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【願いの園】第一章 06(1)

この島の街並みは中心部に向けて変化していく。端っこは油っこく無骨な世界。そこに、豪快かつ華麗なバロック様式のような装飾が多くなっていく。例えるなら飲み屋街に美しい彫刻が設置されていくような感じ。
私たちが下車したのはそれがちょうど半々ぐらいのところだった。

「ここに来たら、行く場所は一つですよね」

間違いない。私は大いに頷いた。

私たちは列車でショートカットしてきたけど――アニメでもカットされてるけど――主人公たちはここまでをずっと徒歩で進んでいく。そして、この先で、敵の命令で襲ってきたロボットにヒロインが連れ去られる。

そこのシーンは強烈なので行かない訳にはいかない。

簡素な駅舎だけが立つ質素な駅を出て、石畳の道を行く。ヨーロッパに実際にありそうな伝統と都会の入り混じったぐらいの街並みだ。整えられた植木、野生の動物、そして機械の犬などとすれ違いながら数分、商店街に到着した。

ここは少し様子を変える。

赤くサビたアーケードがずっと奥へ分岐しながら続き、太陽を遮られランプで照らされた茶褐色の街並みはスチームパンクの気配を取り戻している。行き交うロボットたちによって活気づいて、さながらロボットの街だ。

その中を歩いていく。

服屋、雑貨屋、本屋、飲み屋……人間とロボットが共存していたと思わせる様相を呈し、ショーウィンドウから店内を窺えば、飲食や買い物などロボットたちの営みがあった。
少しノスタルジーを感じつつ。

寄り道せずに歩き続け。

やがてアーケードを抜けて広々とした明るいところに出た。建物のサイズも装飾もダイナミックで、その街並みはバチカン市国に近いと思う。その大きな通りをまっすぐ歩いて、突き当りで立ち止まる。目的の広場だ。

サーカスでも催せそうな広さの半楕円形で、背の高い集合住宅に囲われている。奥には巨大な時計台がある。北欧にありそうなデザインで、高さが百メートルを越えるため電波塔のように周囲から突き出ている。

作中ではたくさんのロボットが露店を開いて賑やかだったけど、今は石畳しかなかった。しばらく待てば集まってくるかな。

「確か藤田さんが言ってたと思うんですが」

河西くんが言った。
こちらに真剣な表情を向けていた。

「この世に魂などの霊的何かが存在しないと仮定し、人間の機能は全て脳というコンピュータが処理しているとするならば、人間は有機的なロボットと言える。つまり自由意志など無く、刺激に応答するだけの、自然法則に従って動く物質と波の集まりに過ぎない。非合理的な決定だってそれを選ぶ確率が上がるように機械学習したのと変わらない――そうですよね?」

うん、確かに言った。

ヨタ話にも聞こえるけど、物理学、脳科学などについて調べるとこういった理解ができてしまう。クオリアの問題がどう解決されるか分からないけど、無意識が存在する時点で『自分で決めたと思い込んでる可能性』が十分にある。

「これは今でも変わりませんか?」

事務的で感情の無い質問だった。どういう意図か読めない。
ポケットからメモ用紙と鉛筆を取り出し、すぐそばの建物の壁の、できるだけ平らな石の上を選んで、返答を書いた。

『今こうやって考えて、言動の決定を行うことも、脳が勝手にやってることの一部を体験してるに過ぎないと思う。そのうえで、自由に決めてると思うことにしてる』

くすっと彼は笑みをこぼす。

「良かった。ちょっと心配してたので」

以前この話をしたときの反応は『よく分からない』といった具合だったけど、今の彼は充分に理解できてそうだ。だったら心配するのも無理はない。こんな自己否定の極致みたいな考えをしていたらニヒリズムに陥る。実際そうなった。

でも大丈夫。今はそれなりに克服できている。

……そうだ。今、言っておこう。

『いつも心配してくれてありがとう。ずっと支えになってる』

なかなかの恥ずかしさを耐えて、なんとか見せた。

河西くんは目を丸くして、すぐさま目を逸らし、珍しく露骨に照れてる様子で首を掻きながら言った。
「いやあ、役に立ってたなら良かったです」

なんだか今までで一番うれしい瞬間かもしれない。照れ笑いなんて初めて見る。

浮ついた気持ちが視線を泳がせる。

それが見えたのはちょうどそのときだった。

河西くんの背後――広場の中央に、どすんと大きな音を立てて何かが垂直に飛来した。その衝撃が大地を軽く揺らし、驚いた河西くんが振り返る。

ロボットだ。でも汎用型とは異なる――ブドウのように赤みがかった紫色が金属の光沢を放ち、汎用型より一回り大きい――戦闘型だ。それは猿のように四つん這いをして、今にも襲い掛かって来そうな体勢。ヒロインを連れ去ったのはこのタイプだけど。まさか。

