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新たなコモンズにつながる?
今日は新年度になって世の中が慌ただしく変化している。
大学にいると、職員や新入生とおぼしき人がキャンパス内をうろうろとあるいは忙しく移動している。特に、今年は大学キャンパス内に新しく学生寮ができたこともあって風景もだいぶ変わったような気がする。
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建築を学ぶ人間にとっては、キャンパス内に学生寮ができることに少し興味を持っている。それは、山本理顕が提唱している「一家族=一住宅」という現代的な図式に対して異なる解釈ができるからだ。山本氏はこの現代的な図式に起因して「閾」という中間的領域の喪失を語っており、それは今の街中にみられる「公」「私」とそれぞれ独立した関係性につながっている。
話を戻すと、通常は学外(街、住宅街、実家etc)に住む学生は、感覚として「大学」と「住居」それぞれに独立している。「大学」での授業と「住居」での暮らしと言いた具合に。それが「大学>住居」という内苞関係に変化する。さらに言えば大学の上位には都市・街が出てくるので「都市>大学>住居」という関係性になる。この図式だと住居は大学というコミュニティに常に属していることとなり、そこに住む住人は共同体意識を感じやすいのではないか。
さらに大学内の施設(図書館、食堂、体育館、運動場etc)を社会的インフラとして捉えてみると、学生寮の住人はそれらうまく共有利用して生活することが可能なはずだ。(実際には、住居プランはよくある1Rタイプで家具家電付き)
つまり、プライベートとプライバシーでがっちり縛られた住居に閉じこもるのではなく、社会的インフラに依存して住まうことはこれからの住まい方の新しいモデルに繋がるのではないかと感じる。
山本氏の言う「閾」という領域性はいわば「大学キャンパス」として捉えてみると、人間的活動の場として機能することとなり、コモンズ形成のヒントになるのではないか?
そんなことを思いながら、キャンパス内をうろうろとしていた。
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