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「尊厳とアイス」について考えた夜

雨上がりの夜空は少し重くて、ちょっぴり近く感じる。私は大股で、交差点を渡った先にあるコンビニに向かった。
お目当てはアイスクリーム。最近、はまっていたレモン味のアイスを買いに、わざわざやってきたのだ。
それなのにレモン味のアイスは薄情者だから、他の人のもとに旅立ってしまった模様。ため息がてら手を伸ばした先にあったのが四角い「カップアイス」のバニラ味だった。

その角張ったパッケージに、ふとある人の顔がよぎる。そういえば、このアイスクリームをビニール袋いっぱいに詰めて、我が家に立ち寄り、子どもたちに分け与えるでもなく「これは私のだから」と、颯爽と帰ってしまった人がいたっけ。

私は四角い「カップアイス」とビールを持ち、レジへと向かった。四角い「カップアイス」を左手で持って美味しそうに食べる彼女に、また会いたいと願いながら。

♢♢♢

その人は、天然パーマを背中まで伸ばした、一見、魔女のような容姿の女性だった。いつも身綺麗にしているものの、すこし間の抜けた愛嬌がある。
お酒は強そうに見えて案外弱くビールを飲んではうたた寝をして、よく椅子から落ちそうになっていたっけ。私から見ても、ちょっと変わっていて不思議な魅力を持つ人だ。

私の母である。

そんな母が数年前、脳梗塞で倒れた。灰色の病院に駆けつけると、白い人たちに囲まれた母は、管だらけになっていた。
それでも彼女は持ちこたえ、退院後は自宅で過ごしている。左半身に麻痺が残ってしまったため、四角い「カップアイス」を左手で持ちながら美味しそうに食べる姿は、もう見られないけれど。
その後、私たちは二世帯住宅で暮らすようになった。「もしも」のとき、すぐ駆けつけられるように。

◇◇◇

「お風呂に毎日入りたいが、入れない」
と母が言った。親世帯のリビングで話していた時のことだ。
よく覚えていないが、とにかく私は何も考えずに「まあ仕方ないじゃん、そういう体になっちゃったんだから」と答えた気がする。

それに対して母は
人には尊厳がある。生きることは尊厳を保つことでもある
と言ったのだ。

私を通り越して全世界に訴えるかのように、しっかりと。これまで、幾度となく母に怒られてきた。でもこの言葉から発せられた感情は、そういう日常的な怒りや哀しみとは違う場所から生まれていた。心の奥底のマグマのような部分から吹き上げられたその言葉の威力が強すぎて、彼女の周りに結界が張られた気さえしたのだ。
私は母の世界から分離したような寂しさと、そんなことを言わせてしまった申し訳なさで、混乱した。生きていくなかで「尊厳」という言葉を操ったことのない私は、やさしく寄り添うことも、寄り添うために深く尋ねることもできず、ぼんやりと言葉だけを頭の中で反芻することしかできなかった。

それから数日後、「私にとっての」事件が起こった。

当時、小学校1年生だった息子が、二世帯住宅の母の家に行き、猛ダッシュで戻ってきたのだ。

「どうしたの」
と訊くと何とも居心地の悪そうな表情を浮かべ、サッとアイスを隠した。

母(ばあば)は親世帯用の冷凍庫に孫用のアイスをたんまりと用意している。食べ過ぎないように、1日1個 ずつと決めて、毎日渡してくれているのだ。
「もしかしてそれ、ばあばに黙ってもってきたの?」
息子はバレたか、といった表情を浮かべながらこう言った。

