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日記:桜の海と手紙

【3月22日】
ファミリーマートのつくね串、初めて食べたけど美味しい。
しかも大きくて嬉しい。

致死量の桜を見た。
いちばん好きな花はやっぱり好きな人たちと見る桜だと思った。

【3月23日】 
辛いことがあった。
頭はマグマのように煮え滾っているのに、あふれて手の甲に落ちた涙は冷たくて、悲しかった。
憶測や言葉や怒りの渦巻きに触れてしまった。うるさいもう全員黙ってくれと思った。
自分の汚いところがドロドロと出てくるのを察知する。
そういうことを思ってしまうときは、距離を上手に取れない私が悪いのだと知っているので、SNSのアカウントを消した。

その晩夢を見た。
泣きながらひたすら嘔吐している。よく知る部屋の床に蹲りながら私はずっと誰かに謝っていた。
吐瀉物ではなく、白くてモヤモヤした得体の知れないものを嗚咽と共に吐き出している。
涙と混ざってカーペットに落ちた染みが、泡のように少し残って消えていくさまが気持ち悪かった。
やわらかいティッシュで息ができないぐらい顔を覆った。

うなされて目が覚めた。
時計を見たら朝の5時だった。

冷たい水で口を濯ぎ、再び布団に入る。

気が付くと夢の国に居た。
おぼつかない足取りで、マジックアワーの中を友達と歩いている。
夕暮れのオレンジから紫のグラデーションが、白い外壁を美しく染めていた。
もう帰ろうとしているのに、歩いても歩いても出口に辿り着かない。カラフルな服を着て愉快な耳をつけたたくさんの人たちとすれ違う。
なんだか誰とも目が合わないな、とぼんやり思った。
私たちだけが人混みに逆行して進んでいるようだった。
どれだけ歩いたのだろう。目指している場所が出口なのか入口なのかすら、もうわからなくなっていた。

やっと人波を抜けた先に現れた大きくて重たそうなゲート。
少し開いている扉の先から、絵の具で塗りつぶしたみたいな真っ暗闇がこちらを見ていた。

目が覚めた。
朝7時。
窓の外は雨だった。

【3月24日】 
昨日まで大好きだった音楽が突然いやになっていた。
しかし耳が塞がっていないと悲しい気持ちがどんどん膨らんで押し潰されそうになるので、好きなラジオを繰り返し聞いた。
とても久しぶりに本を衝動買いした。
きらきらしたシールと、なつかしいキャラクターのおもちゃを買った。
心が傷つくと、無駄遣いが増える。
どうでもいい。
今はどうでもいいものしか受け入れられない。

【3月25日】
重たい身体を引き摺りながら雨の中を歩いて帰った。今日は一段と寒い。仕事で疲弊していたので帰宅してすぐ床に倒れ込んでしまった。

夜中に目が覚めた。

スマホを開いたら
あの日から時間は止まっていること、大切にしていたものが変わらず存在し続けていることを知った。
おとといぐちゃぐちゃにされた心の墓が整えられていくのを感じた。

目が冴えてなかなか寝付けなかったので大きなぬいぐるみを引っ張り出し抱えて眠った。

【3月26日】
抱いていたぬいぐるみが埃っぽかったのか、起きたら鼻がむずむずした。
昨日より少し心が軽い。

ひと月ほど前から、少しでも体力をつけるためにいつもはバスに乗るところを徒歩にして、これまでより30分ほど多く歩いている。
通勤用の靴とカバンも軽いものに替えた。
道路沿いに住宅やコンビニが並んでいるだけの何の変哲もない道だが、まっすぐ歩いていると突然現れる夜桜スポットがある。といっても、そこで花見をできるようなスペースもなく、特に誰も立ち止まらない。
2本の桜の木の間に、1本の街灯が窮屈そうに立っているだけなのだ。
桜と街灯。 どちらが先にこの場所に根ざしたのだろうか。
桜を美しく見せるための灯ではなさそうな距離感なのに、花びらがぼんやりと白く縁取られているから見惚れた。
この「たまたま照らされている桜」と「たまたま照らしてしまっている街灯」という関係がおかしくて好きだ。
「うっかり夜桜」と呼んでいる。

この前買ったおもちゃを母に見せたらピンときていないようだったので、「おじゃる丸の・・・」と言った途端
「あーー!!」と大きな声で叫ばれた


「ツッキー!!」


ツッキーだよ
ラベンダー、ミントグリーン、クリーム色。つるんとしたフォルムがかわいい。

母、私がどんなガラクタを買ってきても否定しないで「かわいーじゃん!」と言ってくれる。珍しい親だな…(?)と思っていたが、
私の母も父も大概ガラクタ好きだと最近気がついた。


【3月27日】
好きな子からお手紙が届いた。

【3月28日】
連日続いている雨が上がった。
縁石に沿って終着している桜の花びらが小さな川みたいだ。
花は散るから美しいなんて、誰が言ったんだろうか。
「儚い」なんていらないから、ずっと咲いていて欲しい。

「うっかり夜桜」の下で、ふたりの男の子がスケボーの練習をしていた。

【3月29日】
ピザ食べたい。

【3月30日】
どんなにハッピーなお祭りを見てもあの日のことを思い出すからまだ全然ダメだと思った。

【3月31日】
好きな服を着た。
好きな色で爪を塗った。
お気に入りの靴を洗った。
美容室で髪をきれいに切り揃えてもらった。

好きな子からのお手紙を読むために海へ向かった。
なぜわざわざ海に行ったのかというと、ずっとずっと海が見たかったからという理由と、特別なものを、もっと特別にしたかったから。
だけどこんなに恋焦がれた海まで、電車に乗ってしまえばあっと言う間だった。
海ってもっと遠くて、特別な時にしか行っちゃダメな場所だと思ってたけど、違うみたい。

海岸に桜が咲いている。
誰かが落としたのか、青色と黄色のスパンコールが砂浜に散らばっていた。
遠くに腰を下せそうな岩場があったけど、少しでも海に近い方がよくて波打ち際に手ぬぐいを広げて座った。

波の音。
お手紙を読んだ。


何度も読み返したあと、
日が落ちて、風がつめたくなるまで海のスケッチをした。


生まれてきてよかった。涙が出た。


誕生日の前日なので「遺書」を書くために
途中下車して喫茶店に入った。
もちろん、ほんとうの遺書というわけではない。
この歳であった出来事をどばーっと紙に書き出して、思い出す。
私は辛いことにばかり気を取られがちなので、嬉しかったこともちゃんと書く。
明日からどうなりたいかも、書く。
この一年の自分を決着するためのものなので、心の中で「遺書」と呼んでいる。

私は毎年誕生日が近づいてくると、この一年間なにも成せていない焦りで胃が痛くなる。何もできてないわけじゃないのにすぐ見えなくなっちゃうから、この「遺書」を始めた。誤解されるので人にはうまく話せないが、自分にはこの呼び名がしっくりくる。
思っていたより嬉しいことがたくさんたくさんあった。去年の自分より今年の自分が好きだと思えた。
帰宅してから、大好きな春雨を入れたあったかいお鍋を食べた。


数少ない自分で自分のことを褒められるところは、どんなに辛いことがあってへろへろになってももう無理だと思っても惰性でもとにかく生き延びているところだと思う。昨日全然ダメだと思っても生きている。
そしてそれは、好きな人やものたちのおかげなんだと知っている。

毎日は続いてるから、誕生日になった瞬間スイッチが切り替わるみたいに生まれ変われるわけじゃないけれど。
何歳になっても、伝えることを諦めないひとで居たい。



がんばるぞ

2023.03.31


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