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【願いの園】間章2

「よし、完成」

原稿を一枚両手で大切に持ち上げて、リチャードは満足そうに言った。それは漫画の一ページ。一人の青年が不満そうな顔をして『演劇部』のプレートが掛かったドアの前に立っている絵だ。

その姿を一瞥し、祷吏は溜め息をついた。事切れたようにテーブルに突っ伏したままうめくような声を出す。

「今度こそはとおってほしいよなぁ」


切実に、しかし諦めが多分に含まれていた。何度も何度も新人賞に応募して、悉く結果が振るっていない。期待だけを持つには心が丈夫ではなかった。

リチャードがそっと用紙を下ろす。ジトっとした目だった。

「二ヵ月後が楽しみだなー。今回は緋呂から手厚い情報提供を受けてるから、落とせないもんなー」

「わざとらしいぞ」

「わざとだし」

「……分かったよ、もう」


弱音を言っても仕方ない。なるようにしかならないのだから。だいたい、無理だったらまた次に挑むだけ。何度だって挑むだけなんだから。

祷吏はのそっと身体を起こす。テーブルには紙の束が丁寧に重ねられている。その一枚を少しめくると、自ずと口の端を吊り上げてしまい、さっと元通りに戻した。また溜め息が出そうになって、そっぽを向くようにして力無い目を窓の外に向けた。

マンション五階の角部屋、その共用廊下じゃない方の窓からは新緑の美しい森が見える。ちょっと目を凝らせば、手前の方に限るが、葉の一枚一枚が確認できて、生命の輝きをよく観察できた。

「もうそろそろ五月か」

「俺んちで黄昏んなよ」

即座にリチャードからツッコミが飛んできた。
そりゃ鬱陶しいだろうけども。

「二人合わせて『河篠かわしのかない』だろ? つまりここは俺の家でもある」

「訳の分からん理屈を持ち出されても分からんぞ」

「そうだな、その通りだ」

祷吏は可笑しそうに苦笑した。

「頑張るしかないんだ」


――ああ、すでに懐かしく感じる。


「やっと見つけましたよ」

ソファに寝転がってウトウトしていた祷吏は、声の主をうっすら確認すると、すぐさままぶたを閉じた。ここは天守の最上階。望楼型という全方位を見渡せる形式だが雨戸は一面しか開いておらず、兎梅はそこから入っていた。板張りの上に靴を履いたまま立ち、腰に手を当て口を尖らせている。

祷吏は別の音に耳を傾けた。部屋の片隅にはグランドピアノがあり、祷吏そっくりの青年が繊細なタッチで情緒的に演奏している。

「ジムノペディですか」兎梅は無感情に言った。やや冷めた視線だ。「よくもまあ飽きずに何度も聴けますね」

「好きだからな」

今弾いてるのは第一番。もう終盤に入っている。

「それはそうと」兎梅は改めて口を尖らせた。

「どうしてこちらに?」


「そろそろ終わりだからな、充分に堪能しようと思って」

「ピアノをですか?」

「遊園地全体だよ」祷吏は可笑しそうに微笑して、身体を起こす。「この地獄のような場所も、長くいれば愛着も湧くみたいだよ。それに、施設の構想が最終調整の段階だ」

「それは良い心がけですね」

「トメちゃんはなんで来たの?」
「少し話し合いがしたくて」

祷吏は床を指差した。

「なぜ遊園地のド真ん中に松江城そっくりのお城が建っているのかって話なら、デザインが俺の好みだったからって結論が出たじゃないか」

「違います。藤田さんの話です」


曲が変わる。
リストのラ・カンパネラ。


「歓迎会を開こうと思ったので、そのご相談に」


それを聞いて、祷吏の表情がスッと険しくなる。

「やめようぜ。あと一週間で会えなくなるんだから」

「関係が深まれば感動も深まりますよ」
「冗談はやめろ。まさか藤田さんに何かやらせるつもりなのか?」

不審の目が向く。

動作の一つも見逃さない狩人のような視線に、兎梅は思わず口元を緩ませていた。

「確かに思惑はありますけど、あくまでルールに基づいた行動です。それに、全ては河西さんのためですよ」


「頼むから傷つけないでくれ」

ふっと鼻で笑う。兎梅はたえられなかった。

「傷つけるのは河西さんの願いのせいでしょう?」


無感情な声であり表情だった。

祷吏から燃えるような反抗的な目が返ってくる。しかしそれもすぐに鎮火して、一転、光が失われていく。

呆れたように短い息を吐き、兎梅はピアノを弾く青年に向く。

「『Merry Christmas Mr. Lawrence』を弾いてもらえますか?」

祷吏はソファに力無くもたれて、闇色の瞳を天井に向けた。

「そうだな。それは否定のしようがない」


しかし。
重々しく兎梅に向き直る。その瞳に宿っていたのはにぶい光――まごうことなき敵意である。


「そっちが藤田さんを止めないなら俺が直接言う。どんな思いをさせても、これ以上はダメだ」

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