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僕らは一般人

こどもの頃思った。「手からビームとか出たらどんなにかいいだろう」と。
そういう描写を少年が目にすると、どうにかこうにか手からビームを出そうとするものだ。「んんっ!」と手にチカラを込めてみたり、ポーズをとってみたり…。しかし、それが出ることはない。
今思えば、何が良いのかさっぱりわからない。ちょっと友達に自慢できるだけで、あとは危険人物扱いだろう。焼け焦げた死体なんかがあればすぐに疑われるだろうし。


オトナになってよくよく考えると、なぜにビームが出ないのかがわかる。いや、深く考えなくても出ないのだが、どうにか努力して出そうとしても、そんなものは出やしないということに気づくのだ。
アニメとかで手からビーム的なのを出す場合、まずは自らが相当に強くなくてはならない。そのへんにいる鼻垂れ坊主がピュンピュンと出せてしまっては、ダメなのである。

ダメというかなんというか、出せないでしょ。
アニメにたまぁに出てくる、弱っちい農家のひととか武道家まがいのお兄さんとか、悪いやつに首根っこ掴まれてジタバタするやつとか、赤ん坊をこれまた悪者に取り上げられて「きゃあぁぁぁぁぁ!ウチの坊やがぁ〜」なんて叫ぶママ。アレらが我々なのである。

(話は変わるが)
僕は少しだけスケボに乗る、乗って通勤したり、駄菓子屋さんのところにふらりと出かけたりして移動手段程度に使っているのだが、スケボに乗って颯爽と移動する姿は、楽しそうに見えるのだろう。犬とかこどもがよく見てくる。
そんな姿を見て「あれ欲しい〜」と安易にもお母さんにねだるシーンを見かけることがある。こどもはおもしろければ欲しいと思うし、自分でも「簡単にできるだろう」と思う生き物だ。

つまりはそういうことで、僕がこどもの頃にスケボするオトナを見ていたら、手からビームとか出したいなどと思わなかったのかもしれない。(スケボは実際楽しい)
今だから言えることだが、スケボは買うだけでは乗れない。買うからには乗れなくては意味が無いのだが、乗れるようになるには、当然のことながら、いくらか練習する必要があるのだ。コレはオトナであっても知っておいた方がいい。ちゃんと練習しなきゃいけないことが、この世の中には溢れに溢れているのだ。
僕の場合、教えてくれるひとや、一緒にやってくれるひとが見当たらなかったために、深夜コソコソとひと気の無い場所で練習して、いくらか自由に乗れるようになったが、そこに至るまでに3日もかかったのだ。
スケボですらそれくらいかかるのであれば、手からビームを出せるようになるにはどれくらいかかるのかわかるだろう。(いや、そんな簡単にはわからない)

ドラゴンボールに出てくる亀仙人(武天老師様)は武術の達人と恐れられていたが、達人と呼ばれるようになってからも鍛錬に鍛錬を重ねて、やっと「かめはめ波」が出せるようになったのだ。

有り余るパワーが腹の奥底に溜まっていて、ここぞってときにグッとチカラを込めて放出する。
つまり、アレというのは、膨大なパワーを体に溜めていなければいけないと思うのだ。汗に濡れた服をぎゅっと絞ると、ビタビタ汗が滴るように、ビーム的な成分を体に溜め込んで、ぎゅっと手から絞り出すのである。

シン・ゴジラで、ゴジラの原動力が核のチカラだとわかったときに「そんなバカな…そんなことがあるはずがない!」とみんなが疑ったように、手からビームも同じで、身体に溜め込んだエネルギーを手から出すなんて普通はみんな考えない。

そう。
我々は、ごくごく普通の一般人なのである。

強大なパワーに吹き飛ばされるエキストラがいるだろう、戦争映画で犠牲になっているひとがいるだろう、ゾンビに捕まって肉を貪られるひともいるし、サメにかぶりつかれるひともいれば、巨大ワニとか蛇に喰われるひともいる、我々はそれなのだ。

それをわきまえると、一般に何を楽しむべきかがわかってくる。
お金の使い方や生活の仕方もわかってくる。

高望みをして高嶺の花を欲しがっては楽しめないのだな。
とりあえず、手からビームは出ないということを知った方が身のためである。

自分の楽しむべき場所を知る、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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