「地球が燃えている」読書メモ

ナオミ・クラインの地球が燃えているを読みました。
平たくいうと、気温温暖化などで地球はもう限界なので、一刻も早く今までの経済活動とは違う、グリーンニューディールに移行すべき、というような内容です。特に異論は無いものの、斎藤幸平さんの「人新世の資本論」にあるように、グリーンニューディールでは間に合わない、資本主義を乗り越えるべきだ、というような方が共感できました。

いくつか気になった点をメモします。

特定の国が先導して生み出したものが、近代資本主義、無制限の消費で成り立つ経済システム、そして気候危機の中心にある生態系の枯渇なのだ。物語のはじまりは、アフリカから盗み出された人々(奴隷)と、先住民から盗み取った土地(植民地)である。この2つの残忍な収奪の慣行は、目が眩むほどの巨大な儲けを生み出し、その結果生じた余剰資本と動力によって化石燃焼主導の産業革命の時代が開き、それに付随して人間の活動が招いた気候変動も始まった。このプロセスは当初から、白人とキリスト教の優位性という、擬似科学的かつ神学的な理論を必要とした。それゆえ、政治理論家の故セドリック・ロビンソンは、これらの収奪の収束点に誕生した経済システムは、「人種資本主義」と呼ぶ方がふさわしいと論じたのだ。

資本主義は、ここまで人類を発達させ、数多くの恩恵をもたらしたシステムですが、その副作用部分が、周辺からの収奪、地球からの収奪などを必要として、その中で格差や人種差別などになってくるのでしょうか。

無制限に消耗させ、酷使できる原料資本財として人間を扱うことを合理化する理論と並行して、自然界(森林、河川、陸地、水生動物)を全く同じように扱うことを正当化する理論もあった。森林から水生動物までの全てを保護し再生させる方法について、人間が何千年にも渡って蓄積してきた知恵は一掃され、それに取って代わったのが自然界を制御する人類の能力には限界がなく、自然界からどれだけの富を採取しても、結果を恐れる必要はないという新しい思想だった。

これはキリスト教などの、神が人間を作り、人間が動物や自然を管理する役割を与えられた、というような価値観なのでしょうが、その結果が今だとしたら、人にとって都合の良いストーリーはもう破綻している、というのが今の現代ですね。

日本に昔からあるような、自然と共生していくような価値観が世界にとって必要だと思うのですが、まだアメリカに右ならえで動いているのを見ると残念でなりません。。

世界の温室効果ガス排出量のほぼ50%は、世界の人口の中で最も豊かな10%によって生み出されている。もっとも裕福な20%が70%を生み出している。しかし、こうした温室効果ガス排出の影響は、もっとも貧しい人々に真っ先に最悪の被害を与えており、次第に多くの人々が移動を余儀なくされ、その数は今後さらに増える見込みである。

日本は豊かな国になりますし、我々の生活の裏側では気づかないところでも貧しい国の人たちに皺寄せがいっている。という事実を一度受け止める必要はありますね、、、それを知った上で、どういった行動ができるのか、これはしっかり考えなきゃいけないですが、なかなか難しい問題です。。

科学革命の前まで、ヨーロッパの人々は、世界中の先住民族と同様に、この惑星は生命体であり、生命を与える力に満ちているが、同時に怒りっぽい気質でもあると考えていた。そのため「母」を毀損したり冒涜したりするような行為、例えば鉱業などに対して、強いタブーがあった。

この価値観の転換と資本主義のパワーによって、ここまできて、今が転換期だとするならば、再度こういった価値観が必要にも感じます。

気候変動に対処するためには消費を減らす必要がある。しかし、私たちは消費者であることしか知らない。気候変動問題は、消費行動を変えるだけでは解決できない。SUVをハイブリッド車に買い替え、飛行機に乗ったら別の場所でそに排出量に見合うだけの量を削減して相殺する(カーボン・オフセット)だけではダメなのだ。比較的裕福な人々の過剰消費がこの危機の中心にある。つまり、世界でもっとも熱狂的な消費者たちが消費を減らす必要があるのだ。

広告業界の積極的なPRなどに触れていると、今の生活をより幸福にするには、これを買うべきだ、というようなメッセージに溢れています。その業界をたどると、資本の無限増殖の再生産、という資本主義そのものに当たります。この資本主義を乗り越えるしかない、という主張をしている人たちに共感します。

私たちの経済は、廃棄物を投棄できる場所が「どこか遠くに」常に存在する、という想定に大きく依存している。たしかに、どこか遠くに私たちのゴミが持っていかれる場所があり、どこか遠くに私たちの排泄物が流される排水路が行き着く場所がある。どこか遠くに、私たちが使う商品を作る鉱物や金属が採掘される場所があり、どこか遠くに、これらの原材料が生まれ変わる場所がある。しかし、私たちが住む世界には「どこか遠い場所」はないということだ。

書かれていることは、ある意味当たり前の事実なのですが、それを改めてこう書かれると、いかに普段気づかないふりをしているのか、と感じてしまいます。

私たちの経済は、故意に見ることをやめた幽霊たちで成り立っている経済だ。

不都合なことは見せないようにしているのが、現在の経済システムなのでこちらから意識して見るようにしていかないと、というのが現代ですね。裸の王様のようにならないようにしないと、、

この本は読んでいくと、環境意識が高いであろう自分が、全然足りていないことに気づいてしまい、ちょっと凹みますが、まずはそれを受け止めた上で、さらに自分のライフスタイルや考え方を踏まえた上で、どこまでできるのか、ということを考えていきたいと思います。







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