ばあばは足が悪いから、走れば大丈夫

半身麻痺のばあばが相手なら、アイスクリームをたくさん持ってきても何とかなると思ったようなのだ。

私は泣いた。

息子は母が元気だった頃を知らない。息子からすると母は「左手と左足が動かない、髪の毛の短いばあば」なのだ。

自転車に乗り、アイスクリームをたらふく買ってきて、ロングヘアを揺らしながら颯爽と我が家にやってきた、魔女みたいな「ばあば」を彼は知らない。
だから余計に悔しかった。
どうしても息子にばあばの気持ちを分かってもらいたくて伝えたくて。しつこく話した。
「ばあばが何でアイスを1本、1本渡してるか分かる?毎日、君たちに会いたいからだよ。君たちの喜ぶ顔が見たいからなんだよ」
息子はきょとんとしているが、私はどんどんヒートアップしていく。泣きながら、悔しくて悔しくて。
「本当はばあば、君たちをぎゅうって抱っこしたいの。できなくてたくさん悔しい思いしてるんだよ。それなのにどうして『足が悪いから、走れば大丈夫』なんて言えるの」「ばあばに対して、バカにした態度とるのは絶対に許さないから。私のお母さんなんだよ」
息子は最終的に泣いた。私の言っている意味がどこまで伝わったのかわからない。もしかしすると、私がすごい哀しそうにしていて、どうしたらいいか分からずに泣いたのかもしれない。
同時に息子を叱りながら違和感を覚えていた。そのときは、違和感の正体に気づけずただただ泣いていたけれど。

◇◇◇

コンビニで買ってきたお酒を飲みながら、ふと母が椅子に座りながらうたた寝をする姿を思い出す。
あの時は、自由に缶ビールを開け、好きな時間にお風呂に入り、元気に過ごしていた。そういう「当たり前」ができない日常とは、どういうものなのだろうか。
以前、母に「尊厳」の話しを振られる前に、こんなことがあった。
古い友人と映画の脚本を作ろうという話しになった時のことだ。どんな脚本がいいかな、なんて母に話しているとぽつりと母が口を開いた。
「尊厳についての映画を撮ってちょうだい」
と。
重い、重いよ母ちゃん……なんて思いつつ、友人に話した。
「それは難しいテーマで、簡単に手を出していいとは思えないんだよね」

その時は「そういうものなんだ」と思ったけれど。今は違う気がしている。
正直、これまでは友人同様、尊厳とは一般の人が考えるようなものではないと思っていた。もちろん、当たり前の概念として知らなかったわけではないけれど、すとんと私の中に「尊厳」という言葉が落ちてくるには、尊厳は遠い存在であり過ぎたのかもしれない。
しかし母の言葉によって、もっと身近で誰にとっても大切なことだと感じられたのだ。
私はそれができなかったから、母を傷つけてしまった。深く、深く。尊厳について語りたくなるくらいに。
きっと人には、どうしても譲れない、無くしてもはいけない。踏み込んでもいけない。保たなくてはいけない。そういうものが存在しているのだ。だから尊くて、それに敬意を示すのだ。
私にはそれが足りていなかったと、思うと母に「ごめんなさい」でいっぱいになった。
◇◇◇
ハッと、目を覚ます。
椅子から落ちそうになり、慌てて態勢大切を整える。いつからだろう。私もビールを飲むと、母のように「うたた寝」をするようになったのは。そのたび、椅子から落ちそうになる。親子は似るというけれど、変なところが似てしまったようだ。
ふと、思う。
息子を叱った時に感じた違和感の正体について……。
あの時の「息子は、私自身」だったのだ。
母を蔑ろにした息子を叱ると同時に、母の尊厳を踏みにじった私自身をも怒っていた。それが正しい行動なのかどうか分からないけれど、あの時の私には、それが精一杯の母への「ごめんなさい」だった。
さて、母に感謝を伝えられる年数は、あとどれくらい残されているだろう。
だからというわけではないけれど、「カップアイス」をおつまみにお酒を飲む夜は、とても尊い。
私だって、いつまで続けられるかわからないけれど。母との時間も、私の健康も。意識的にこうしたいとか、こうありたいと思いながら生きていかないと、きっと後悔するんだろうな。
後悔しないように残りの人生を歩んでいきたい。

そして母、生きてくれててありがとう。

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