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「なぜ働くのか」読書メモ

お金のためだけに働いているわけではない、と思う人が大多数なのに、大多数がすり減るような、お金のためだけの仕事をしているのが現状である。それはなぜか?というところから始まります。その原因はアイデアのテクノロジーで、アダムスミスは「人間は怠惰な生き物である」という前提からシステムを考え、その資本主義が発展したことでお金以外の報酬がない仕事が増えてしまっている。という話でしょうか。

経営者も従業員も考え方を変えよう!というような話で、最近で言うと共感資本主義であるとか、お金よりもやりがいや成長という若者、社会起業家や社会のためにという人の増加、などにも通ずるものだと感じます。

そういった人が増えているのは良いことですが、確かにお金のためだけにやりたくもない仕事をしている人は相変わらず多いと思います。それは、資本主義というものを考えると、格差ができるのはデフォルトであり、そういった層がいないと成り立たない(植民地、奴隷、第三世界からの搾取、自然からの収奪など)ものだとすると、全員が望むような状態にはなり得ないのが、今の世界だと感じます。

まずは、その現在のシステムを考えた上で、まず自分が抜け出すには、より多くの人が抜け出せるのにはどうするのか?を考えたいです。

以下メモです。

結局のところ、仕事に意味があると感じられることが、人々を満足させているのです。自分の仕事は世界を変える可能性を秘めている。他人の暮らしをより良いものにできる。場合によっては、人々の生活に重要な改善をもたらすことだってありえます。

経営者・資本家目線だと、働いている人に、金銭的報酬以外の、やりがいといったものを与えられれば、満足するし、従業員目線だと仕事の意味を感じられれば頑張れる、といったところです。

ただ、やりがいの搾取といったことや、騙すような仕事への意味づけ、自分を納得されるための偽りの思い込みなどがあると、いずれ行き詰まってしまうと思うので、その辺は自分自身で考えていかないといけないですね。

仕事が自分の存在理由の1つにもなりますね。

あらゆる仕事には、人を満足を提供するという要素が内在しているのだということです。多様性、複雑性、技術的修練や成長といったものを仕事に求めることは可能なのです。主体性を持って物事を見られる人々が、そうした仕事を通じて生まれるのです。そしておそらく最も重要な点は、他者との幸福な関わりを通じ、仕事は有意義になるということです。

仕事を主体的に取り組めるのか、全く意味もないと思える仕事であれば、そこからどうやって抜け出すのかを考えて行動できるのか、とか言ったところが大事ですね。

自分の仕事は意味がない、でも考えも行動もしない、という人はますます厳しくなってしまうので、考える、行動する、といったことはやはり重要だと感じます。

物質的なインセンティブとルーティーン化した作業の徹底的な監視こそが、やる気のない労働者を管理するための代表的な方法論。アメとムチ。

「人間は怠惰な生き物である」という前提に立つと、こうなりますし、いまだに多くの企業がこういった方法論でやっている気がします。テレワークが進んだこの1年で、勤務中はPCオンで、常に監視しているようなシステムがあったと思いますが、そんなことやられた日には、いかにうまくサボってやろうかとか考えちゃいますね。ああ、信用されてないんだな、、、と。

仕事にやりがいを与えられていないな、と経営層が思うと、こういった監視の手法で管理するしかなくなるのでしょうね。

楽しいはずの仕事がつらいものになってしまうのか、その大きな原因は、人間とはそもそも働きたくないものだから、注意深く働きぶりを監視して報酬で釣らなければならない、というような誤った思い込みにあります。

共感します。半分ニート的な生活をした時期もありますが(今か?)、そこでも働きたい(何か活動をしたい)という感情は自然に湧いてきます。

それは、人類が協力を前提として生き残ってきたから、他人のために何かをする、という遺伝子が組み込まれているのかもしれませんし、社会の中での自分の存在理由を考えると他人のためにとか社会に役立ちたい、というような感情は人類のかなり深い部分にしっかりあると感じます。

