!となってしまっては元も子もないので、うまく資本主義の仕組みを使う、となると、やはり株式投資がどうとかのずいぶん小さい話になってしまいますが、やはりそれは必要だと感じます。iDecoやNISAのような制度をフル活用しながら、今流行りの経済的自立、FIRE(Financial Indipendent Retire Early)を目指すなどは個人的には好きです。

そしてもう1つの広告に煽られている自分自身についてもしっかり考える必要があると感じます。

貪欲は人間の本性に根付いており、自分の財産を比較してうらやましがる傾向を誰もが備えている。

この性質を煽りまくってるのが広告です。本性に根付いているのを刺激されるのだから、そりゃそうなりますね。なので、騙されないぞ!ぐらいの批判的な性格の悪い見方をしても良いのでは、と感じます。

「広告には不安や焦燥を生んだり、他人の成功や幸福への羨望を掻き立てたり、さらには親あるいは子に対して罪悪感を募らせる効果もある」
「ニーズは必要性を直接感じた者によって生み出されることよりも、その創出から利益を得ようとする者によって生み出されることの方が多い。」
ーヘーゲル
消費は現代社会における、偉大な気休めであり、むやみに長時間働くことに対する偽りの報酬である。
企業は資本主義の競争原理に駆り立てられ、人々の欲望を操作して新たな市場を開拓する。広告が貪欲を生み出すわけではないにしても、あつかましく貪欲を利用することはまちがいない。「もっと」消費しないと二流のつまらない生活を送ることになるぞ、と広告は耳元でささやき続ける。

消費が悪いというのではなく、世の中には私たちの本性をついて買わせようとしてくる人たちがいくらでもいる、ということです。そして、その消費をするために辛いと感じている労働をもっとしているのだとしたら、それは見直した方が良さそうですし、この大量消費には地球もついてこれないというのが現在です。特に豊かな日本に住んでいる私たちは考えた方がいいと思っています。

その後、著者は幸福経済学や幸福論に触れますが、幸福という主観のもので測るのは難しいため、幸福とは?などではなく「よく生きる」とはといったアプローチを取ります。

人生全体を見つめられるのは、あるいは人生の意味を理解できるのは、死を迎えたときだけなのだ。死ぬ前に人生を幸福だとか不幸だと言うのは、結末を知る前に演劇を喜劇だとか悲劇だと言うのと同じことである。
ソロンの警句「死ぬまでは誰も幸福とは言えない」

そういった意味では「幸福度」というのを測ること自体無意味な気もします。ただ、これには反論も多くありそうです。

私たちは今、無目的に経済成長を求めていますが、そもそもそれは何のために?というのを考えていきます。

哲学者が最終的な価値をつきとめようとするときは「それは何のためか」という問いを繰り返す。
「この自転車は何のためか」「仕事にいくためだ」「仕事は何のためか」「金を稼ぐためだ」「金は何のためか」「食べ物を買うためだ」「食べ物は何のためだ」「生きるためだ」「命はなんのためか」
アリストテレスは、テロス(完成された状態)は「よく生きること(euzen)」だとした、なぜなら、これは「それは何のためか?」と問いことが意味をなさない唯一のものだからである。

そして著者はよく生きるには、7つの基本的価値があるといいのではないか、という提案をします。

7つの基本的価値について、この種のリストはそもそも正確にはなり得ないものであり、誠実な不正確のほうが、偽りの正確性を追い求めるよりよいと信じる。

素敵な言葉です。

①健康
健康とは、ちょうど目的を黙々と完璧に果たしてくれる道具のように、自分の身体のことを安心して忘れていられるような状態を意味する。

「臓器が沈黙している状態」
健康は人を外に向かわせ、病気は内に向かわせる。

どの幸福系の本を読んでもベースにあるのは健康ですね、これは健康な今だからこそ大事にしたいと思いますし、その後の資本主義における健康の視点も良かったです。

医薬品開発でも経済的な競争が繰り広げられた結果、「健康」の概念自体が損なわれてしまった。どんな身体状態も「望ましい」状態と比べたらどこか足りないとすれば、誰もがある意味で永遠に病気ということになる。

過剰医療の問題ですね、毎年の健康チェックでどこまで過敏になるのか、考えどころです。

ゲーテ流にいれば、世界は巨大な病院となり、そこでは誰もが互いに看病し合う、しまも貪欲な健康志向のせいで、医療費は所得と同じペースで、いや所得以上のペースで拡大するため、人々はハツカネズミのように追い立てられ、労働と経済成長の踏み車を回し続けなければならない。
したがって私たちに必要なのは、健康を相対的な味方でとらえず、古来の見方と同じく、体の自然に整った状態と捉えることだ。このように定義したとき初めて健康は「もう十分」と言いうるものになる。