疑いはすぐさま確信に変わった。

戦闘型は四つん這いのままこちらに走り出した。コモドドラゴンを思わせる重厚感と不気味さを兼ね備えた突進。その速さは車並みである。

私たちとの距離は数十メートル――バスケットコート一つ分ぐらいしかない。逃げられる訳がない。いや、それでも!

すぐ近くに狭い路地がある。そこに向かおうと振り返った――その瞬間。

目の前に別のロボットが下りてきた。『空輸モード』の汎用型だ。地面から数十センチのところでドア(腕)を開けて滞空する。私たちを運んでくれたロボットか判定したくなったけどそんな暇はない。私たちは即座に羽をひとっ跳びして乗り込んだ。跳躍力の違いで河西くんが追い越して、私は彼の背中に抱き着く形になった。

直後ドア(腕)が閉まり、同時にブルンと羽が震えて、ロボットはバネのように勢いよく飛び上がった。直後戦闘型が真下を通過し、文字通り間一髪だった。助かったぁと長い息がこぼれる。

ロボットはそのまま何メートルか上昇してホバリングに移行。ほぼ同時に戦闘型が何メートルか先で止まり、すぐさまこちらに向き直った。まだ諦めていないようだ。

「彼女はここの王様です! 止まりなさい!」

河西くんが片手を私のペンダントに差し向け、大声で警告を発する。

しかし、

「ダメだな」
河西くんは深刻に呟く。

戦闘型は両手を広げ、両腕両脚を飛行機の翼のように薄く伸ばす――飛翔モーションに入った。

「中心部に向かって逃げてください」

命令を受け、ロボットはブルンと羽を震わせ一直線に空を翔けていく。時計台を横切り、その先へ。
すぐさま戦闘型も飛び上がった。胸元のブースターから桃色の光を激しく噴出して追駆してくる。

汎用型の強みは小回りが利くところであり、速度の面では向こうが上だ。直線だとすぐに追いつかれる。加えて向こうはレーザーを撃ってきた。白い光がすぐ横を通り過ぎていく。アニメとは違う。普通に殺しに来ている!

こちらのロボットは高度を下げた。建物を縫うようにグネグネと飛び、障害物で射線を外すように試みる。作戦は有効だったらしくレーザーの数が減った。それでも時折背後を取られてレーザーが飛んできた。ランダムに動いてなんとか躱しているけど、いつまでもつか。

「どうする……」
彼はボソッと呟いた。その表情は険しい。

私もただじっと乗ってる訳にもいかない。何か考えないと――いや、なに分からないフリをしてるんだ。代行がダメだっただけで私が最高権力者である事実は揺らがないじゃないか。

「藤田さん、伏せて。――レーザーを撃ってください!」

ロボットの首が一八〇度回転して背後を向いた。私は慌てて頭を下げて、直後、目のような穴から白く細い光が放たれた。

もぐらのように顔を出して確認すると、数十メートル離れたところで戦闘型は姿勢を水平へ直すところだった。損傷した様子はない。
「やっぱダメか」

向こうがまたレーザーを撃ってきて、こちらのすぐそばを通過する。おそらくこちらのレーザーが当たるなら向こうのも当たる。

「となると……」
ロボットとともに河西くんは前を向き、辺りを見渡す。

すでに街の外れまで来ていたようで、背の高い建物が急激に減っていき、すぐさま建物自体がほとんど消えてしまった。代わりに農地と森林、水路や溜め池が出現した。僅かに散在する建物は、その様式は確かロマネスクと言うんだったか、主に石造りで、アーチが多用される。それはさておき。

とにかく、これで撃たれ放題となった。

「この先に地下に入れる穴がありますよね。そこに向かってください」

それは確かロボット専用の出入り口だ。なるほど、河西くんの企みが分かった。

となると、そこまで逃げきれるかが勝負になる。

……いや、何を考えてるんだ。

なんで私は逃げてばかり――。

ロボットが地面スレスレに高度を落とす。舗装されていない道のため大量の砂を巻き上げていく。この煙幕が効いたのかレーザーが止まった。でも、ブースターの音はここまで届いている。いや、近づいている――直後、砂煙に一瞬の影。