そう考えると、生存が安心してできる状況を国家が作り、あとは人間のその感情に委ねていくといいようなベーシックインカムで絶対によくなると思うのですけどねえ、、、

ベーシックインカム反対派の根底には、この人間は怠惰だ、という考えがあるのでしょう、まあ、絶対怠惰な人は出てくると思いますが、多数は社会のために何かしたいという人が多いと思うので、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うのですが、、、豊かになった日本が世界に先駆けてこういったことできると良いのですが。。

心理学者と経済学者が40年検証した結果、金銭的インセンティブがなくてもよく働こうというモチベーションを持っている人々に対して、それを上乗せすると、彼らのモチベーションは高まるどころかむしろ低下してしまうようなのです。これを「やる気の締め出し」と名づけました。

例えば、家族からのお願いごとや、ボランティア活動などやっている時に、お礼に、、、と言われてお金もらうと嫌な気分になりますが、そんな感じですね、お金のためにやってるんじゃないよ!って。こういった「外発的」動機付けがいかに「内発的」動機付けを弱めるか、ということです。

良い仕事をしようと思って良い働きをする人々を動機づける、誠実さに取って変わるものなどありはしない。

そうですねえ、、、

市場が消費者の欲求に応じて動くのか、市場によって消費者の欲求が作り出されるのか?メディアが人々の嗜好に応じてニュースや娯楽を提供するのか、人々の嗜好はメディアによって作り出されるのか?

ニワトリが先か卵が先かって感じですが、僕は完全に市場やメディアによって人々の嗜好は作られている派なので、いかにそれに乗せられないかというのを常に考えています。そうすると結構面白くて、何かを欲しいとなっても、あれ?これは乗せられてる?誘導されてる?とか考えて、それでも欲しければ、負けた、、、と思って買いますし、買わなければ、市場や広告業界に勝ったと思ってます。

でも基本は市場も広告業界も僕ら個人のことなどは何も考えていなくて、利益をあげるにはどういったアプローチが良いのか?だけだと思っているので、騙し合い、戦う、といったスタンスです。無料部分だけ使い倒すとか、本当はこの後買わせたいのだろうけど、絶対買わないとか。

「テクノロジー」の概念を、日常生活の状況を変えるために人の知性が生み出した物や手段と考えるなら、アイデアもまた、コンピュータに勝るとも劣らないテクノロジーの所産であることは自ずと明らかでしょう。

労働は美徳である、人間は怠惰な生き物である、経済成長すれば幸せになる、とかそういった価値観がベッタリと張り付いていますが、それは違うんじゃないか?と批判的に考えられることや、世の中から言われている常識とされているものを疑ってみるのは大事だと感じます。

「ナイーブ・リアリズム」とは「自分はあるがままに物事を見ている。それを否定する人々が事実を歪めているのだ」という考え方です。

これがひどくなると社会の分断や、最後は戦争などに行くつくのでしょうか、、、自分に対してもちゃんと批判的に考える、自分の考えは偏っているのでは?とか、しっかり違う人たちの意見も聞くというのは大事ですね。

産業化は、人類の目覚ましい業績です。しかし、産業化による物質的な貧困の軽減は、精神的な貧困と引き換えだったのです。もしかしたらそれは、経済発展の初期段階においては必要な、支払うべき対価だったのかもしれません。しかしもうそのときは過ぎ去っています。労働の場を変革するには、今をおいてほかにないのです。

同意します。

物資的な貧困が減ってきて、その代わり精神的に貧しくなってしまっている、、、そんな社会にはなりたくないですね。

国がベーシックインカムをやってくれれば良いのですが、当面無理だとも感じるので、そうなると今流行りのFIRE(Financial Independent Retire Early)などでまず経済的不安を取り除いて、そこから自分のやりたいことを目指すというのはアリだと思います。

ただ、FIREはかなり大変そうなので、一歩間違えるとお金至上主義とか強欲系にもなり得てしまうので、プチFIREを目指しつつ、仕事もしながら、という方がリアリティがある気がしますし、それを目指していきたいと思います。








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