自分にとって「もう十分」な健康は何か、考えましょう。

②安定
自分の生活が、戦争、犯罪、革命など社会的・経済的な動揺に脅かされることなく、明日以降も概ね従来通り続く、と妥当に予測できる状況を意味する。

これは日本においてはかなり満たされてますね。あとは重要なのは財政基盤などの最低限の安定性は必要です。

③尊敬
他人を尊敬するとは、その人の意見や姿勢を重んじ、無視したり粗略に扱ったりすべきでないとし、それを何らかの形で表明することである。
他人の視点を認め、重んじることである。

これも健康や安定があってできることだと思います。大事な視点ですね。協調するのではなく、他人の視点を認め、重んじる。ですね。

④人格または自己の確立
自分自身の理想や気質や倫理観に沿って人生を設計し実行する能力のこと。カントの「自律」やアリストテレスの「能動的な理性」にあたる。

そして、これをするためには財政基盤が必要だとも言っています。いわゆるファッキンマネー(辞めてやるぜ!と思えるぐらいのお金がある)ことは大事ですね。

自分の人生を設計し人格を守るには、経済面で財産という基盤が必要。
己を確立し人格を守るには、私有財産が欠かせない。私有財産が認められて初めて、個人は出資者・後援者の専横や世論の圧力を免れ、自分のやりたいことや理想とすることに従って生きていける。

共産主義を批判するような感じですね。

⑤自然との調和
人間の活動が自然と調和しているかいないかは常識が教えてくれる。
農業や畜産業は人為的だと知っているが、工場方式の農場や畜産場はおぞましく感じる、など。

自然との距離感ですね。

⑥友情
語源は古代ギリシャ語のフィリアであり、健全な愛情で結ばれたあらゆる関係に当てはまる。
⑦余暇
その活動自体が目的のもの。(目的のない合目的的行動のこと)
余暇は、より深い思索、より豊かな文化の源泉だと言える。

余暇は、休息とかとは違い、それ自体が目的なので、例えば報酬をもらって仕事をしていても、それ自体が本当にやりたいのであれば、それも余暇に含まれます。

余暇を生み出す経済的条件は、まず労苦の軽減が必要。

嫌な仕事をしすぎちゃダメってことですね、嫌な場合はどうしたらそれを避けられるかを全力で考えたいですね。

この7つの基本的価値は個人的には賛同できますし、じゃあどうやってそれができるようにしていくのか、というのを考えていきたいですね。

基本的価値の実現を満たす社会はどのような姿になるのだろうか。
そのような社会は、すべての人の基本的ニーズを満たせるだけのモノとサービスを生み出すと同時に、
適度な快適さを提供しなければならない。しかもそれをいまよりはるかに少ない量の労働で実現し、自分のやりたいことを自主的にやるための余暇を生み出さなければならない。

僕なりのやり方を言うならば
①資本主義をうまく活用して(ハックして)、必要な財産を築き(多過ぎず、少なすぎず安心できる金額)
②消費というものを考え直し、その消費は何のためか?よく生きることに繋がるのか?というのを常に考える。
③ベースとしての健康維持は常に考える。
この①と②を意識することで、安心できる財産ができたら、人格、尊敬、友情、余暇といったものに取り組んでいく。という感じでしょうか。

この資本主義システムが存在しているのは、何のための富かという感覚を私たちが失い、よい暮らしの意味を忘れているからにほかならない。
「よい暮らしの指標となるのは、生きていることの喜びや重みである」ジェームズ・ラブロック
科学は自然を解明するすばらしい手段ではあるが、人間の善を対象とするときに頼るべきは、読書、旅行、会話によって鍛えられた直感なのである。

素敵な言葉です。日本の知の巨人の出口治明さんも人生で大事な要素を「人・本・旅」と言っています。しかも、今の時代はどれもそこまでお金がなくてもしやすくなってきています。もっと旅したいですね。本も読み続けたいです、面白い本がすごく多い。

著者は最後に下記のような言葉で本書を締めています。

よい暮らし、よき人生について、あるいは富は何のためかについて社会として考えようとしないのは、富裕になったいまではもはや許されない放縦と言わざるを得ない。私たちが今やっている最大の浪費は、お金の浪費ではなくて、人間の可能性の浪費である。「会計上の利益という結果にこだわらないと決めた瞬間から、私たちは文明を変え始めた」とケインズは1933年に書いた。文明を変える機は熟している。

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