〈学びノート〉大安場史跡公園 企画展「正直古墳群の全て」①正直古墳群と大安場古墳群をご紹介♪
8月3日(日)、福島県郡山市の大安場史跡公園でおこなわれた企画展「正直(しょうじき)古墳群の全て」の記念講演会「古墳時代の海の民、山の民」を拝聴しました。講師は千葉大学大学院人文科学研究所の山田俊介先生でした。
今回の企画展は史跡整備に向けて現在も調査が進む古墳群のこれまでの成果を一堂に展示するものだそう。講演は、現在正直27号墳から出土した2振の鹿角製(ろっかくせい)刀剣装具に関連する内容でした。鹿角製刀剣装具とは、刀剣に装着する鹿の角から作られた飾りのことだそう。
……これがもう、本当にメチャクチャおもしろかったです!
途中鹿の角の詳しい説明で「よくわからなーい!」になったものの、最初から最後までワクワクしながら聞き入ってしまいました!
ということで、内容を忘れないうちにアウトプット(メモはまとめましたが、要点をまとめたい)
「正直古墳群」って、どんな古墳群なの?
実は私も「結構貴重な古墳らしい」「大安場古墳と関連があるかもしれない」程度で、全く詳しくなかったりします。古墳に興味がある…というより、興味があるのは古墳時代であり、その時代のヤマトとエミシの関係とか、倭国内乱とか、それが『古事記』『日本書紀』にどう反映されていくのか…だったり。
しかも知識が少な過ぎて、残念ながら展示解説を読んでも内容が脳細胞に定着しませんでした💦
そこで、復習がてら郡山市のサイトを参考に正直古墳群をご紹介します♪
【正直古墳群とは?】
●郡山市田村町正直(しょうじき)に所在する4世紀から5世紀(古墳時代前期から中期)にかけて継続する古墳群
●阿武隈川の支流・谷田川の西側に広がっている
●かつては40基以上の古墳があったと考えられるが、現在墳丘などを見られるのは20基ほど
●ほとんどが円墳。そのほか1基の前方後方墳と数基の方墳により構成されている
●特徴は、石製模造品と呼ばれる祭祀遺物が数多く出土されること
●石棺をはじめ、多彩な埋葬施設が確認されている
〈特に重要な古墳〉
●27号墳からは2基の箱式石棺と被葬者の人骨が発見された。そのほか、鉄製の剣や大刀、石製模造品など豊富な副葬品が出土している
●21号墳は正直古墳群のなかでも最大の円墳であることが確認された。
●35号墳は全長約37mの前方後方墳。築造は4世紀後半。近くに位置する大安場古墳群(東北最大級の前方後方墳)と築造時期が近く、郡山市の古墳時代を解明する上で重要な遺跡と考えられる。
●そのほか調査が行われた古墳からは、木棺や箱式石棺が見つかり、人骨のほか玉類や鉄製武器、石製模造品、土師器(はじき)など多くの遺物が出土した。
こちらのページを参考にいたしました↓
正直古墳群の石製模造品については、大安場史跡公園の学芸員である佐久間正明さんが著書を出されています。
古墳は大安場史跡公園から比較的近い場所にあるので、講演を拝聴した後、見に行こうかな?と考えていましたが、大安場のように整備されてはおらず(開発中に偶然発見されたそうです)、近いづても「こんもりとした山」がある程度らしいと知り、見学を取りやめました😅
……郡山市が整備を視野に入れているそうなので、完成を待ちたいと思います。
もう一つ、忘れちゃいけない、大安場古墳をご紹介します♪
古墳時代研究の権威も見せられた大安場古墳1号墳の魅力
平成3年に発見され、発掘調査の後、1号墳(2号墳も?)が復元され、遺跡全体が史跡公園として整備されました。出土した石釧をモチーフにしたガイダンス施設では、1号墳の埋葬施設が復元されたほか、郡山市内の史跡などを学ぶことができます。
公式サイトはコチラ↓
上空からの写真がとてもわかりやすいです♪
大安場古墳1号墳はとっても美墳(絵になる♪)
国立歴史民俗博物館教授の松本武彦氏の著書でも紹介されています。
松本氏が出演したNHKの「あなたも絶対行きたくなる! ミステリアス古墳スペシャル」でも、群馬県の保渡田八幡塚古墳や宮崎県の西都原(さいとばる)古墳群、福岡県の王塚古墳など、全国の名だたる古墳にまじり、おすすめされていました。
放送当時、「えーーー、大安場古墳が、保渡田八幡塚古墳や西都原古墳群と一緒に紹介されてるーーー!」と驚き、規模とか内容とかいろいろ違い過ぎて、「う、うちの大安場が、そ、そんなすごい皆さんと肩を並べて、い、いいんでしょうか?」と郡山市民にあるまじき感想を抱いてしまった私です。
大安場古墳、実は古墳研究者や古墳マニアの間では、結構有名なのかも?
松本武彦先生の著書はコチラ↓
【大安場古墳群とは?】
●福島県郡山市田村町大善寺に位置する1基の前方後方墳と4基の円墳からなる古墳群
●1号墳は全長約83m。東北最大の前方後方墳。4世紀後半に築造されたと考えられる
●2~5号墳は、5世紀後半に築造された円墳。近くのムラに住んでいた一族の古墳と考えられる。2号墳では箱式石棺が確認されている
〈大安場1号墳の特徴〉
●墳頂からは長大な木棺を納めた埋葬施設が確認され、石釧(いしくしろ=腕輪)や太刀、槍、土師器などが出土。この地方にヤマト政権と深い関わりを持つ首長がいたと考えられる
●副葬品の配置などから、埋葬されたのは一人説と二人説がある。
①太刀・槍と剣の間に男性一人説
②朱が集中していた付近を頭にして、腕の付近に石釧を置いた女性もいた説
実は松本先生は以前、大安場史跡公園の歴史講演会の講師を務められ、「大安場古墳の被葬者は女性ではないか?」と推察されていました。うろ覚えで申し訳ないのですが、腕輪(石釧)など、副葬品からの考察だったと記憶しています。
さらに後日、他の講師の方も「私も大安場の被葬者は女性と考えています」と発言。
ガイダンス施設では①の説に基づき、男性首長を設定して被葬者を復元しているのですが…💦(しかも音声付き!)
古墳時代の女性首長に関して調べていたら、こんな記事を見つけました。
古墳時代、女性首長は決して珍しい存在ではなかったともいわれます。
果たして大安場1号墳に眠っていた、この地の権力者は男性だったのか? それとも女性だったのか? 今後の調査に期待です!
もう少し“感動”を書きたい、伝えたいけれど、今回は〈学びノート〉なので、これでOK!とするのでした。
次回は記念講演会のドキドキ&ワクワクな内容(個人的に…)をレポートします。
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