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友達ができるということ

いつからが友達で、どこからどこまでが友達なんだろう?


以前の僕は、自分の事が友達を含めて、”他人に知られる”という事がかなり苦手だった。
だから干渉的なひとだったり、ひとのことを逐一詮索するような、いわゆる”昔の”おばさんみたいなひとが大嫌いだったのだ。


いや、世の中のおばさんがみんなそういう性格をしているとか、特徴を持っていると言うのは間違いだが、”大体のイメージ”として話ているし、今の世の中に混在するおばさんに、そういった特徴を持つひとに出くわした事が僕はあまりない。だから敢えてここでは”昔の”と言わせていただく。


そういうひとが苦手だったのはたぶん土地柄もあるんだろうけど、時代や家柄も関係あるんじゃないかと思う。
で、僕の生まれ育った土地や家はまさにそういう場所だったというわけだ。


たまにそんなひとに出くわすとどうなるのかというと、気持ち悪いという感覚もあるし、ちょっと困るような気持ちにもなる。
その後はちょっと距離が離れて(距離を置いて)、親しくもなければ友達でもない、知り合いの端っこ的な位置にそのひとを置いて自分の生活圏に入りこまないようにするのだ。今考えるとちょっとひどいけど、今の時代でもそういう位置のひとっているものだ。しょうがないかな。


だからだろうな。僕を含めて、家族みんながそんな感じなもんだから、友達を家に連れて来ることはあまりない。
友達を連れて来ると家族はちょっと静かになってあまりこっちの空間に入り込まなくなって、自分も含めて疎外されているような、そんな気になる。
そんな環境だから、友達を連れて来ても楽しくないのだ。
(とは言いつつも、自分の家族が友達を連れて来たら、自分もそんな感じなんじゃないかと思う。何か触れてはいけないような空気をお互いに流すのだ。何だか、それだけ聞くとちょっと笑ってしまうな。)

そんなような空気感で遊べるわけはない。声は小さくなるし、ガチガチに緊張してしまって気持ちが焦ってしまい、最終的に楽しくない。「早く帰ってくれないかなぁ」なんてすら思ってしまうのだ。



みんなはどうなんだろうか?友達が家に来ると、気持ちが焦らない?


ただ、ひとり暮らしをしていると、そんな事はない。
家族はいないし、自分だけの空間だからそんなような気持ちにはならない。
どちらかというと、突然遊びに来ても差し支えないくらいだ。部屋はそんなにキレイじゃないんだけども。

5年くらい前に遊んでいた友達もたぶん同じようなもので、確か3歳くらい下だったのだが、お互いの家に寝泊まりもするくらいに仲が良かった。
僕はあんまりひとん家に泊まりに行ったりしないし、泊まったとしても早く目が覚めてしまって落ち着かない。
だけど、なんだかんだで僕は心を許している唯一の友達だったんだろうと今考えて思う。泊まりに行くなんてそうそう無いことだったから。
それでも緊張していたんだろうか。よくわからないけど、夜のドライブとかカラオケとか、安い缶ビール呑んだりとか色々して楽しかったな。
朝は、僕がフレンチトーストとコーヒーを作ったりして、泊まったらそれなりに”お礼”をしていた。

おそらくその友人も、僕の事なんてそんなにわかっていなかったと思う。
そんなだから、長く続く友達なんてできるはずがないよね。もったいないなぁ。



今ははっきりと言えるが、友達を作るコツ的なものは

「自分の自分なりな表現をしてみる事」だ。

と思う。


去年とか一昨年とかから僕にも友達と呼べるひとがちらりほらりと現れだしたが、おそらくはこの作文が一役買っているんじゃないかと思うのだな。
はじめてお会いするひともネットを使っていて、Facebookなどを使っていれば、僕の作文は出てくる。

僕はこの作文を毎日ひとつ作ろうと決めて2年ほど続けてやっている。最近の近況を考えた事だったり、単に考えている事だったり、ムカついて考えさせられた事だったりをつらつらと書き連ねて文章にしていると、不特定多数のひとの目にに止まってなんだかんだと反響があり、おもしろがるひともいくらかいる。

何かを表現するものの一つとして考えてやっているのは、僕の場合はこの作文なんだけど、別に誰かのためにやっているんだとか「いいね」が欲しいとかそんなことではなくて、自分が自分のために考えやすいようにやっていることが、単純にこの作文なだけなのだ。
だから、ひとによってはそれはキレイな写真だったり絵を描くことだったり、詩を作ることだったり、駄菓子を販売する様子の報告とか、何かの作品の作り上げる様子を表してみたり、仕入れたコーヒーや日本酒を写真に撮ってみたり磨いた靴をカッコよく写真にしてみたりと、様々過ぎるのだ。

でも、そのどれも良い。
どれでも良い。ありがたいことに、ひとはだいたい楽しんでくれる。

その楽しんでくれる様子を楽しむ。
そうしているうちにいつの間にか興味がわいて、いつしか親しく友達になっているのだ。


どんなことでも良い。
何なら嫌いな事だって良い。

続けてみて、ちょっとおもしろい反応が出るとなかなかにおもしろいことが起こるもんだよね。


テーマと焦点だな、これからの僕は。

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