それを切り裂くように赤紫の巨体が飛び込んできた。馬乗りにできる位置取りである。視界いっぱいにその姿が映し出され、反応の余地すら許さない状況。

しかし。
ブンッ。と羽を羽搏かせていたことに気づく。ロボットはすでに急加速しており、ギリギリのところで回避に成功した。戦闘型はそのまま地面に突っ込み、大量の砂を巻き上げる。

それを眺めながら、ロボットは大きく傾いて旋回する。

「もう今のは使えませんね。明らかに羽の動きが悪くなっている」

確かに羽の動きが鈍い。扇風機の回転が遅くなるのと同じで、さっきまで上下で止まって見えた羽が、中間が増えて断続的に見えている。

戦闘型の様子を確認してみた。米粒ほどに見えるほど距離が出来てるけど、たぶんすぐに追いつかれる。

このままでいいの? 問い掛ける声がした。

分かってる、ダメだって。そりゃ何もできないならじっとしておくべきだけど、私にはできることがある。

私の声は一生失われた訳じゃない。
取り戻せる。

いつまで引きこもってるつもりだ。

ロボットは森林公園に突入し、中央のひらけた場所まで来た。テニスでもできそうなサイズのガゼボが建っていて、その下に、半円状をしたトンネルが口を開けている。ロボットはそこへ突っ込んだ。

数秒、抜けた先に、油のにおい漂う都市が広がっていた。東京タワーがちょうど収まるぐらいの高さを吹き抜けにしてあり、開放感があるけど、天井を支える無数の柱が物々しい雰囲気を演出している。石造りの街であり歯車とパイプの張り巡らされた街である。立ち上がる蒸気で工場地帯の無骨さを感じつつ、白熱電球のような白い光に照らし出されたその薄暗さが神秘的な雰囲気も漂わせている。そして壁に埋め込まれた夥しい数のロボットたち。

ここは防衛拠点の役割も持っている。
なぜならこの先に――

「神殿へ行ってください」

河西くんは言った。
神殿に行けば島の各機能を全て自由にできる。つまり彼は、それで戦闘型を止めようと企んだ訳だ。

ドンッ、と背後から荒々しい音がして振り向けば、戦闘型が勢いのあまり柱にぶつかったようだった。崩れた破片がボロボロと落ちていく。

しかしすぐさま飛び立つ。学習したようで、今度は身体を縦にするというアクロバティックな飛行方法で柱をすり抜けていく。
速い。

このままじゃまた追いつかれる。

いや、でも、ギリギリ神殿まで行けるんじゃない?
河西くんの作戦はまだ成功するかもしれない。

そう期待している自分がいた。私はこの期に及んでまだ逃げようとしていた。

ふざけるな。

作戦が成功するからいい? 殻を破りたくないって甘えでしょ。

甚だ不快。

結局私も母さんと同じだ。自分の間違いに気づかずに、もしくは何かと理由をつけて自分を正当化して、変わることから逃げて逃げて逃げ続けて。ああ本当に情けない。

つらいのは分かるよ、だってこんなの、自分に対してアンチになるのと同じだから。だけど、甘えてたら変わらない。

もういい加減逃げるのはやめようよ。

そんな自分はもう叩き潰してしまえよ。

神殿に繋がる通路が目前に迫る。入口は狭く、ギリギリ通れる程度。流石に一瞬減速した。まさにそこを狙われて、閃光が横切った。直後ロボットがバランスを崩す。羽をやられたんだ、と気づいたときにはぐるんと横転して、私たちは地面に投げ出された。ザラザラした石が敷かれた通路の中を転がって全身を打ち、壁で頭も打ったところで止まった。

痛い。しかしうめいてる余裕もない。くらくらする頭を無理やりに持ち上げて、入口の方を見る。戦闘型が入口を塞ぐようにして四つん這いとなっていた。逆光でその姿は薄暗かったけど、目が合うようだった。

