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穴開きパンツを捨てるタイミング

またパンツが出てくる話だけどスマンね。おじさんのパンツが出てくる話なんて誰も見たかないだろうに…。


「穴の空いたパンツをまた洗濯してしまった」というだけの話だ。
次使ったら捨てよう、次使ったら捨てようと考えているのだけど、何でかその気持ちをすぐに忘れてしまってまた洗濯カゴにシュートしてしまうのだよな。
そんなことってない?
けっこう男の人からはそういう話を聞いたことがある。穴開き靴下とかヨレヨレのシャツとかいつまでも使っている人がいるが、多くの人の理由はそれが原因かと思われる。

忘れないでちゃんとゴミ箱へポイとできた日にゃ、男だってスカッとすると思うんだ。


ところで、今みたいな言葉使いはもう古い。「男だってスカッとする」という部分だ。
一昔前かいや、もっともっと最近まで「男は女は」という言葉を使ってもいいと考えていたのだけど、いまや男だの女だのと区別していると白い目で見られてしまう時代なんだとな。
友人に指摘されたことと、先日とある大学のセンセイと話をした時に、そういう「性」の話の研究をしている生徒がいると聞かされた。

僕は未だ男だ女だと頭の中で区別しているから、時代にはついていけていないということになるだろうか。


ひとまずその大学のセンセイとの話では、お子さんも小さいこともあってか、ランドセルの話をしたのだった。もう少しで小学生のお子さんがランドセルを買ってもらったという話で、僕はすかさず「何色を買ったんですか?」と聞いた。

僕は正直男だろうが女の子だろうが誰が何を買ったって構わないし、何色が好きになったって構わないと思う人間だが、もし男の子がピンクをチョイスしたらなんとなくシックリこないなぁなんてすこし思っていたのだった。

しかし、今はもう男の子がピンクをチョイスすることすらおかしなことではないという時代である、男の子がピンク色をチョイスすることに、それを怪奇な目で見ては(もちろんだけどさ)いけないのだ。


話が別の方へとぶっ飛ぶが、じゃあだけど…。

男や女の区別がそうやってなくなっていくんだとしたら、極端な話、男が女性用の下着を身に着けていることすら笑ってはいけないということになるだろうし、それに、何の変哲もない無地のボクサーパンツ的な下着を全員が着用したってかまわないということでもあるだろう。

冒頭に「おじさんのパンツ」というワードが出てきたが、おじさんだろうがお姉さんだろうがおなじあつかいをしなくてはいけないのだろうか?


「いやいや、おかしいでしょうよ!おじさんはおじさんだよ!」と言うだろうか。

おじさんはおじさん、お姉さんはお姉さんである。それはわかるが、「おじさんはおじさんで汚いパンツでしょ。おねえさんはお姉さんのパンツなんだから、おじさんのと一緒にしてもらっては困るよ」  なんて言えるか?

この場合、おじさんのパンツが汚いのは事実だが、お姉さんのパンツはおじさんほどではないでしょ、という位置づけをするならそれこそお姉さんを昇華していることにはならないのだろうか?

この話題を深めていったら、実際におじさんとお姉さんの下着を比べてみてみないとわからなくなってしまうので、そんな不可能なことに挑戦はしたくないのだけど、そういった男女差みたいなものを無くしていくという時代である。


僕はそういう違いを横に並べて「こういう違いがある」と言えばいいのに、縦に並べて「こういう“差”がある」と言っていることから比べてしまうという事実が生じてしまっているんだと思うのだ。

確かに社会は男性が優位に立てる体制が作られてしまっていると感じることがあるが、そうだからこそ女性も助かる面があるのではないかと考えている。




いや、だめだ。そんな進歩的でない考え方が女性の肩身を狭くしてしまっているのだろう。自分の考えの過ちを小さくしていく事が進歩のまず第一歩であると信じたい。

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二ノ宮金三郎
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