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専攻の話って盛り上がる?

内定者同士の会話や、アルバイト先の同僚、小中の同級生、またはバーで知り合った人や美容師さんとの会話の際、自分の専攻の話になることがある。その時、私が「西洋美術史を学んでいて~」と話すと、たいてい「ん?セイヨウ、何?」と聞き返される。もちろん、一回で聴き取ってくれる人もいる。でも具体的にどのようなことをやっているかを知っている人は少なくて、私が西洋美術史という学問の説明をするまでがワンパターンだ。

いちばん理解してもらいやすいのが図像学的なことだと思うから、「ある作品とか画家を取り上げて、どうしてこのような描き方をしたのか、なんでこれを描いたのか、どこからどういう影響を受けて描いたのか、とかを考える学問だよ」と説明をする。私は一介の学部生なので、説明が稚拙なのはご容赦願いたい。

すると、だいたい「へぇ~なんかすごいね~」で会話が終わる。今回の記事は、この会話がなんだか少し寂しい、というお話。

私は、西洋美術史という学問を高校生の時分に知り、それが学べることを基準に大学を選んだ。その興味は4年生になっても変わらず、美術史ゼミで卒論を執筆している。一時は大学院進学を考えたほど美術史が好きだ。また、美術史に限らず、他の分野を専攻している人がどのようなことに興味があって、どのような手法で研究しているのかにも興味がある。知的好奇心は高い方だと思う。「狭く深く」というよりは「広く浅く」よりではあるけれど(だから進学はやめた)。

そのため、専攻の話題になったときは自分も語りたいし、相手の話も聞きたい。でも、先述のとおり「なんかすごそう」で終わってしまうのだ。

「なんかすごそう」ってなんだ。少し距離を感じてしまう。自分の知らない分野だからすごそうに聞こえるのか。そしたらあなたの興味のある分野だって私から見たら「なんかすごそう」だぞ。この台詞を言われたとき、逆に相手の専攻を聞いたり、卒論のテーマを聞いたりすると、曖昧だったり適当な答えが返ってきて、さらには「まあ卒論なんて適当にアンケートとってれば終わるからw」なんて返ってくることもあり、悲しくなってしまう。

前の前の前の美容師さんには、「それ(美術史)ってなんの役に立つんですか?」と言われたことがある。思わず思考がフリーズしてしまった。私は「興味があるから」「楽しいから」美術史を学んでいるのであって、それが何かの役に立つとかは微塵も考えたことがなかった。でも、世の中には役に立つかどうかで判断・評価する考え方もあるのか、と気づかされ、これだから人文学に未来はないとか言われるんだろうなと思った。

私の彼氏は哲学専攻なのだけれど、彼も同じような反応をもらうことがあると言っていた。「なんかすごそう」と言われてしまうと、それ以降どんなに私が言葉を尽くして美術史のこと、美術史に興味がある自分のことを話してもそれは「なんかすごそう」なことを説明しているだけだから、それ以上の反応はもらえないだろうし、自慢ぽく聞こえてしまうかな、とそこから会話を進めることをためらってしまうのも同じだった。

私が一方的に被害者ぶりたいのではなくて、もしかしたら私のコミュニケーション能力に問題があるのかもしれないし、単に話す相手が違うってだけかもしれない。ただ、4年間何度も感じてきたこのもやもやを消化したかった。共感してくれる人はいるかしら。

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