レーザーの光が集まる。

ヤバい、と理解しても身体はろくに動かなかった。痛みもあったけど俊敏さの問題もあって、できたのはせいぜい半身はんしんを起こすことぐらい。

為す術もなく、レーザーが放たれた。

まばたきもできなかった。その眼前に、鈍色の手が差し出された。ロボットは『空輸モード』から人型に戻っており、這いつくばる姿勢で腕だけを伸ばしていた。

その手がレーザーを受け止める。一瞬にしてじわっと赤や黄色に変色し、そのまま腫れあがって、内側から爆発するように破裂した。どろりとけたものが撒き散る。

そのかんに私は咄嗟にロボットに手を伸ばしてしまっていた。懺悔するように。だから反射的に頭を守ろうとしたけど間に合う状態じゃなかった。でも横から勢いよく河西くんが現れて、私の両腕を折りたたむように押し戻しながら、覆い隠すように私を抱きしめた。

視界が彼の胸で真っ暗になり、代わりに聴覚がベチャベチャという付着音を捉えた。河西くんから衝撃が伝わる。いや、痛みに震えたのかもしれない。

河西くんはすぐに私から離れて背中を壁に押し付けた。煙が上がるのが見えて、燃えかけたのだと理解する。彼は当然険しい表情をしていたけど、でもそれは状況の悪さに向けられたものに窺えて、事実、戦闘型は攻撃の手を休めるつもりはないようだった。狙いは私であり、レーザーの予備動作に入る。

膝をついた姿勢の私に逃げる余裕はなかった。このまま殺される。そんなことを直感的に悟った。思考がほとんど停止する。視界が端から白に塗り変わっていく。助けてくれたロボットのことも、河西くんのことも、それどころか暑さや恐怖といった感覚すらも消え去って、真っ白になって、ただ目の前の戦闘型だけがくっきりと切り取られた。

同時に、胸の辺りに熱いものが湧き上がった。マグマが煮えたぎるような激情――それは、やらなければならないという絶対的な使命感。

一気に込み上げり、

衝き動かされるようにして、

私は叫んだ。

「止まれええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

タガの外れた大音量。

無理やり吐き出した声は、聞くに堪えないおぞましい音をしていた気がする。それは通路内を埋め尽くすように響き渡り、直後、ペンダントから桃色の光が噴き出した。放射状に伸びたそれは、ぐるりと回転し、俄かに収束して、一つの線となると、戦闘型の胸に埋め込まれた桃色の石と繋がった。

ピクっと。
戦闘型が動きを止める。

そして、穴に集まっていた光が霧散していく。それに合わせて石の光が収まっていった。
がらんと闇を取り戻す。代わりに頭部で光が点滅し、ゆらりと立ち上がった。そこに攻撃の気配は窺えない。

止まってくれた……。

胸を撫で下ろす。途端に思い出したように喉が痛み、げほっ、げほっ、と咳き込んだ。余計痛くなって顔をしかめた。

あー、痛い。
痛いなぁ。

自然と口角が上がる。きっと私は今とても変な顔をしている。そうに違いない。

「藤田さん」
河西くんがそばで膝をついた。私の肩に手を置き、

「ありがとうございます。助かりました」

なんだか喉の痛みが引くような気がした、錯覚だろうけど。それより、

火傷とかしてない?
尋ねようとしたのに声が出なかった。痛みではない。信じられず私は喉に触れる。

あー、と河西くんは心当たりがあるように言う。

「喋れない状態で習慣づいていますからね、しばらくは意識して動かす必要があるかもです」

筋肉や脳に染みついた動作パターンに邪魔されるってことかな。なら、違うパターンを学習させなきゃいけない訳だ。私は声を出したときの感覚を思い起こし、マイクテストの感覚で再現を図る。何度か試してるうちに、

「あ、あ、あー、あー。うん、出る」
少し不格好な調子だったけど、なんとか声になった。

よし。と意気込んで、

「火傷とかしてない?」
「ああ、大丈夫ですよ、燃えにくい素材なので。ほら」

河西くんは立ち上がり、くるりと回って背中を見せる。目を凝らして見ると……確かにあまり損傷はない。所々灰色に汚れていて、鈍色の小さな塊がいくらかこびりついてるぐらいだった。とはいえ断熱性があるかは別問題だ。

河西くんが向き直るのと同時に私は立ち上がり、それから深く頭を下げた。

「助けてくれて、ありがとう」

「いいんですよ、お互い様です」

いやいや。

「ずっと感謝してばかりだよ。河西くんのおかげで私は、」
言いかけて、いきなり涙があふれてきた。急なことに自分でも戸惑ってしまう。
でもすぐに、泣きたい理由が追いついてきて。

もう止められなかった。

両肩に優しく手が置かれた。顔を上げると、彼は何も言わず微笑を浮かべていて、私はその手に触れて、声をこらえながらしばらく泣いていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます