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2011~2023年に自分が見てきたアニメを振り返る

 アニメ視聴には「本棚」がない。
 本を読んだなら、読み終えた物を本棚に並べることが出来る。ゲームや音楽CDを楽しんだなら、そのパッケージをなんなりと保管することが出来る。実行するかどうかはともかく、映画ならチケットの半券を残しておけばいいし、料理だってインスタグラマーよろしく写真に残しておけばいい。
 だけど、地上波でアニメを見るにあたっては、一般的にそういった「記録に残す活動」が存在しない。録画した物をいつまでも残しておくのは容量の問題から現実的でなく、あとからDVDを買うにしても「見たけどつまらなかった作品」の物まで揃えたりはしないだろう。……つまり各人のアニメ視聴経験の記録には、他のコンテンツに比べてリアルタイム性が足りないのである。
 けれどその一方で、自分がこれまでに鑑賞してきた作品とは全て、多かれ少なかれ「今の自分を形作るに至った重要な要素」であるはず。その多くが記憶の棚の中に埋もれて、簡単には振り返ることもできない……となると、それは少し寂しいことのようにも思える。
 ……だからぼくは今回思い立って、自分が今までに見てきたアニメを年代ごとに振り返り、それをリストにまとめてみた。集計対象は「初めて自分の意思で見た深夜アニメ」として記憶している「UN-GO」の放送された2011年から、2023年現在までの物。ざっと13年分である。そしてその振り返りから得られた様々な感想を、今回は作文としてここに書き記していこうと思う。
 ちなみに2011年当時、ぼくはまだ中学生だった。

※過去アニメの年単位の振り返りにあたっては、Webサイト「アニメハック」さんの情報がものすごく参考になりました。見やすさ、情報量、共に完璧なすごいサイトでした。





・2011年

 2011年。事の始まりは、ここには書かれていないタイトル「うさぎドロップ」に母親が興味を持ったことだった。あるいは、学校の友人から「日常」を勧められたことだった。はたまたあるいは、偶然目が覚めた夜中に「TIGER&BUNNY」の最終回を見たことだったのかもしれない。
 ともかく色々な縁があり、当時まだ中学生だった頃のぼくは、深夜アニメというジャンルに興味を持ち始めた。元々根からのオタク気質だったこともあり、深夜アニメへの関心自体はずっと燻っていたのだ。そして、録画した時にはすでに全話の放送が終了しかけていたうさぎドロップを見ながら「こんなもんか」と思っていた矢先に、次クールアニメのCMとしてUN-GOを見て興味を持ち、そこから本格的に深夜アニメの世界へと浸かっていくことになったのである。
 リストの順序に特に意味はない。順不同というものである。しかし表記的な特殊さについては、一部説明が必要な物もある。
 まず、タイトルの後ろに「(再放送)」のような備考が付いている物。これは「本放送がその年に行われたが、実際に視聴したのは本放送時ではないアニメ」に対して付けられている。振り返り方の特性上、リアルタイム以外で見たアニメをいつ頃見たのかまでは思い出すことができないため、苦肉の策としてこのような表記をしている。
 続いて、備考ではなくタイトルその物がカッコの中に入れられている物に関しては、「途中で視聴を打ち切った作品」であることを表している。ここで言う「途中」の定義は極めて主観的な物だけれど、ある程度の方針としては「意欲的に話数の1/3以上を見た物」をカウントするようにしている。1話切りや、いつ面白くなるのだろうと不満に思いながらだらだら見て結局挫折した物などは含めず、1クール物なら最低でも3話までは前向きに見た物などがここに当てはまる。
 ……それらを踏まえて、長い歴史の振り返りを行う。まずは前述の通りの記念すべき年、2011年の作品からだ。
 初めて深夜アニメを視聴し始めた年なだけあって、この2011年に視聴したジャンルは幅広い。人生初のオリジナル深夜アニメ「UN-GO」、原作に関心があった「カイジ」、ギャグ枠の「日常」、話題だけはよく耳にしていた「Fate」シリーズ、ラノベ枠の「はがない」、今考えても特殊すぎる形態の「ユルアニ?」、そして再放送とはいえ比較的近い時期に視聴したはずのきらら枠「Aチャンネル」。そのどれもが当時としては「人生初のジャンル」だった。
 特に「UN-GO」はその洒落た雰囲気、特殊性癖っぷり、特異な演出、そして時たま滑っている感じ等々印象深い要素が多く、現在に至っても自分の中に「深夜アニメ視聴の楽しさを教えてくれた作品」として強烈なインパクトを残している。
 そんなUN-GOの中でも特に印象的だったのは「幻覚にかけられた主人公の視点で物語が進むパート」だ。視聴者からすれば明らかに意味不明な方向へ話が飛んでいるのに、さも当たり前のようになんと一話丸々を使いながらそのままの路線で話が進んでいく……という演出に何の前触れもなく接した当時の困惑と衝撃たるやなかった。自分を深夜アニメ鑑賞の世界に引き込んだのはそういった演出の力と、あとは元セクサロイドのロリ美少女(ぬいぐるみ形態もある)とかいう強烈な性癖キャラの魅力だったのかもしれない。ぬいぐるみが男の乳首を舐めるアニメはきっと後にも先にもUN-GOだけだろう。
 そしてそれと同じように、初めて触れるジャンルの物からはどれも中々刺激的で新鮮な体験をした。特に極めて個人的な話をするのであれば、小学生時代の後半に「モンハンを持っていないから」という理由で男友達からハブられていた自分は、中学に上がってようやくモンハンを入手したタイミングで「僕は友達が少ない(はがない)」を見て、そこでちょうどモンハン回が展開されていたことにちょっとした感動を覚えたりしていた。また、いわゆる美少女アニメをそこで初めて見たことにより、なんとなくオタクとして一段階大人になったような気もしていた。今にして思えばバカらしい感覚だけれども、中学生にとってはそういう物だったのだ。
 それからFate/Zeroについてだけれども、当時の自分はFateシリーズについてあまりにも疎く、ZeroのことをStay nightだと思って見ていた上、第1話だと思ってそれを見始めた時にはすでに2クール目であったため、視聴はしたものの、生まれてこの方体験したことがないほどの「理解不能」な状態に陥っていった。しかしそんなわけのわからない状態のままで見ていても、切嗣の過去回や切嗣vs言峰の回の面白さは肌と心で感じ取ることが出来たため、あれは相当面白いアニメだったのだと思われる。
 それから強烈な印象を残したアニメといえば、やはり「ユルアニ?」だ。これは鷹の爪団方式の2Dすぎるショートアニメがいくつか結集した番組だったのだけれど、集まった作品はどれも癖が強く、「面白かった」という素朴な感想を食いかねない強烈な勢いでインパクトを記憶に残している作品が非常に多い。特に「だぶるじぇい」という女子高生が主人公のシュールギャグ作品に関してはあまりの独特な空気感に「本当にこれの原作がこの世に存在するのか!?」と信じられない気持ちになって近所のTSUTAYAへ駆け込み、単行本を発見してマジだ……と謎の感動を覚えたことがつい二〜三年前くらいだったような気がするくらい鮮明に覚えている。
 ちなみにこのユルアニ?には各ショートアニメに律儀にもエンディングが付いており、そこにもまたお笑い系からノスタルジックな気持ちを刺激する物まで、幅広く印象深い作品群が広がっていた。だぶるじぇいのエンディングは、ももいろクローバーZが歌うサビの歌詞が「夏休みの宿題が終わらない!」という趣旨の曲で、タイトルはワニとシャンプー。ノスタルジー系は「ほんとうにあった!霊媒先生」のエンディングで、メーウの「お別れ囃子」が特に気に入っている。……ちなみに相当マイナーであろう本作へ深夜アニメデビュー早々に目をつけることが出来た理由は、単に本作がカイジの直後に放送されていたからだった。そうでなければこれらの思い出が全て存在しなかったのかと思うと、それはもはやちょっとした奇跡である。ありがとうユルアニ、ありがとうカイジ、そしてありがとう、「カイジ」というタイトルに興味を持つきっかけとなった、藤原竜也。
 ……と、そんな個性的な面々に楽しませてもらっていた一方で、この年にはさっそく人生で初めて視聴を断念したアニメがある。そのタイトルは「ギルティクラウン」。たしか内容は、弾圧された民を救うために特別な力を持った主人公が云々……という話だったように思うけれど、それの視聴をやめた理由としては、当時の感覚によると単純に「肌に合わなかったから」としか言えない。しかしそれはそうとぼくには、ある日たまたま夜更かしをした日にテレビをつけるとギルティクラウンが放送されていて、そこでちょうど「僕の王の力がああああああああ!!!!」のシーンを目撃するという奇跡に遭遇した経験がある。人生初の視聴断念アニメにして、それを断念して本当によかったのか?と奇跡的な経路での自問自答を呼び起こした作品……。ギルティクラウンは、自分にとってそうしたある種スピリチュアルな物として印象に残っている。
 また、当時はまったく気づいていなかったのだけれど、リストを見てみればまどマギやあの花、シュタゲにゆるゆりにピングドラムといった名作たちが放送されていたのもこの年だったらしい。後々の人生で無事にそれらを視聴できたのは幸いだけれど、改めて見るとなかなかとんでもないレベルで豊作の年である。
 ちなみにあの花は、おそらくいつかの夏休みに地上波で行われた一挙再放送に縁があったのだけれど、その時のぼくは母親と一緒に初見でそれを視聴しながら、「あ、いいな、お腹すいてきた。うちもラーメン作るか」とインスタントラーメンを二人で食べていた。アニメ本編と同じかそれ以上に、その時の暮らしが思い出に残っている。
 なお人の心に欠けているためか、ぼくはあの花の後半はちょっと退屈しながら見ていた。感動したという人の気持ちは申し訳ないけれど全然分からない。再放送されたそれを見たのがいつ頃のことだったのかは覚えていないけれど、夏休みの思い出の1ページを胸に、後々のぼくはそういう薄情なオタクになっていく。

・2012年

 深夜アニメ視聴入門生から初心者くらいには昇格したであろう2012年。順調にエンジンがかかってきたのか、視聴した本数が激増して二桁にのぼっている。
 この年にもまだジャンルとしての初体験があった。ホラーのAnother、難解系のブラックロックシューター、親と見ると気まずくなるココロコネクト、(厳密には初ではないが)二次創作物であるニャル子さん、女性向け作品の「K」、少女漫画原作のとなりの怪物くん等々。上から順に印象を語っていこうと思う。
 まずは「Another」。これは予備知識ゼロの状態で見始めたので、例の傘のシーンはなかなかに衝撃的だった。と言ってもそれは良い意味であり、小学生時代に図書室の怪談系を読み尽くし、中学に上がればネットの有名怪談を読み漁るようになるくらいには怪談好きだった自分の好みに見事に合致。そうでなくとも話が面白くて雰囲気もよく、人生初のホラーアニメとしてAnotherは非常に良い体験をさせてくれたと記憶している。また後々になって原作がミステリ作家の書いた小説だったと知り驚かされたことで、ミステリというジャンルの懐の深さを垣間見た作品でもある。
 「ブラックロックシューター」はボカロ曲が原作であると共に、難解系かつバトル物というなかなか尖った取り合わせをした作品だった。……しかし今ではほとんど本作の内容を覚えていないので、当時の初々しくも豊富な体力気力がなければ完走出来ていなかった類の作品なのだと思われる。現に続編は見ていない。
 「這いよれニャル子さん」は、Fateシリーズが二次創作の要素を多分に含む作品であることをまだ知らなかった当時の自分からすれば、作中描写のみで二次創作要素を含むことが理解できる初めての作品だった。内容としては、主人公に対して直球で好意を持つヒロイン、「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」や「宇宙CQC」などキャッチーなフレーズ、そして何よりオープニング曲が強烈に印象に残っている。ちなみに当時はクトゥルフ神話の知識が皆無だったため、このアニメを視聴した数年後に遅れて知識を得ては「二次創作の自由さ」を痛感することになった。何か元ネタがあるとは分かっていたけれど、こんなに原型がない物なのかよと。
 またニャル子さんについては、主人公にひたすらの好意を向けるヒロインの運用法として、後に自分でも小説を書くようになった際に興味深く感じられることが多々あった。普段は邪険に扱っても「照れちゃって〜」と余裕げな反応を見せる子が本気で拒絶されたと感じた時のショックの受け方だとか、恥ずかしさや責任などの精神的な問題だけではなく、こう見えて邪神である相手と性的に交わった場合に起こり得る影響の恐ろしさだとか。おそらく未だに自分に影響を与えている要素は多い。
 「ココロコネクト」は、恋愛あり超常現象ありの青春ものなのだけれど、キャラの可愛さと各エピソードの印象的な設定以外には、親と見るには気まずいシーンが多かったことがとにかく印象に残っている。我が家は生活体系や家族仲等々の理由から親と一緒にアニメを見ることが多い環境なのだけれど、自分がそういう環境にいることを改めて意識し始めたのもこの作品からだったような気がする。またそこから逆説的に言えることとして、UN-GOの風守のエロスについては、中学生には刺激が強すぎて脳が理解しきれていなかったことが察せられる。当時のあれは気まずいという気持ちになる暇すらなかったが、はたして隣にいた母はどうだっただろうか。 
 それはそうと、これまた印象的だったのが女性向け作品の「K」。イケメンの登場比率やその独特の雰囲気などから、当時としてもなんだか風変わりな作品だなぁとは感じていたものの、ピュアな中学生にはそれ以上のことはまだ分かっていなかった。ストーリーは今や全く覚えていないけれど、それでもまだ雑念がなかったあの頃に視聴することが出来ていて本当によかった作品だと言える。ずらりと並んだイケメンたちが「○○、抜刀」と名乗りを上げながら次々に刀を抜くシーンは今でも印象に残っている。
 少女漫画原作である「となりの怪物くん」は、夏目ちゃんの女子女子とした思考や振る舞いがカルチャーショック的な意味で印象に残っている。元々母が少女漫画を読みまくる人だったので、ちゃんと読んだことはなくとも少女漫画というジャンル自体には関心を持っていたのだけれど、その関心は本作が面白かったことで無事に未来へと続いていくことになった。……が、それと同時に、本作の夏目ちゃんの存在が後々の自分に「作者の性別が気になる」という悪しき興味を湧かせた一因になっているようにも思う。人生で初めて遭遇した「多くの男性の頭からは出てこない思考」が垣間見える作品が、本作だったのだ。
 その他にも、独特な世界観や台詞回しに、時系列のシャッフルという手法を初めて体験した「人類は衰退しました」、初めて見るユーモアのセンスだった「じょしらく」、バトロワ物としてちゃんと面白かったはずなのに今となってはレイプシーンの印象ばかりが残っている「BTOOOM」など、自分の記憶に何にせよ深く刻まれている作品は多い。一方で、当時とても楽しく見ていたはずの「あっちこっち」が、大人になってから見返すと全く面白く感じられなかった……という別角度からの衝撃もあったりする。
 悪い意味での印象といえば、「つり球」もそうだった。これは別につまらなかったとまでは言わないし、「えの、しま、ど〜ん」のかけ声などは未だにキャッチーなフレーズとして記憶に残っているけれど、じゃあその作品が面白かったのか? と言われると、当時の感覚としてもなんとも言いがたかった。
 印象に残る物があるだとか、とりあえず普通に見ていられるということと、「面白い」はまた別物である。……という学びを自分が得はじめたのも、今にして思えば大体この頃からだったのかもしれない。
 ちなみにどうでもいい話だけれど、アニメに関係なく自分の人生の全盛期はおよそこのあたりだったらしく、「Another」「あの夏で待ってる」「男子高校生の日常」あたりのタイトルを見るだけで、なんだかノスタルジーに涙が出そうになる。特に「男子高校生の日常」は相当面白いギャグアニメだったように思うし、何よりエンディングの衝撃は他に類を見ない。ぼくが見た中で一番エンディングまでギャグたっぷりな作品は男子高校生の日常だった。
 「あの夏で待ってる」は、どうも世間での評判があまりよくないらしく、あっちこっちのような例もあるので当時の自分の「べつに普通に面白くね?」という感想もあまりあてにならないけれど、それでも「性格としてではなく家庭の文化として演出的にも巧みに描かれた裸族の話とそのカミングアウト」や、青春ものと呼ぶにはちょっとスペクタクルすぎる現代版かぐや姫的なストーリー、またそれによく合う良エンディングは今もなお深い印象をもって覚えている。ジャンルとしてはそこまで初というわけではなかったにしても、自分にとっての本作はこの年のアニメを象徴する一つになっている。
 また、この時代に放送されていたらしい後々に視聴した作品として、「氷菓」は高校の夏休みにDVDで一気見したあと原作者の本を別タイトルの物まで買い揃えるに至ったり、ゲーセンのパチスロから興味を持った「ガルパン」は本編も良いけれどそれより何より映画があまりにも面白くて感動したり……と何かと印象深い物が多い。逆にこのラインナップの中で唯一途中で挫折した「さんかれあ」だけ異様に印象が薄いことが、なんだか不気味なほどである。

・2013年

 2012年に続いてかなり本数の多い2013年。この年は、今にして思えば自分の転機の始まりだった。
 アニメ視聴3年目ともなるとジャンル的に目新しい物もそうそうなくなってくるものだけれど、新鮮さの意味で言うなら、未だに(世間では主に悪い意味での)伝説として語り継がれている「惡の華」がひときわ輝いているように感じる。
 惡の華については、実のところぼくはああいうやり方のアニメも嫌いではなかった。面白かったかと言われると話自体が自分の肌に合わなかった面はあるけれど、原作のアニメっぽい絵柄とは別に、あの生々しさを目指したアニメ版の作画にはまた別の魅力があったように思う。それと完全に余談になるが、惡の華のMAD動画のおかげでsuzumokuというアーティストを知ることが出来たので、それについてはアニメ視聴を通して自分に起こった奇跡の一つだと認識している。
 「琴浦さん」は、一話冒頭の暗さとそれ以降の平和っぷりの温度差がすごいアニメだったことを覚えている。そういったトリッキー気味な第一印象に反して、作中のほとんどを占める日常パートは無難に面白かったと記憶しているし、そんな本作のヒロインが「人の心を読む能力(強制発動型)」を持っていたことは、今にして思えば、ココロコネクトと合わせて自分の「異能力日常系」というジャンルへの関心を生んだ源流になっているようにも思う。
 「戦勇」は初めて見る5分枠のアニメだった。面白いギャグアニメ……以上の感想が特に思い浮かばないけれど、元々自分はお笑い系のコンテンツが好きなので、毎週たった5分で楽しませてくれたこの作品のことも貴重な思い出の一つになっている。また同時期に「まおゆう」という全く違うジャンルのアニメが放送しており、それと本作のタイトルが絶妙に紛らわしかったことが妙に印象深い。
 「問題児たちが異世界から来るそうですよ?」については、他アニメに対する物とはある種一線を画した感想を持っている。というのも、本作はぼくのアニオタ歴において本当に文字通りの問題児となった作品なのだ。本作を視聴した経験が、後々の自分のアニオタ人生の在り方を大きく分岐させたとすら言っていいほどに、その影響は大きくなおかつ重要だった。
 本作は、絵に描いたようななろう系ラノベ作品である。異世界転生した主人公ら三人がそれぞれ別ベクトルに最強な能力を持っていて、ナビゲーターのバニーガールを振り回しながら色々な問題を最強パワーで解決していく……という、中々によくある方向性の作品だった。ラノベ系という意味ではニャル子さんが自分にとっての先駆者だけれど、なろう系という括りであれば本作こそが先駆者となる。そして自分はニャル子さんの方は難なく完走したはずなのだけれど……。そんな当時の自分ですら、本作については話数が後半へ進むほどに「これは面白いのか……?」と自問自答しながら視聴を続けていたことを覚えている。
 話の先が読めて、あっと驚くような展開があるわけでもなく、俺つえー展開にしてもカタルシスという物に欠けていて、印象に残った話といえば「絶対にめくれないスカート」のくだりくらい。現在の自分の価値観から言えば本作はほぼ見るべきところのないアニメだったような気がするのだけれど、それでも当時の自分はそれをなんとなく完走できてしまった。……が、しかしその視聴体験を機に、自分の中に「今見ているこれは本当に面白くて見ているのか?」という考え方……自問自答のフォーマットが生まれたことは間違いない。つり球の時は「べつに面白いというわけではないが見れる」程度だったその意識が、「自分はなぜこれを見ているのか?」というレベルにまで深まって行ったのである。これを完走して本当によかったのか? べつに途中で切ってしまってもよかったのではないか? 時間と気力を無駄にしているのではないか……と。
 そういった思考の観点を得たこたを踏まえておいて、問題児の話はいったんここで終えることにする。そして、次に話題に挙げるのは「はたらく魔王さま」。これもラノベ系作品だけれど、没落した魔王が人間界に落ちてきてマクドナルドでアルバイトを始める……という作風は前二つのラノベ作品とは完全に別物で、これは普通に(かつ明確に)楽しんで見ていた。それと本作については母がとても気に入っていたことも印象に残っている。つり球もその一つかつ前例ではあったのだけれど、作品へ対する自分自身の満足度を加味すると、「親と見られるアニメのありがたさを、自分に実感させた最初のアニメ」はこちらだったと言えるのかもしれない。
 また、この年には「ニャル子さん」と「はがない」の2期も放送されていた。ラノベ系怒涛の四連打である。……しかしこれについては正直、そもそも本当に見たのかどうかの記憶すらあやふやになっている。
 オープニングにしろ話のノリにしろ、何から何までいつも通りだったニャル子さんは、良く言えば期待に沿う物だけれど、悪く言えば目新しさに欠ける物だった……というような印象だけはあるけれど、具体的に思い出せるエピソードは一つもない。そこで本記事の執筆にあたって調べてみたところ、2期から登場したという新キャラには見覚えがあった。なのでおそらくは視聴したはず……なのだけれど、確信は持てない。印象の方が捏造されている可能性はある。
 はがないの方についても似たような物で、こちらに関しては登場していたらしい新キャラのことすら記憶にない。が、オープニング曲には聴き覚えがあった。ニャル子さんと違いOPが有名になったアニメではないので、本編を見ずにそれを耳に馴染むほど聴いていたとは考えづらいことから、おそらく少しは視聴したのではないかと思うのだけれど……。これまた確信は持てない。
 しかし何より、この時期の自分にとってこの二作は「人生で初めて遭遇する、原作を知らない既視聴アニメの続編物」であるはずであり、1期に悪い印象もなかったのにみすみす2期だけをスルーしたとはとても思えない。……しかしそれなのになぜか内容を一切覚えていないのだ。謎である。
 けれどもまぁ、それらの情報を擦り合わせて察するに、実際のところ本編を見ることには見たのだけれども、当時の自分はそれをあまり面白いとは思えなかったのではないだろうか? それも何かが気に食わないというタイプではなく、無味乾燥としたタイプのつまらなさを感じていたからこそ、内容が記憶に残っていないのではないか? もしそうだとすれば、この二作も当時の自分に「自分は本当にこれが見たいのか?」と自問自答させる物の一つになっていたことが推測される。……が、やはりそれも確信を持って言えることではない。内容が記憶に無いことがこんなに不可解な作品は、後にも先にもこの二本だけである。
 それはそうとして、次。怒涛のラノベ系五つ目である「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」、通称俺ガイルについて。本作は、当時仲の良かったクラスメイトが原作をおすすめだと貸してくれたことをきっかけにどハマりして、中学生活の3年間でずっとその友達から続きを借り続けた思い出のある作品である。思い出、あるいは乞食の前科ともいうけれど。
 ともかくそういうわけなので、大いに期待してアニメを見たのだけれど、正直な感想としては「原作の方が面白い」の一言に尽きた。と言っても、べつにアニメ化の出来が悪かったわけではない。それどころかむしろ良かった方だと思う。現に後々の時代には順調に続編が放送され続けたわけで、当時見たこの1期にしても特に文句をつけるべき点はなかったように思う。……しかしそれでも、なぜだかそこまで面白いとは感じられなかったのだ。よってぼくは続編も見ていない。
 しかし、そんな消化不良の一方で、この年のきらら枠である「ゆゆ式」と「きんいろモザイク」のことは非常に気に入っていた。きらら系を明確に好みだと自覚し始めたのはこの頃からだったように思う。きんモザは2期もがっつり見たし、ゆゆ式の2期は今でも亡霊のように待ち望んでいる。
 「サーバント×サービス」も、メタ的な視点でなかなかに印象深い。アニメその物は普通に面白いという感じだったのだけれど、ぼくが深夜アニメに興味を持ち始めた頃には「WARNING!」という何やら面白そうなアニメがすでに2期に突入しており、2期から見てもついて行けないだろうなぁ……と尻込みしていたところに、同じ原作者の新規タイトルが到来したのだ。当然一も二もなく飛びついたし、そしてその無難な面白さを楽しめたことによって、なんとなく未練が晴れた気がしたことを覚えている。
 一方、未練といえば「ダンガンロンパ」にも似たようなことが言える。ネットでホラーゲームについて手広く調べていた際に何やらインパクトのある映像にたどり着き、それについての詳細を調べ終えた時には致命的なネタバレをくらっていた……というのが、ぼくにとってのダンガンロンパという作品だった。当然、そこからあえて学生の少ないお小遣いを犠牲に原作であるゲームソフトを買おうという気にはなれず、初見で原作を楽しめた人を羨ましく思うしかなかった。
 と、本作はそんな矢先に実現したアニメ化なのである。これを見れば未練が晴らされる! と直感して、当時のぼくは意気揚々と視聴を開始した。……そしてその結果、なんだかいまいち面白くないという感想に行き着いてしまった。これもべつにアニメの出来が目立って悪かったわけではないはずなのだけれど、やはりサスペンス物でネタバレを知っていることが致命的だったのか、それともストーリー物のアニメにおける「無難」という評価はつまらない寄りを意味する物だったのか……。いまいち楽しめなかったことの理由に結論は出し切れなかったけれど、ともかくその体験が自分に一つの教訓を与えたことは間違いなかった。「知っているタイトル」を見たからといって、必ずしも楽しめるわけではないのだと。
 そしてその次、「ローゼンメイデン」(2013年版)。本作は面白さの意味でもメタ的な意味でも印象深い。アニメ本編に対する感想としては幸いにもめちゃくちゃ面白かったの一言に尽きるのだけれど、面白いながらも物語が完結するところまでは語られなかったため、視聴後に即TSUTAYAで原作単行本をレンタルして、当時家族で行ったキャンプにそれを持ち込み、大自然の中でのローゼンメイデンを満喫したことがそれはもう良い思い出として今も記憶に残っている。鮎の掴み捕りと、カヌー体験と、ローゼンメイデンと、あと同じタイミングで父が大量にレンタルしたハンターハンターと。この年の休暇はとてつもなく充実していた。
 一方でそんなローゼンメイデンは、あのFate/Zero事件を彷彿とさせる現象が再来した作品でもある。stay night1期だと思って見た物がZero2期だったという深夜アニメ入門者特有のハプニングが、まさか形を変えてもう一度起こるだなんて、当時のぼくも全く予想していなかった。
 自分の聞きかじった話では、ローゼンメイデンとは、主人公の少年が人形たちの戦いに巻き込まれるストーリーの作品であるはずなのに、リメイク作品なのだろうと思って見始めた2013年版のローゼンメイデンでは、まず初っ端から主人公がどう見ても青年になっていた。もうこの時点で大混乱だった。
 ちょうど単行本を揃えている友人がいたので、アニメを見ていけばその友人とも感想を話せるだろうと密かに楽しみにしていたのだけれど、むしろアニメが完結するよりも遥かに早くその友人に頼み込んで単行本を貸してもらうことになった。いったい何が起こっているのかを確かめようとしたのだ。そしてその結果、ローゼンメイデンの原作には「なぜかタイトルを一切変えずに」1期と2期が存在していることを知り、自分が見ているアニメは原作2期の範囲、聞きかじった話は原作1期の範囲であることが判明した。愕然としたけれど、おかけで前述の超ご機嫌なキャンプが実現することになったのだから何よりである。未視聴アニメの前日譚のしかも2期だと知っていればまず視聴を躊躇っていたであろうFate/Zeroを結果的に楽しめたことしかり、この手のハプニングは幸いにも良い方向へと転びがちだ。
 ……という具合で、以上が、2013年に完走した(のだと思われる)作品に対する感想の全てになる。が、本年のアニメについての話はまだもう少し続く。語るべき内容はまだ、完走出来なかった作品たちの方にも濃く存在しているから。
 まずは「ジョジョ」の2部について。これは表記上の区別をすることが出来ず申し訳ないけれど、「視聴を途中で断念した作品」ではなく、「途中から視聴を開始した作品」である。
 どうにも1部をチラ見した時に興味が持てなかったことでジョジョからは離れていたのだけれど、父が見ていた2部の「改造人間と化したシュトロハイムが登場する回」をたまたま隣で見ていたらあまりにも面白く、急遽そこから視聴を開始したのである。そしてそこからみるみるうちにジョジョにハマったのだ。話の面白さや勢いもさることながら、当時はもちろん今の基準にしても、エンディングの導入が世界一上手いアニメとしてジョジョ2部は特に印象に残っている。それと当時はASBの盛り上がりもあって、大体このあたりのタイミングでTSUTAYAから原作を一気にレンタルして来たように記憶している。
 また余談だけれども、小学生の頃ディズニーランドに行った時に、アトラクションの待ち時間対策として家に転がっていた漫画本を一冊適当に持参したことがあった。当時はその漫画のことを「何やらすごく古いけど、読んでみたら面白い漫画」くらいに認識していてタイトルなど覚えていなかったのだけれど、後にジョジョ2部のワムウ戦をアニメで見た時には心底驚いた。あの時自分が読んだ漫画とはまさにそれだったのである。そういう奇跡の出会いもあるのだということを知った。
 一方で残る二つのアニメに関しては、普通に途中で視聴を断念した物であり、従ってそこに良い印象はない。特に「ささみさん」はこの年六つ目のラノベ原作であるが、シャフト制作ということもあり「面白くなりそうな雰囲気」だけは序盤から感じていたので見ていたものの、結局その面白さが成ったと感じることは出来ず、途中でフェードアウトしてしまった。
 「たまこまーけっと」は京アニ制作で映画化までした作品であるが、当時の自分には話のどのあたりに注目して見ればいいのかが分からず、楽しみ方が分からない物だとしか思えなかった結果、途中でフェードアウトすることになった。しかし今見てもキャラデザは可愛いし、感性の成熟した今ならば当時は見つけられなかった「楽しみ方」を発見できるのではないか……とも思う。つまり本作は、振り返ってみれば人生で初めての「視聴を断念したことを、どちらかといえば後悔しているアニメ」だということになる。未だ再視聴は叶わないままだけれど、経験としてはそういうことも必要なのだろう。
 ……以上で、今度こそ2013年に自分が見たアニメに関する総評は全て語り終えたように思う。タイトル数的にもかなり量のある年だったけれど、それだけにこの年のアニメが自分に与えた影響は、良い意味にしても悪い意味にしてもきっと大きい。
 これからこの先の歴史を振り返るにあたって、この2013年のことをよく覚えておいてほしく思う。ラノベ系を一年で六つも見て、そのうちの五つをいまいち楽しめず、一つに至っては視聴を断念して、一つに至っては「本当に自分はこれを面白いと思っているのか?」という自問自答をついに生み出し、残る二つに関しては異常なほど記憶があやふやになってしまったということを、よく覚えておいてほしい。
 ちなみに、載せ出すとキリがないのでリストには書かなかったけれど、この付近の時代には「一話切りしたラノベ系アニメ」が山ほどある。それらは結局世間で話題になることともなく続編が作られることもなく、従って自分の判断を後悔させるにも至らなかった。だから現在の自分の価値観からあえて言うならば、2013年前後は「しょうもないラノベ原作アニメ」が乱立していた時代なのではないかと思う。あるいはこれ以降の時代、懲りたぼくがその手のアニメに手を出すことが減っただけなのかもしれないけれど。

・2014年

 個人的に、2014年は不作の年である。
 2013年は主にラノベ系に不満が残る年だったけれど、2014年に至っては、もはや不満のある作品の方が多い。今リストを眺めてみても真顔になってしまうようなラインナップだ。
 「ハマトラ」は異能力バトル物で、前日譚をアニメに並行してヤングジャンプで連載するという奇抜なマルチメディア展開をしていたことが悪い意味で印象に残る作品だった。とはいえ話の内容自体はべつに見れない物ではなく、前年のラノベ系統に比べれば全然マシだったと言える。少なくとも当時の感覚としては、なんやかんや友達と感想を話し合う程度には本作を楽しめていた。オシャレにしたいのだろうけど出来ていない、メンツに個性を出したいのだろうけど出し切れていない……と、そんな印象を受けるアニメではあったけれど、見るべきところもそれなりにある不思議な作品であったように思う。
 「一週間フレンズ」は、この年のラインナップの中ではかなりスタートダッシュに成功した部類のアニメだった。一週間しか記憶がもたないヒロインを中心とした恋愛もので、特に序盤の面白さは文句なしだった。……が、終盤に行くほど、その序盤の面白さが過去の栄光のように思えてしまったことを覚えている。主人公がいまいち頼りにならない感じだった点も、話が長引くほどに欠点として見えてしまうようになっていったのかもしれない。
 「極黒のブリュンヒルデ」のことは、もったいなさの権化のようなアニメとしてよく覚えている。原作が面白いのでアニメも序盤は面白かったのだけれど、終盤になると展開が異様に駆け足となり、最終的にまさかまさかの「連載中の原作にたった1クールでほぼ追いつく」という奇行に至った衝撃は今もトラウマじみて鮮明だ。長期クールのアニメがその放送期間の長さゆえにやがて原作に追いついてしまうのなら分かるけれど、なぜわざわざ1クールで駆け抜けたのか、未だに理解に苦しむ。もちろんその終盤はまったく面白くなかった。
 「ソウルイーターノット」については、一切内容を覚えていない。ソウルイーターという作品のスピンオフということで、同作が好きだった自分は毎週録画して見ていたはずなのだけれど、最終話付近に本編主人公がチラッと出てきたことくらいしか覚えていることがない。とはいえ、大いに気に入って2期までがっつり見たきんいろモザイクですら1期1話以外の具体的な内容はほとんど記憶に残っていないことから察して、いわゆる日常系のアニメはそのストーリー的な起伏の少なさ故に具体的な内容が記憶に残りづらい性質があると思われるので、その点は考慮しなければならない。……まぁそれにしたってきんモザとは違って、作品に対する好意すら印象に残っていないということは、正直これも「べつに見なくてもよかった作品」の一つだったのだろうとは思うけれども。
 一方で、「ノーゲームノーライフ」は(当然といえば当然ながら)ストーリー性のあるラノベ枠作品だ。これを見ている時点で、この年の自分はまだラノベ系に懲りてはいなかったらしいことが分かる。内容としては頭脳戦ギャンブル物……なのだけれど、どちらかといえばその路線で描く俺つえー系の作品だったと記憶している。それ故なのかギャンブルの試合模様として印象に残っている場面がなく、一番よく覚えているのは中盤に起こった特殊エンディングのこと。あれにはそういう演出もあるのかと驚かされたし、その驚きが本作の中で一番の収穫だったように思う。……逆に言えばその点以外はべつに見なくてもよかったのかもしれない。
 「ブラックブレット」もまたラノベ系……なのだけれど、本作は他とは少し経路が違った。成人より強い幼女がごろごろいる世界観で大人とその幼女がバディを組んで化け物と戦う……という話で、キャラデザのオタク臭さに反して内容はなかなかシビアな物だった。どうシビアなのかというと、幼女を含めた人間がまぁよく死ぬ。キャラクターを改めて同じストーリーラインを描けばまた違った趣の作品が出来上がるのでは? と思う程度には、根っこの部分が他ラノベ系とは少し違って見える作品だった。現代で言えばアークナイツなんかが近い概念を持っているだろうか。
 そして次、この年一番の問題作「メカクシティアクターズ」。これはカゲプロと呼ばれる一連のボカロ曲またはその作曲者の執筆したライトノベルを原作とするアニメなのだけれど、中学3年間をいわゆるカゲプロキッズとして過ごした自分にとって、このアニメの行く末は青春の行く末と言っても過言ではないほどだった。放送された時期を見るに、この頃の自分はすでにちょうど高校生になっていたらしい。だから本作はそんな当時の自分にとって、卒業式の延長戦だった。
 ファンをカゲプロキッズ呼ばわりする世間にうんざりしていたぼくは、このアニメがファンとアンチの戦いに決着をつけると思っていた。というかより正確に言えば、それが「ファンvsアンチ」の戦いであるのか「信者vs評論者」の戦いであるのかが、このアニメの出来によって決まると思っていた。もちろん当時のぼくは自分がファンであり、なおかつ評論者でもあることを信じて疑わなかった。……そして放送されたアニメを見て、ぼくはうめき声を上げることすら出来ずに膝から崩れ落ちた。そこで目にした物はもはやつまらないなんてレベルではなく、見るに堪えないというか、これまでに自分が見てきたアニメの中でぶっちぎりに一番ひどい出来だと断言できる代物だったのだ。この年、このアニメをもって、ぼくはカゲプロキッズを卒業した。あとだんだんシャフトのことが嫌いになってきた。
 ……気を取り直して次の話に行こう。この年のラノベ系三つ目である「人生」。正確なタイトルは、「人生相談テレビアニメーション「人生」」。なにやら仰々しいタイトルであり、母がまさにそのタイトルに釣られて録画したことが視聴のきっかけなのだけれど、実際のところその内容は普通の学生系日常物の、ラノベらしく男主人公がモテたりする美少女どたばたコメディだった。このアニメについても、具体的なエピソードはほとんど全くと言っていいほど覚えていない。……ただ一つだけ、本作には明確に印象に残っていることがある。それは「後半になるほどキャラに愛着が湧き、それに伴って面白さも増していったように感じた」ということ。他の「内容が記憶から消えていったアニメ」と比較すると、こんなポジティブな印象がはっきりと残っていることはかなりのイレギュラーであり、具体的なところは記憶から消えてしまったにしても、当時自分が視聴したそれには何かしら見るべきところがあったのではないか……ということが推測できる。また、この手の作品にしては珍しく、いわゆる正ヒロインの座が話数が進むにつれてはっきりと決まっていったことも印象に残っている。
 そして次、この年一番のビッグタイトルである「東京喰種」。当時のヤングジャンプの看板作品である本作を、原作も読んでいたぼくは当然ながら大きな期待を寄せて視聴したのだけれど……。その感想としては、「まぁ普通に面白かった」程度のところに落ち着いてしまった。
 普通に面白いことの何が問題なのか? という話だけれど、そのあたりの感覚はそれこそ当時の自分が一番麻痺していたように思う。「アニメとは、そこそこに面白い物だ」という感覚が、2013~2014年の間に自分には定着してしまっていた。2011~2012年の頃に感じていた衝撃、興奮、作品を強く愛する気持ちを、数々の不満の残る作品たちによって削ぎ落とされていたのだ。アニメとは決して暇つぶし程度のために見る物ではないということを、この頃はすっかり忘れていたのだ。腑抜けていたと言ってもいい。
 当時は分からなかったけれど、今なら言える。一線級の漫画雑誌の看板作品ともあろう作品が、「まぁ普通に面白い」程度で終わってしまったなら、それは損失なのだ。ぼくが本当に見たかったのは、後年の「鬼滅の刃」のようなクオリティで描かれる東京喰種だった。「呪術廻戦」のようなクオリティで描かれる東京喰種だった。後の時代で天下を取ったそれらの看板作品に比べれば、実際に放送された東京喰種のアニメはクソだ。何せそこには感動がなかった。
 一方で、特に期待せず見た「デンキ街の本屋さん」は結構面白かったことを覚えている。秋葉原にある秋葉原らしい書店が舞台のギャグ系作品ということもあり、なかなか見たことのない個性と魅力を携えたキャラが多い作品だった。その中で恋愛模様が展開されたりされなかったり、運動会回があったり肝試し回があったり、「ソムリエくんここどこ〜!?」のくだりが印象に残ったりと、明確なストーリーラインのない作品特有の具体的なところが記憶に残りづらい性質を差し引いて考えれば、かなり印象的だった作品だと言える。当時の自分がそれをどのくらい気に入っていたかというと、どうしても学校に行きたくなくてサボった日にその足で古本市場へ向かい、しばらくこれの原作を立ち読みしたくらいには気に入っていた。
 それから、この年の視聴を途中でやめたアニメには内容的になかなか珍しい物がある。「異能力バトルは日常系のなかで」は、アニメ史に残る伝説のシーンを有していながら、それ以外に見るべきところがまったくない作品だった。
 そもそも本作を視聴し始めた理由として、異能力日常系というジャンルへの憧れがあった。ココロコネクトや琴浦さんの影響もあり、単純に男の子らしく異能力バトル物が好きな一方で、きらら系好きのオタクらしく日常系が好みという側面もあり、なんなら当時の自分はすでに異能力日常系に該当するジャンルの自作小説を執筆したりしていたので、そんな中で現れたこのタイトルは見ないわけにはいかなかった。……が、見始めたはいいものの、一向に話が面白くならない。性癖に刺さるキャラもいない。このアニメはダメかなぁ……と思っていたところで、しかし例の「分かんないよ!」のシーンが始まったのだった。
 その名シーンだけはえげつなく面白かった。久しぶりに「画面に惹き付けられる感覚」を得た。もし本作が2時間の映画だったなら、そのシーンを見られただけでも作品として非常に満足していただろう。……がしかし、本作は全話で計200分は超えるアニメ作品であり、残された尺の長さからしてもぼくは当然に、その名シーンから加速度的に物語が面白くなっていくことを期待していた。そう期待せざるを得なかった。……そしてしばらく見ていてもその期待は一向に叶いそうになかったので、視聴を断念したのだ。
 もう一つの視聴断念アニメ「寄生獣」だけれど、これはなぜ見なくなったのかが今振り返っても分からない。内容に文句はなかったはず。現に最初の頃は毎週の楽しみにしていたはず。なのにある時、なぜかどこかしらのタイミングで、ぼくは本作を見ることに疲れてしまった。面白いつまらないではなく、疲れて視聴をやめたのだ。これは後にも先にも異常としか言えないフェードアウトの仕方だった。他のパッとしないアニメは完走したのに、寄生獣は完走できなかったこと。この理解に苦しむ当時の選択からして、何かすでに、自分の中に歪みのような物が生じていたように思う。
 ジョジョ3部についても、同じく理解しがたい現象に見舞われている。ぼくにはこのアニメを完走した記憶がない。しかしその一方で、ぼくはこのアニメの内容を全て知っている。それはなぜかといえば、自分で録画して見たわけではなくても、親の見ていた物をチラ見したり、友人宅で上映されていた物を見たり、後の時代に再放送された物を見たり、アマプラに入ったそれを見たりした記憶があるからだ。
 だけど、いったいどのエピソードをいつどこで見たのかという話になると、まったく正確には思い出せない。テンポの問題なのか何なのか分からないが、2部アニメや原作の方が面白いなと感覚で思った記憶はあるけれど、それが視聴断念の理由だったのだろうけれど、それがどのタイミングで思ったことだったのか、視聴を断念したのはいつだったのか、そもそも自分は本当にこのアニメを完走していないのか、とにかくあらゆる記憶がないのだ。後の時代のことまで含めて記憶が入り乱れてしまって、リアルタイムの原型が消えたのだと思われる。自分のアニメ視聴歴を振り返っていても、「見たはずなのに内容の記憶がない」ではなく「内容は分かるのに当時見ていたのかどうかが分からない」という現象は、後にも先にもここでしか起こっていなかった。寄生獣の件と同じく、これも自分のアニメ視聴について何らかの歪みを感じさせる異常事態だった。
 一方、明確に後年になってから見た作品として、この年には「プリパラ」がある。100話を超えるそのアニメを弟と共にDVDで完走した思い出は、後々の時代のぼくが、アニメ視聴に対するかつての熱意を取り戻したことを表しているようにも思える。実際のところリストを見るに、この年に放送されたアニメの中で自分にとって一番の当たり作品は明確にプリパラなのだ。
 そしてそんな不満と歪みに覆われた年を経て、ついに歴史は2015年、転機の年に突入する。

・2015年

 少なっっっっっ!?!?
 リストを作成していて我ながら呆気に取られた。圧倒的凶作。2015年は冬の時代だった。
 完走したアニメが年に3本ということは、1クールに1本のペースを切っているということである。そんな状態がアニオタの暮らしだと呼べるだろうか? むしろ、2013~2014年の文句たらたらな流れを踏まえて本年のリストを見れば、誰しもがこう思うのではないか。「もしかしてこいつは、アニメ視聴その物からフェードアウトするのではないか?」と。
 この年がなぜこんなことになったのかはハッキリとは分からない。現在の価値観から言わせてもらえば、単純に見るアニメがなかったからなのだけれど、そんなことはほぼほぼ2014年にも当てはまる理屈である。現在の自分から見た不作は、当時の自分から見れば豊作あるいは並程度であったはずだ。……つまりそこから推測できる結論としては2種類がある。寄生獣の時に感じた「疲れ」が末期症状に陥ったのか。それとも、この年から自分は「2023年現在の価値観」に近づきつつあったのか。
 答えがどちらだったのか、どちらもだったのか、あるいは全く別だったのかは、今さらハッキリとは分からない。だから、とにかく今の自分に出来ることは、この少ないリストを上から順に見ていくことくらいのものだろう。
 「きんモザ」の2期は、1期が順当に面白かったので当然見た。当時の自分はきんモザのことを「最も面白いきらら枠」だと認識していたことをよく覚えている。またリストに不在であることが暗に示しているけれど、同じきらら枠でもごちうさは全く肌に合わず、当時からわりとそちらを目の敵にしていたことも覚えている。現代となってはごちうさの方が天下を取ったことは明白だけれども、ぼくはまだそれに納得していない。きんモザ3期をずっと待っている。
 話は逸れるけれど、当時はなぜ自分がきんモザ派なのかを言語化できていなかった。しかし今は違う。自分は主人公への好意が増し増しなヒロインが好きで、なおかつヒロインを見ることを主題とするのであれば、落ち着いた作品の方が好みなのだ。ゆえにノリと勢いのニャル子さんよりも最終的にはこちらに流れてきたのだと思われる。そして、だからこそきんモザは1期1話がずば抜けて印象に残っているのだ。最高のアニオリと呼ばれる冒頭も良いけれど、自分にとっての核はそこではなく、主人公目当てに来日したヒロインと、彼女がわざわざローマ字で書いてくれた手紙のことがとても気に入っている。そしてこれは後々より深く分かっていくことだけれど、ヒロインが女性でありさえすれば、主人公の性別はこのあたりの趣味についてまったく考慮の対象にならないのだ。
 ……話を戻して、その次。「実は私は」は、チャンピオン連載の漫画原作作品だ。本作は、普通の女子高生として生活しているが実は吸血鬼であるヒロインと彼女に恋をした主人公が、同じようにとんでもない秘密を隠し持っているキャラクターたちとわちゃわちゃするラブコメである。むかし家に転がっていたチャンピオンを読んだ時にちょっと目を引いたことが視聴のきっかけになった。
 本作の感想は、またしても「まぁ普通に面白かった」に落ち着いてしまう。人間と見せかけて実はロボだったヒロインの暴露シーンはなかなか印象に残っているし、後から思えばこの作品も後の自分が熱い関心を寄せることになる「異種族もの日常系」の一つなのだけれど、それらを踏まえて一番印象に残っていることは何かと言われると、謎に癖の強いオープニング曲の話題を挙げざるを得ない。あとはヒロインの父親がおっかなかったことくらいだろうか。大体そんな感じのアニメだった。
 「すべてがFになる」は、本年最後の完走タイトルである。そしてこれは明確に面白かった。この凶作の年に新規タイトルで面白い物があったことは幸いである。
 ミステリ小説が原作である本作は、先に実写ドラマ化がされていて、個人的にはそちらも相当面白かったと記憶している。それを踏まえて見たアニメがなお楽しかったと言えば、本作への満足感は表現できるだろうか。一つの事件に関する話で1クールを完走させるだけの物語的な魅力も良かったし、探偵役である犀川先生のキャラが当時ものすごく気に入ったことを覚えている。どのくらい気に入っていたのかというと、当時友人から「お前が男キャラの話をするなんて珍しい」と言われる程度には気に入っていた。ちょうど氷菓の原作者の書いた小説を読み漁っていたのもこの時期だったので、ミステリというジャンルがマイブームに合っていたことも運命的だったと言える。
 一方、完走できなかった作品としてリストに挙げている「ゆるゆり3期」だけれども、これはジョジョ2部と同じ「途中から見始めた」作品である。最初から見なかった理由と途中から見た理由、そのどちらもが今回に限っては分かりやすい。前者の理由はWORKING!と同じように、数年前に気づいた時にはもう2期が放送されていたことで尻込みしてのスルーを決めたから、3期である本作も当然スルーする気だったこと。そして後者の理由は、見たいアニメがあまりにも少なさすぎて、飢えをしのぐようにある日これに手を出したこと。
 けれど結果から言って、その飢えは天啓だった。ぼくはこの時になってようやく、面白いアニメは途中から見ても結構面白いのだということを学んだのだ。いや、正確にはFate/Zeroの頃からそれを知っていたはずなのだけれど、あちらは面白いとは言っても、やはりほとんどストーリーにはついていけなかった。けれどゆるゆり3期は日常系であることも相まって、そういった問題をほとんど感じさせなかったのである。この経験は後の時代で大いに活きてくる。
 それに対して「がっこうぐらし」は、シンプルに途中でフェードアウトした作品だった。美少女日常系の皮をかぶったゾンビサバイバル物という唯一無二の見どころはあったのだろうけど、一話ごとの内容がどうにも薄く感じられたというか、結局のところミスマッチなジャンルを「奇を衒う」以外の方向性でもう一歩活かしきれていなかったような印象を受けている。それで当時のぼくは、めぐ姉の真実が判明するよりも先にこのアニメの視聴をやめてしまった。
 ……2015年の総評は以上である。見た本数が少ない分、語るべきことも少ない。しかしそれでも、ぼくはこの年のことを自分にとって重要な物であったと認識している。
 2015年にぼくは学んだのだ。やはり肌に合わないアニメは見てもQOLに貢献しないことを。だけどその一方で、スルーするはずだった作品に飢えて手を出すくらいには、アニメ視聴がすでに自分にとってはなくてはならない趣味になっていたことを。
 それを踏まえて、時代は2016年へと移る。

・2016年


 この年のリストを見て、ぼくは感動した。前年までに比べて、作品のチョイスが明らかに洗練されている。もちろんこの年に放送されたアニメ自体が豊作だったことは間違いないのだけれど、それを差し引いても、自分の好みに対するタイトル選びの精度が段違いに上がっている。
 まずは「亜人」。この作品は思い出深い。中盤までは原作に忠実で面白く、また3DCGによる作画と加工された音声が作品にものすごく良く合っていた。特にIBMを描くことにかけては本作以上の正解はなかったと言えるだろう。
 けれどもそんな魅力もさることながら、アニメ亜人の面白さは、後半からが真骨頂である。諸々の事情があったのだろうけど、なんとこのアニメ、後半戦は徹頭徹尾アニメオリジナル展開になるのである。原作を改変するどころの話ではなく、もはやifルートと呼ぶべき怒涛のストーリーが数週に渡り展開される。そして何よりすごかったのは、そのアニオリが抜群に面白かったことだ。そんなことある? と思わず原作をレンタルしてみたけれど、間違いなく別物の展開であり、間違いなくどちらも面白かった。途中から丸々オリジナルの話を展開してがっつり面白かった原作付きの作品なんて、この亜人くらいの物ではないだろうか? その奇跡のアニオリによる最終回が、漫画ではなくアニメでこそ映えるだろう演出を用いていたことにもすごく好感が持てる。亜人は、間違いなく自分のアニメ視聴歴の中でベストランキングに入る名作だった。
 ちなみにだけれど、亜人は実写映画化もされており、そちらはそちらでアニメほどではないにせよオリジナルの展開を兼ね備えている。そして意外なことに、なんとちゃんとその実写版も面白かった。原作、アニメ、実写化でそれぞれ別な展開を行い、それぞれに替え難い良さがある。亜人というタイトルにはそんな歴史上稀な魅力が実現していた。その特異さに触れることが出来ただけでも、2015年で心折れずに済んだ甲斐があるというものである。
 続いて、「僕だけがいない街」も相当に面白かった。本作はタイムリープ要素を含むサスペンス物なのだけど、1クールできっちり決着をつけた点、話運びが知的かつ、意外性等の視聴者を惹き付ける力に富んでいた点、キャラクターの魅力に……特にヒロインの魅力に事欠かない点などが気に入っている。
 また、これはかなり後の時代になってから分かることなのだけれど、今にして思えば、本作は「自分の感性には東京リベンジャーズは合わない」ということを逆説的に表している作品でもあった。同じタイムリープ物として、長期クール、気合いや人情による話運び、ヒロインを助ける目的で始まった話でヒロイン以外のキャラにスポットが当たりがちなこと……という具合に、東リベは本作のほぼ真逆を行っているのだ。ぼくとしては明確に「僕だけがいない街」の方が好みである。……と、こういった「己の感性の輪郭」を知ることが、2016年から始まった「洗練された作品チョイス」に繋がるのだとぼくは信じている。
 そして次、「ジョジョ」の4部。これは明確に完走した記憶がある。面白かったのかと言われると、正直原作の魅力には及ばないことが多かった印象が強いのだけれど、噴上裕也の回は二回とも抜群に気に入ったことを覚えている。そして何より、ようやく明確にジョジョを完走したのだということ。この経験が後々のシリーズに対する視聴意欲として活きてくる。
 そして次に語るのが、この年の愛すべき問題作「迷家 マヨイガ」。本作は田舎の村に集団で移住したわけありの面々がなんだかホラーな目に遭う……というベタな作品をいかにもアニオタ向けな雰囲気でお送りする作品なのだけれど、まず何より重要な点として、いざ怪奇現象が起こり始めてからの展開がまったく怖くないということが挙げられる。というか端的に言って、本作は本年の作品群において頭一つ抜けて作品のクオリティが低い。どこが……と聞かれると難しいのだけれど、一言で表すなら「B級」という表現が的確かもしれない。
 しかしそんな本作には妙な魅力がある。キャラクターには愛着が湧くし、B級臭ただよう展開の中に時々目を見張るような演出がある。そして何より、なんだか見ていて不快ではないのだ。「これは本当に面白いのか?」「俺は本当にこれが見たいのか?」という自問自答に、なぜかスッと「面白くはないかもしれないけど嫌いじゃない」「ぜひとも見たい」と即答することが出来る。本作はそういう魅力を有するB級アニメだった。正直、暇な人にならぜひおすすめしたい欲求まである。作品鑑賞には、面白いつまらないの他に、愛せる愛せないという見方があるのだということをぼくに教えてくれた作品、それが迷家だった。本年の他の多くのタイトルと同様、この作品を視聴できて本当によかったと思う。
 一方でその次、きらら枠の「NEW GAME!」。これについてはいろいろと思うところがあるものの、少なくとも当時この1期に関しては非常に楽しんで見ていた。それは間違いなく断言できる。きらら系として順当に面白かった本作も他作品と同様に、自分がアニオタとして生まれ変わった2016年を支えてくれたタイトルの一つだったと言えるだろう。
 そして次、俺ガイル原作者が携わった作品である「ガーリッシュナンバー」。これが本年で完走した中の一番の問題作なのだけれど、なんと幸いにもそれすら最終話以外は楽しむことが出来た。そういう意味では本作も、2016年の圧倒的に洗練されたラインナップの打率の高さを象徴する作品とも言える。
 本作を見たきっかけはもちろん、俺ガイルの原作者が携わる作品に対して決着をつけるためだった。このアニメが面白くなければ、仮にいつかまた同じ作者が別の作品をアニメ化させていたとしても、もうそれを視聴したりはしない。そんな方針を定めるために見始めた本作は、さすがかつて好んだ作者の初見の新作ということもあってか、途中まではがっつり面白く楽しめた。ダメ人間のヒロイン、それを支える兄、ヒロインに負けず劣らずのダメっぷりを有する大人に、その下で振り回される後輩、……そんな人物たちが和気あいあいと楽しげに、しかし徐々に追い込まれていく物語を、原作者お得意のユーモアと魅力的なキャラクターで描いた、見るべき部分は無数にある作品だった。
 しかしぼくがこの作品を気に食わない物としている理由は、その最終回……つまりオチの付け方にある。今までなぁなぁで生きてきたダメ人間たちがそれぞれ社会の崖際まで追い詰められ、いよいよ後がなくなってきた、さぁ最終回で彼ら彼女らはどうなる……!? と引っ張ってきた末に現れたオチが、あろうことか「心を入れ替えて真人間になる」と「心は入れ替えてないけど強いメンタルでしのぎきる」で済まされたのを見た時、ぼくはそれなりに怒り狂った。どちらも、あまりにも「それが出来れば苦労しない話」すぎる。なんだこの茶番は、俺はこんな茶番を見るためにこのアニメを追っていたわけじゃない! ……そう憤り、ぼくは無事にこの原作者に見切りをつけた。当初の目的は果たされたのだから、それについてはよかったと思う。
 「WWW.WORKING!」は、タイトルから察せる通り、WORKING!と同じ作者によるスピンオフに当たる作品である。ただしスピンオフと言っても、ファミレスが舞台となる本家に対して本作は「別店舗の話」という位置づけであり、そうなると当然ながら登場キャラは一新されていて、大袈裟に言うならば本家の面影はほとんどない。……つまりそれがどういうことなのかといえば、本家に乗り遅れてまごついていた自分にとっては、本作は渡りに船の作品であったということだ。
 そして幸い、そんな本作は順当に面白かった。キャラクターが特に気に入って、なんと原作がネットで無料で読めるということでそれはもう読み漁った。……ということは改めて2016年を振り返ってみると、この年に完走したアニメはガーリッシュナンバーの最終回を除いて、全てが自分にとっての当たり作品だったということになる。前年までの悪戦苦闘を思えばまさに奇跡のような一年だったと言えるだろう。この奇跡が、後々の自分の作品鑑賞に対する価値観を形作っていくことにもなる。
 そんな自分にとってのターニングポイント的な意味合いを持つ本年には、後年になって遅れて視聴した作品が二つある。一つはOVAであったためにTSUTAYA入りを待った「ガンダムサンダーボルト」。もう一つは全くノーマークだったが偶然目にした回が面白く後に改めて再放送で完走した「ふらいんぐうぃっち」。どちらも文句なしに面白かった。
 前者の方は真に迫る場面の数々が印象に残っているけれど、後者は密かに初めて遭遇した作風だったのでなおのこと印象深い。日常系はそれなりの数見てきたつもりだったけれど、ふらいんぐうぃっちは他作品と違って、なんというか「おちゃらけた雰囲気」を意図的に避けたような落ち着いた作風をしている物だった。だからそれは、こういう作風もあるんだ、しかも面白いんだ、と自分の見識を広げてくれる作品だったように思う。
 その一方、好調なこの年にもフェードアウトした作品がないわけではなかった。一つは学校の先生からおすすめされた「少年メイド」。もう一つは友達から勧められた「ReLIFE」。どちらも悪いアニメではなかったのだけれど、しばらく見た末に自分には合わないと判断せざるを得なかった。なお後者の方のエンディングで行われていた「往年のヒットソングを週替わりで流す」という演出に関しては今でも時々思い出すくらい気に入っている。一方で前者の方の作品については、ぼくが仲の良かった先生に「自作小説に男の娘キャラを登場させている話」を熱心にしすぎたたのが悪かったのだと思う。むしろそんな話をしつこくされておすすめのアニメを返せた先生がすごい。
 と、何にせよそんな充実した2016年を経て、ぼくのアニメ視聴の歴史は激動の2017年へと移っていく。 

・2017年

 2017年は二面性の激しい年だ。完走したアニメの質が抜群に高い一方で、フェードアウトしたアニメの数もずば抜けて多い。この強烈な温度差の体験は、後々の自分に大きな影響を与えたように思う。
 完走した物の話からしていこう。まずはなんといっても「けものフレンズ」。SNSを席巻したのはもちろんのこと、深夜アニメとして始まったのに最終的に子ども向け朝アニメ枠での再放送を得たり、どん兵衛CMとコラボしたりという一種の社会現象すら起こしたこの名作は、2017年に放送されていた。
 本作は序盤こそネタ枠扱いされており、どこか特徴的ながらも緩すぎる雰囲気、牧歌的だけど中身のない話運び、名曲と迷曲の間で輝いたオープニングなどが話題になっていた。けれどそこから意味深なエンディングや、次第に匂ってくる謎多きストーリーなどが少しずつシリアスな面白さを醸し出し始め、最終的には極上のカタルシスと最高の完結を実現した大名作、あるいは怪作なのである。一つも外さないキャラクターの魅力はもちろん、巧みに張られた伏線、主人公らの後を数話遅れで追ってくる別コンビの動向と、彼女との満を持しての合流、終盤から最終話へ繋げる引き展開の強烈さなど、見るべきところを挙げればキリがない。
 そんなけもフレと同時期に、「小林さんちのメイドラゴン」も放送されていた。こちらも京アニ制作の美少女コメディとして名作なのだけれど、特に自分にとっては「異種族美少女」というジャンルの扉を開ける作品になった。ジャンルの扉……というか性癖の扉だ。母親と視聴している最中にこの作品から放たれた「私は小林さんの従順な性奴隷です♡」というとんでもない台詞が後々の自分の創作に大きく影響することになるのだけれど、その話については語ると長くなるので割愛する。
 「アリスと蔵六」もなかなかに印象深く、そして面白い作品だった。異能力を持った少女が研究機関的な組織に追われて……というよくある話に見えて、良い意味で「子供と大人」という構図を際立たせる魅力的なキャラクターたち、哲学的な視点に富んだエピソード、そして中盤で悪の組織があっさり壊滅するという一筋縄ではいかない物語の構成といった独自性の強い要素を本作は兼ね備えている。覇権レベルで面白かったのかと言われるとそこまでではなかったのだけれど、なんというか作者の考える「自分の考える面白さはこれ!」というパワーが伝わってくるような作品だったように思う。本作も間違いなく名作だった。
 「エロマンガ先生」は久しぶりのラノベ枠であり、この頃の自分はそろそろラノベに懲り始めていたはずなのだけれど、その直球すぎるタイトルに釣られて見てしまった作品である。ラノベに懲りたとはいうものの、アニメ視聴が云々以前に、エロ漫画が大好きなんだから仕方がなかった。
 そんな煩悩まっしぐらな状態で見始めた本作だけれど、過度の期待はしていなかったこともあり思いのほか楽しめたように思う。特にヒロインが全員魅力的だった点が非常によく、すっかりラノベ嫌いになりつつあった自分の意識を、回を追うごとに「キャラを見る物としては悪くないな」といくらか好転させていった功績は大きい。が、残念ながら本編にエロ漫画の話は一切出てこなかった。解せぬ。
 「ひなこのーと」は、きらら枠……と見せかけて実はきらら出身ではなく、しかしその作風により当時から「名誉きらら枠」と呼ばれていた作品である。内容としては可愛い女の子たちがわちゃわちゃする感じのオーソドックスな美少女系で、オープニングとエンディングが共に耳に残りやすいことを除けばさほど語るべきところはなかったように思う。つまり普通に面白かっただけなのだけれど、きらら系に関してはそれで十分ありがたかった。
 なお、ものすごく余談になるけれど、小学生時代の真ん中あたりからずっと不登校だの別室登校だのフリースクールだのを続けていた自分はこの年に通信制の高校を卒業しており、ちょうどひなこのーとが放送していた時期に人生初のバイトに挑戦したという背景があった。それにより、本作の特徴的なオープニングとエンディングが自分の人生のターニングポイントに結びついて記憶の中で異様な存在感を放っていたりするのだけれど、そのバイトは十日でやめた。次のバイトは一日でやめた。そしてその体たらくは現在に至るまで改善することが出来ず、ならアニメを見ている場合なのかと言われると、話はややこしい方向へと転がらざるを得なくなる。
 ……ともかく、次は「魔法陣グルグル」について。名作と聞いていたのでとりあえず見てみるか〜と気軽に見始めた本作は思いのほか尺の長い話だったけれど、その実たしかに名作の名にふさわしい面白さを有していたように思う。日常系に近い可愛らしさを持ちつつも時々本気で笑わせにくるユーモアが気に入っていた。
 ただ個人の感想としては、本作もどちらかといえば「無難に面白い」の部類であり、他の大当たり作品に比べると見劣りすることは否めない。きらら系同様にそういう物も少しは必要なのだけれど、少なくともこの手の感じ方をする物を無理して見る必要は決してないのだということは肝に銘じておく必要がある。その意識が2016年以降の自分を作っているのだから。
 「RWBY」は、海外アニメの吹き替え版であり、スタイリッシュかつオシャレなアクションを売りにした3DCG作品である。日本人ウケするタイプの美少女が多いことも特徴かもしれない。
 本作の味わいは独特で、なんというか、アクション映画を見ているような感覚がするものだった。アクションというか戦闘シーンで魅せてくるアニメなら当然ながらいつの時代にも多く存在するものだけれど、展開のアツさや作画の派手さで魅せてくる他作品に対して、本作のアクションの魅力はなんというか、純粋な棋譜の魅力である。「CG増し増しのマーベル映画のアクション」に対する「カンフー映画のアクション」と言えば伝わるだろうか? そういう魅せ方のアニメを見たことがなかったので新鮮だったし、何よりちゃんと面白かった。視聴後に「印象に残るシーンの集合体のような作品だ」と感じるところまで含めてなんだか映画的で、その点もとても気に入っている。……ただ残念なことに、続編はあまり面白くなかった。
 「宝石の国」は、作画もさることながらストーリーが良すぎる傑作アニメだ。人間が絶滅した遥か後の時代の地球で、寿命の概念を持たない鉱物由来の人型生命である「宝石」が、空から自分たちを攫いに来る「月人」と戦っていく……という物語で、主人公はいわゆる天真爛漫な落ちこぼれタイプなのだけれど、いつか皆と同じように活躍したいと夢見る彼の行く末は、あらゆる作品と見比べても他に類のない様相を見せていくことになる。
 ぼくは「成長」という言葉のネガティブな側面を描いた作品として、宝石の国以上の物を知らない。そして近年アニメ化された物の中では、これより残酷な道を辿る物語も他に知らない。あまりにもベクトルの違うけものフレンズというもう一つの傑作がなければ、本年の覇権は宝石の国一択だっただろう。そう確信できるほどの物がこのアニメにはあった。また、本作の原作は非常に独特な表現技法で描かれており、紙面を占める黒の割合が非常に多い。その原作絵を、漫画と違ってフルカラーで描くアニメにどう落とし込むか……という点においても、本作は本編中で、あるいはオープニングやエンディングの映像を通して、視聴者に新鮮な感動をくれた。とにかく褒めるところが山のようにあるアニメだったのだ。
 けもフレと宝石の国、一年の顔と言って差し支えないレベルの作品が一気に二つも現れ、その他も粒ぞろいどころか大粒ぞろいだった波乱の大豊作シーズン、それが2017年という時代だった。……しかしその一方で、冒頭でも触れた通り、この年は自分史上屈指の「視聴を挫折したアニメだらけの年」でもある。
 異種族もの日常系というジャンルに惹かれて視聴した「亜人ちゃんは語りたい」は、自分の期待していた異種族系作品でなかった。後の時代に理解することなのだけれど、自分が異種族ヒロインに求める物は「人智を超えた強さと可愛さの両立」であり、本作には前者が足りなかったのだ。登場する異種族たちには特殊な力や生態があったけれど、彼女らは年相応の少女らしい少女たちであり、力は持っていても強さは持ち合わせていなかった。……ただし本作にあった「対等な存在である異種族に対して、聞きづらいけど興味をそそられることを聞く」という構図は、後の自分の創作に大きな影響を与えた物だと思う。
 「クズの本懐」は、元エロ漫画家の女性作家が書く後ろめたくて生々しい恋愛が題材の骨太なストーリー物……ということで前々からネットで話題になっていて、エロ漫画と少女漫画のどちらにも興味を持つ自分が呼ばれている気がして視聴に至った。しかし数話見ていくにつれて、ぼくは「自分は他人の恋愛に尽く興味がない」ということを自覚して、その肌に合わなさから視聴を挫折した。思えばとなりの怪物くんを見ていた時も、各キャラの振る舞いには関心があったけれど、恋模様の行く末は比較的どうでもよいと感じていたように思う。自分の感性の輪郭がまた一つはっきりした瞬間だった。
 「NEW GAME!」の2期は、1期に比べてお仕事アニメ感が明らかに強まっていたので見るのをやめた。自分がきらら系に求めている物はそんなスポ根ではなく、また、ひなこのーとに絡めた前述の背景の通り、自分はちょうどこの時期に「皆と同じように学校に通えなかった人間が、皆と同じようにバイトをできるわけがない」という現実を実感していたところなので、スポ根要素のあるお仕事アニメというジャンルはそれはもう地雷も地雷の圧倒的NGジャンルになっていた。希望、努力、成長! といった趣が1期に比べて増したオープニング曲のこともよく覚えている。偏った視点からの感想になってしまうけれど、率直に言えばまったくもって反吐が出るものだった。
 「Fate/Apocrypha」は、全てのFateシリーズがZeroレベルで面白いのだと信じてやまなかった自分に、つまらないとは言わないけどそこまでではない作品もある……という現実を知らしめた作品だった。2015年のショックを経る前の自分なら視聴を続けていたかもしれないけれど、それはつまり視聴をやめるには十分すぎる理由があったということでもある。ついでにこれを機に、ぼくはFateシリーズのアニメに「Fateシリーズだから」という理由で手を出すのをやめた。
 「キノの旅」についても大体同じである。原作はいろいろな場所で高評価されており、学校の図書室にある数少ないラノベ寄り作品のうちの顔とも言える本作を、ぼくも中学時代に数冊くらいは読んでいた。それも結構楽しく読んでいた。けれどアニメを見てみれば「まぁそれなり」という感じだったので、やはり見るのをやめた。作品としての良い悪いではなく、自分が惹かれなければ見なくてもいい。ぼくがアニオタとしての歴史を重ねる中で得た教訓はそれに尽きる。
 「少女終末旅行」は解釈違いな作品だった。ポストアポカリプスな世界で美少女二人が放浪する本作の原作をぼくは読んでいたのだけれど、ぼくはこの作品の魅力を、滅びた世界+美少女日常系のミスマッチな取り合わせに加えて「正しく暗く、しかし暗すぎないこと」にあると思っていた。けれどアニメ版は可愛さを前面に押し出してきていて、作品全体の方針がぼくの解釈とは明らかに違っていた。だから見るのをやめた。とはいえ原作者が手描きでアニメーションさせている最高の(しかし作業量の意味で狂気的な)エンディングのことはよく覚えている。
 本年のリストの最後となる「魔法使いの嫁」もまた、つまらなくはない作品だった。……つまり結論として、この年に視聴を挫折したアニメの中に「つまらない物」は一つとしてなかったのである。どの作品もそれなりには良い物で、ただ単にぼく個人の趣味に合わないだけの物だった。しかしぼくはその悪くはない作品たちから尽くの視聴を打ち切って、打ち切って打ち切って、七本ものアニメから途中離脱したのである。そしてぼくはこの判断を、今でも素晴らしく正しい物だったと思っている。
 アニメ視聴には「濃度」があるのだ。体力的にも情緒的にも、人間には感じ取れる物の量に限界がある。リストを見返して、そのより高濃度となったラインナップを振り返った時に、ぼくは2015年のショックを永遠に過去の物に出来たことを確信した。この濃度を選び出せるようなら自分のアニメ視聴ライフは今後も安泰だと。
 ただしそのように多くの物の視聴を打ち切っていると、あるいは一話すら見ないでいると、当然ながら時々取りこぼしてしまう傑作も出てくる。後にアマプラで見た「メイドインアビス」がそれだった。そういうこともあるから、巷の話題を聞いてからいずれ見返すチャンスを作ってくれるサブスクという概念が世に根付いてくれて本当に助かっている。そしてある意味この助かり方を出来ることが、ばっさり打ち切っていく方針の正しさを支えているようにも思う。濃度を上げるために、使えるものは使えばいい。
 そんな風に「より良い作品チョイス」を身につけた確信を胸に、話題は2018年に移行していく。

・2018年

 2018年の特徴としては、まず見ての通り、視聴を途中でやめたアニメがないという点が挙げられる。きっとそうなりそうなアニメは初めから一話たりとも見なかったからだろう。七本の打ち切りを経て、思想がどんどん先鋭化していることを感じる。
 しかしそんな中でリストにおいてのトップバッター「ポプテピピック」はさっそくの問題児だった。正直なところ、ぼくはこのアニメを完走してしまったことを未だに恥だと思っている。
 本作は小粒のエピソードが連なるギャグアニメである。パロディあり、毒あり、実写あり……と好き放題の内容だったけれど、その中でも本作を象徴する最も大きな特徴は「ノータイムでの再放送」だった。改めて言葉にしても耳を疑う話だけれど、本作は30分アニメという体で放送されつつ、実際の内容は15分アニメと瞬時の再放送だったのである。15分でエンディングに達し、その直後にオープニングが始まり、ついさっき見た話が流れ始めるのだ。……そんなことが許されていいのか? と改めて思う。
 とはいえ、もちろん本当の本当にまるっきり同じ内容を再放送していたわけではない。絵、台詞、展開等々は、完全に寸分違わない再放送なのだけれど、担当声優だけがその都度入れ替わっていた。声優の演技を聴き比べるという楽しみがそこにはあったのだ。……そしてその前代未聞の形式のアニメを、ぼくは結局完走してしまった。
 2015年以降に完走したアニメの大半には好感がある。面白いから完走したわけで、面白い作品に好感を抱くのは当然だと言える。が、しかしその中で、ポプテピピックは完走はしたけれども例外だ。もし暇な時にテレビをつけてたまたま完走済みアニメが放送されていたら思わずそのまま見るだろうけど、それがポプテピピックだったなら絶対にチャンネルを変える。「面白かった」という印象が一ミリも残っていないからだ。はっきり言ってぼくは本作のことが嫌いである。
 いや、正気とは思えない試みそれ自体には実験的な価値があったと思うし、エピソードの要所要所で普通に笑ったこともあった。けれどすでに言ったように、アニメ視聴には「濃度」がある。多少面白かろうと、声優が変わろうと、やはり同じ内容を立て続けに見た際に得られた物というのは、それはもう薄かった。あえて過激な言い方をするなら「時間を無駄にした」と言ってもいい。睡眠や休息の大切さを知っているつもりでも、昼過ぎになってようやく目を覚ました貴重な休日には気分が落ち込んでしまうように、ポプテピピックには良い印象がないのである。
 ……と、リストの初っ端からそんな感想でこの年は大丈夫なのか? 今後のアニメ視聴の安泰への確信とはなんだったのか? と心配になってきたけれど、次のタイトルを見ればそんな杞憂は吹き飛ぶことになる。
 「ゆるキャン」のことは個人的に、きらら枠の歴史を変えたアニメだと思っている。美少女たちがキャンプをする……という、よくある「何らかの題材に美少女をくっ付けてみました系の作品」に見せかけて、ゆるキャンが従来作品より頭一つ抜けていた点は「知的であること」だ。美少女アニメ特有のキャピキャピした感じもあることにはあるのだけど、それとは別の落ち着いた作風の確保や、価値観の多様性を認める懐の広さ、いわゆる知性がこの作品にはあった。
 具体的には、五人いる美少女が三派に分かれている。ソロキャンプを好む落ち着いたパート担当の子が一人、複数人でのキャンプを好む仲良しグループが三人、その二派の間を行き来してどちらの楽しみも理解しながら橋渡し役になる子が一人……という具合に。そして何より重要なのは、ソロキャンの子が友人との賑やかなキャンプを体験したあとも「賑やかさには賑やかさの良さがあり、ソロにはソロの良さがある。どちらかに偏ることはない」という両刀的なスタンスを崩さず、周囲の人物もまたそれを尊重した点にある。
 今までのきらら系アニメではそういった「人と人の距離感」が好意的に描かれることはほとんどなかったように思う。また馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれないけれど、明確に巨乳のキャラがいて、その子を含む複数人での温泉回があったりもしたのに、そこで胸に関する話題が一度も起こらなかったことを、ぼくは本作を象徴する点として評価している。そういうお約束的な下品さからの脱却も含めて、本作には従来作とは違う知性・品があったのだ。
 またそれに加えてゆるキャンは、「関係性の進行」を楽しめるアニメでもあった。きんモザがそうであったようにこのタイプのアニメではキャラ同士が早々に仲良くなることが多いけれど、ゆるキャンは前述の通り人と人の距離感を好意的に描いた作品であるため、「仲良くなっていく過程」がそれはもう丁寧に描写されている。これや前述の内容を含めた知性的な作風は、もはや明らかにきらら枠の新時代と言うべき代物であり、ゆえに本作は本年で一二を争うほどの傑作だったと言える。きらら系に一切の興味を示さなかった母も、本作のことは気に入って毎週一緒に見ていた。非アニオタから見てもそれだけ本作には従来作との違いがあったということだろう。
 一方で、「あそびあそばせ」には良い意味で品がなかった。本作は美少女キャラ三人によるギャグアニメなのだけど、尖ったエンディングが尊重するように絵面から想起される美少女アニメ然とした雰囲気はそこにはなく、品性をかなぐり捨ててガチで笑いを取りにくる作風がそこにあった。化粧の回とか、脂肪吸引だとか、強烈に印象に残っているエピソードがいくつかあるのだけれど、記憶の残り方で言えばそれらはもっぱら銀魂のタイプである。つまりなかなか良いアニメだったのだ。
 「レヴュースタァライト」は、難解で意識高めの作風でありつつハイセンスな演出が特徴的な作品だった。舞台女優としての道を志す少女たちがそのための学校で、なぜか謎のキリンに選ばれてなぜか剣戟による決闘を繰り広げるという話なのだけれど、舞台演劇がテーマなだけあって各エピソードの見せ場には一度見たら忘れないような迫力があった。その演出の良さを見るアニメであったように思う。
 また本作については本編の印象深さとは別に、自分が本作の視聴に至るまでの流れに関してもやや変則的で印象に残っている。放送開始当初はまったく興味を持っていなかったのだけれど、話数が半ばを過ぎたところで公式による一挙配信が行われ、それを機に興味を持ち最終話まで視聴したのだ。そういう「きっかけ」もあるのだということを成功体験として知れたことは幸運だった。
 「ハイスコアガール」は、これまた名作である。ストリートファイター2がゲームセンターにあった頃のいわゆる格ゲー全盛期の時代を舞台にした「ゲーム×ボーイミーツガール」というなかなか特殊なジャンルの組み合わせをした本作は、自分に分かる範囲で言えば、少なくとも後者側のクオリティとして完璧な物を備えていたように思う。では前者側に不満があったのか? というとそういうわけでは断じてなく、そちらについてはただ単にぼくが当時の時代感に疎く評価のしようがなかったのだ。……言い方を変えるとつまり、当時の空気感を知らない人でも楽しめるくらい本作はがっつり面白かったということになる。
 クズの本懐の際に言った通り、ぼくは基本的に恋愛その物には興味が持てない。持てない……はずなのだけれど、ハイスコアガールは例外だった。それはおそらく本作の贅沢なストーリー構成……すなわち「恋路としての本編は中学生編からだけど、一人目のヒロインと知り合う小学生編を内容的にも尺的にも物凄く力を入れて描く」という点がもたらした奇跡だったのだと思う。
 当然といえば当然ながら、いくら男女といえどもゲーム好きな小学生のガキんちょ二人が出会っていろいろな時を共に過ごしただけでは、それが即時に恋愛漫画のような甘かったり苦かったりする展開に繋がるわけではない。事実、本作の序盤は完全にギャグ作品だった。けれどもそこを起点にいろいろなことがあって徐々に恋愛的な様相が見え始め、それが臨界点に達したところで満を持して中学生編に突入する……という構成は、原作で言えば小学生編に単行本丸々一巻を費やしているほどの丁寧さと力の入れ具合だった。その一冊だけで短編作品として成立としていると言えるほどのクオリティで、ギャグから始まるグラデーションにより「下地」が描かれたのである。だからこそぼくのような人間でも、そこから最終回までを存分に楽しむことができたのだ。
 また、放送開始時期を参照して2018年のリストに入っている今作は、本来なら2クール目として放送されるべきだった部分がOVAとして作られ、それが後に地上波に降りてくるという特殊な放送経緯を持っていたりもする。だから完結を見届けるまでは時間がかかったのだけれど、自分は本作にそれだけの期間が空いても一向に衰えることはないくらいの関心を寄せていたし、それに応えて最後まで楽しませてくれた本作はまさに覇権候補の一つだったと言える。
 「バキ」は、タイトルだけ聞いたことはあるもののちゃんと見たことはない作品の代表格だった。アニメ化された範囲は死刑囚編であり、数少ない父と一緒に見れるアニメであったことを覚えている。
 バキ(死刑囚編)の内容としては、一戦一戦がめちゃくちゃ印象に残るシンプルに面白い格闘技漫画といった感じだった。際立って充実したナレーションや、時おり挟まれる独特の語りのパート、異能力等の登場しないリアル志向のバトル漫画と見せかけて油断すると非現実的になっていく展開、わんさか登場する濃いキャラクター、とてつもなくワクワクする前フリなど、そこかしこから「そりゃ人気作になるよなぁ」という納得を感じられた。
 「ジョジョ5部」のことは強烈に印象に残っている。どのあたりが……と言われると答えに困ってしまうのだけれど、ジョジョのアニメはこの5部が、他の部よりも頭一つ抜けて猛烈に面白かったのだ。ジョジョを見ていて毎話毎話「こんなに面白くていいのか……?」と思ったのはこの5部が初めてだった。話の展開やテンポ、声優の演技、絵、演出やアニオリ、……とにかくありとあらゆる部分が今までと何か違った。今までだって全然悪くはなかったのに、それをさらに上回る神がかった何かがそこにあった。あの毎話の異常な盛り上がりはなんだったのだろう……。上手く言語化できないことを無念に思う。
 「ゾンビランドサガ」は、これもとてつもなく面白い作品だった。特に神回と名高い8話が印象深いけれど、それ以外にもドライブイン鳥とか衝撃的な一話の冒頭だとか、何かと語ることには事欠かない充実したアニメだったように思う。そしてこのアニメも視聴した経緯が特殊で、まったくのノーマークだったところを好きな絵師さん(べつに本作に仕事で関わっているとかそういうわけではない)が「頼むから見てくれ」と言っていたことを機に見てみたことがきっかけだった。それで覇権候補に出会えたものだからまぁ驚きである。具体的にどう面白かったのかを語るのはなかなか難しいのだけれど……。子どもの頃に見た「人が死なないと感動することもできないのか?」という一文に多大な影響を受けて育った自分が、それでも心を動かされた人の生き死にに関する話だったといえば本作の良さが伝わるだろうか……? いや伝わってほしい。
 最後に、「となりの吸血鬼さん」。異種族もの日常系である本作は、自分の性癖の転機として印象深い。メイドラゴンを経てから本作を見たことでいよいよ「自分は異種族ヒロインが好きだ」ということを自覚したのである。そしてさらにその自覚には「異種族の生態が気になる」という要素も付属していた。
 陽の光に当たると溶けて消えてしまうヒロインが昼寝中にうっかり溶けかけたことで周囲の人物があわてるというシーンを見て、本人は溶けてしまう際に痛みを感じたりはしないのか? と気になったり、「そいつに噛まれると痛いぞ」という同族への評を聞いて、吸血鬼同士でも噛むのか? 不死身の吸血鬼が言う「痛い」とは人間と同じ基準での話か? と気になったりして、その中で自分の性癖を自覚していったことを覚えている。本作とメイドラゴンの二つを見ていなければ、今の自分の創作はきっとなかっただろう。
 ……自分が見た2018年作品はこれで以上になる。改めてリストにしてみると覇権候補が当たり前のように複数出てくるとんでもない豊作の年だった。2016年からのフィーバーがとどまるところを知らない様子で何よりである。自分の人生の全盛期は2012年あたりだったけれど、アニオタとしての黄金期はこの2018年あたりに来ていたように思う。
 はたしてこのフィーバーはいつまで続くのか? 永遠に続くことを期待しながら、2019年のリストを見ていくことにする。

・2019年

                


 あれ……? なんか流れ変わったな……?
 リストを見るに、この年は傑作と駄作の振れ幅が大きすぎた。知っている人は知っている不穏すぎるタイトルと、現代人ならほとんどの人が知っているだろう超有名タイトルが入り交じる「混沌」という表現に最もふさわしかった年。それが2019年なのだ。
 この年のラインナップについて語るためには、まずは「けものフレンズ騒動」について説明しておかなければならない。
 2017年に奇跡の面白さで覇権を取ったアニメけものフレンズだけれども、放送終了後間もなく、そんな奇跡の立役者であったはずの監督がなぜか降板。同タイトルから権利的に追放されることになるという騒動が起こった。監督にこれといった不祥事があったわけでもなく、本人が望んだわけでもなく、詳細不明の違和感しかない経緯でもって、けもフレの権利関係は完全にKADOKAWAに移った。当然これには作品のファンも動揺、あるいは激怒して、本件はかなりの長期間に渡る炎上騒動へと発展していく。
 ……という経緯があっての2019年。監督を意にして制作、放送された「けものフレンズ2」の出来は、まぁひどい物だった。前作の良さが消えるとかそういうレベルではなく、単純に一本のアニメとして話作りのクオリティが低く、各キャラの道徳的な疑問が残る行動・言動や、内容がなければ温かみもない虚無の時間、滑り続ける見せ場らしき場面など、絵に描いたような駄作が毎週放映されていた。その悲惨な有り様は、奇しくも前監督の功績を証明する物のようでもあった。
 しかし個人の感想としては、ぼくはこのけもフレ2を見ることがそこまで苦痛ではなかった。どんなに贔屓目に見ても「駄作以外の何物でもない」という認識は変わらないけれど、それでも完走出来てしまった程度にはさほど苦しくなかったのである。……なぜ苦しくなかったのか? といえば、それは長い炎上騒動の末にたどり着いた当時の時点で、前作ファンであった自分にはもはや「悲しんだり怒ったりする気力」が残っていなかったせいなのではないかと思う。
 例え話として考えてみてほしい。大切な親友が、あるいは家族が、わけの分からぬうちに事故死してしまったとする。事故の原因を恨む気持ちと、そんなことをしても何も変わらない現実から来る無気力さの中で、数年を生きたとする。するとある日突然、死んだはずの大切な人が生き返った! 生前の元気な姿で蘇った! ……と思ったら、その中には別人の魂が入っていて、その別人は、故人の体を我が物として扱い、故人の名誉を踏みにじるような振る舞いをし続けたとする。……その時あなたはそいつの胸ぐらを掴み怒り狂うことが出来るだろうか? あるいは、頼むからもうやめてくれとそいつに泣きつくことが出来るだろうか? ……きっとよほど強い心を持っていなければそれは出来ないだろう。故人と同じ見た目の者がまき散らす変わり果てた振る舞いを見れば、その時は誰しもが、もうあの人は本当に死んだのだと、もう二度と帰って来はしないのだと、そう再認識するだけだろうから。失った物を数えさせられて、とどめの失意に襲われるだけだろうから。……けものフレンズ2を視聴する前作ファンの気持ちの一つとして、そういった物があったことをここに書き残しておく。
 しかし本作に唯一心残りがあるとすれば、それは、最終回を飲酒しながら見てしまったことだろうか。本作が放送していた当時の自分は二十歳で、酒の味を覚えたばかりの新成人だった。珍しく両親が用事で留守にしていた夜に、手渡された金で弁当と……それから何がどう違うのかも分からずにとりあえず一番安いビールらしき物を買って、それを夕食にしながらけもフレ2の最終回を見たのだ。……だからぼくの頭の中では、発泡酒とビールは味が明確に違うのだという理解を人生で初めて得た時の記憶が、そのカスみたいな最終回の記憶と結びついて、なんだか少し美化されてしまっている。
 今思えば、最後まで素面で、あの生前の尊厳を破壊するゾンビのようなアニメを見届けるべきだった。そんな風に少し後悔している。しかしもちろん、仮に再放送を見られる機会があったとしても、ぼくはもう二度とあのアニメを見ないだろう。けものフレンズというタイトルは死んだのだ。思い出の中で安らかに眠っていてほしい。
 ……一方でなぜか、けもフレ騒動が一応の終わりを見せたというか正しく燃え尽きたのと同じこの年に見計らったかのように、前作けものフレンズの監督が新規アニメを制作し、それが地上波に乗っていた。そのタイトルは「ケムリクサ」。亡骸と来世の対決が、2019年という時代には勃発していたのである。
 結論から言って、ケムリクサは面白かった。魅力的なキャラ作りと、何より後半の怒涛の伏線回収、及び急速な盛り上がりを見せるストーリーは、さすがけものフレンズを作っただけのことはあるという見事なクオリティを誇っていた。けもフレ2とどちらが面白かったかなんてことは言うまでもない。
 ……けれども、ではケムリクサがけものフレンズと同等に面白かったのか? というと、その答えは明確にノーであるとぼくは思う。理由として、ケムリクサにはよろしくない点が二つあった。一つは、世界観もストーリーも暗いこと。要所要所に不穏さを見せながらも基本は子ども向け番組を彷彿とさせるほどの明るさを持っていたけもフレに対して、ケムリクサは良く言えば大人向けだけれど、実情としてはまぁとにかく暗い作風をしていた。絵的にも話的にも暗く、陰鬱としていた。
 そしてそれに加えて問題の二つ目、面白くなるのが遅いこと。これはけもフレにも同じことが言えてしまうから、おそらく監督の話作りの癖なのだと思う。「面白くなりそうな雰囲気」を出す技術はさすがなのだけれど、それが実際に「面白い」に成るまでにはかなりの時間を要する。明るい作風の中で美少女たちを微笑ましく見守るならまだしも、なんなら死人が出そうなくらい暗く退廃的な作風の中でそういう焦らし方をされると……、正直、終盤がいくら面白くなろうとも、作品全体を絶賛する気にはなれなくなってしまう。序盤の「頑張ってみていた頃の気持ち」が拭いきれないから。
 結局、同監督の作品はそれ以降地上波には現れなくなった。不満というほどの不満があったわけではないけれども、不憫な炎上騒動の終着点としては、なんとも後味の悪い幕切れだったように思う。
 そして、そんな事件があった2019年には、まだもう一つの負の魔物が控えていた。その魔物の名は「バーチャルさんはみている」。個人的にこれのことはポプテピピックを上回る「視聴したことが恥になる作品」だと思っている。あちらがまだネタに出来る一方で、こちらに関しては本当に口に出すのもはばかられるレベルだ。
 そんな本作について語るにしても、けものフレンズ同様にいくらかの前提知識が必要になってくる。なのでまずは、現在ではそれなりにメジャーな概念と化した「バーチャルユーチューバー(Vtuber)」の出現した経緯についてをざっくりと解説していく。
 カメラの前の人物の動きをアニメキャラクターに連動させる技術を用いることで二次元の容姿を用いて主に動画撮影・生配信を行う者たちのことを、俗に「Vtuber」と呼ぶ。その仕様上、デビューにはそれなりの設備を要求されるジャンルということもあり、Vtuberというジャンルの存在が世に認知され始めた当初から、その界隈にはツワモノの有志である「個人勢」と、事務所に所属する形で運営される「企業勢」の二つのタイプが存在していた。
 そして2018年の初頭に、おそらく業界初の「多数のタレントを在籍させた「箱」の概念を持つVtuber事務所」が爆誕する。それが今でも業界の第一線を行く巨大グループ「にじさんじ」の始まりであり、その記念すべき一期生である月ノ美兎の配信は、色物枠としてではあるが当時大きな話題を呼んだ。
 ……ということがあって、にじさんじの出現から一年が経過した2019年。Vtuberというジャンルはまだまだ黎明期と呼べる段階にあったものの、業界全体の規模と知名度は順調に成長していた。そんな中で勢いに乗って……もとい乗せたくて放映されたのが、Vtuberによるアニメ番組よろしくコント番組「バーチャルさんはみている」だったのである。
 前置きが長くなったけれど、しかしその分というかなんというか、本作の評はたったの一言で終わる。
 本作は、素人集団による見るに堪えない低クオリティのコント番組である。
 あるいは、文化祭レベルの作品をプロの仕事と称してうっかり電波に乗せてしまったような代物である。
 あるいは、共感性羞恥の具現化である。
 あるいは、懲役1クールである。
 そしてもう一度言うけれど、だからこそ本作は、完走してしまったこと自体が恥になり得るようなひどい出来の番組だったのだ。
 これほど酷評以外の選択肢が思い浮かばないような作品をぼくは他に知らない。いや、どうせ世の中にはもっとひどい作品もあるのだろうけど、本作はVtuberの黎明期に当たる時代に、当時有名だった(あるいは今も有名な)Vtuberをわんさか集めて満を持して放映された番組なだけあって、「落差」という点においては他の追随を許さないものがある。
 しかし本作が失敗したこと自体はそれもそのはず、冷静になって考えてみれば、Vtuberとはただの動画投稿者・配信者なのである。彼ら彼女らは、自分のテリトリーの中で面白さを生む技術には長けているが、それ以外の点においてはおよそ素人なのである。考えてもみてほしい、あのユーチューバーの王であるヒカキンですら、地上波のバラエティ番組に出演したところでさほどの爪痕は残せなかったじゃないか。王でそれなら、黎明期の人員はもっとたかが知れている。実際のところ後年になると、あくまでも動画の企画としてバラエティ番組の文脈を用いた物も企業Vtuber界隈にちらほら現れ始めるのだけれど、ファンの中にはそれを面白いと言う人たちもたくさんいる一方で、ぼくは依然としてそれらが地上波に耐え得るクオリティをしているとまでは全く思えない。だからそんなアングラな界隈の人たちに、地上波向けのコントなんて物をやらせたこと自体が間違いだったのだ。
 が、しかし、そういった理屈を踏まえた上でなお看過出来ないほどに、本作の内容はひどい有様をしていた。正直なところ企画した人間のセンスも相当に疑わざるを得ない。第一、素人集団であるVtuberたちが自身でネタを書くか? 企画を組むか? そんなことを制作側が許すか? と常識で考えれば分かる通り、信じられないほどつまらないコントの台本を書いていたのは、ほぼ確実にテレビ業界側の人なのだ。当然ながらそちらの面々の責任も非常に重い。後に芸人のバイきんぐ小峠を司会に据えた番組で、相変わらず素人臭さ満載でどうしようもないVtuberゲストたちをなんとか料理していく形式を実現できたことを思えば、本作においては番組コンセプト自体が……つまり企画した人たちの見立てが、驚くほどに的外れだったことが察せられる。過激な言い方をするなら、もはや実質的に素人×素人の番組だったとすら言える。かなり冗談抜きに、本当にそのくらいの出来の物が放映されていたのだ。
 正直、いくらVtuberが好きだったとしても、本作を完走するというのはどこかまともではない行いであるように思う。反面教師の究極形を拝む目的でもないならば、本作を視聴することは正真正銘時間の無駄だ。……なのにぼくはそんな本作を完走してしまった。なぜそんなことをしたのか? といえば、当時の気持ちは今でも覚えている。意地になっていたのだ。Vtuberというジャンルに感じていた希望と、自然とその番組に向かった期待が、天地がひっくり返るくらいの勢いでコテンパンに打ちのめされた衝撃で、逆にもはや収拾がつかなくなっていたのである。熱が出ても旅行に行くような感覚だった。台風が来ても遊園地を目指して歩くような感覚だった。あるいは喧嘩別れの勢いでビリビリに引き裂かれた思い出の写真を、後生大事に保管しておくような感覚だった。
 余談だけれど、父はよくぼくに言い聞かせていた。「何か一つやり遂げてみろ、そうすれば必ず自信がつくから」。……でもぼくはずっとその言葉の意味が分からずにいた。まず、何をもってして「やり遂げた」と言えるのかすら分からず、自信がついたと確信できるような体験はそれまでの人生に一つも心当たりがなかった。けれど、バーチャルさんはみているの視聴を経て、やっとその言葉の意味の一端が分かったような気がする。確かに今なら断言できる。その気になれば、俺に完走できない1クールアニメはないのだと。……もはや何から何まで恥まみれの話だけれども。
 そんな「バーチャルさんはみている」と「けものフレンズ2」という二大特級呪物を抱えた2019年だけれども、ではこの年がアニオタにとっての負の遺産に尽きる年であったのかというと、断じてそんなことはない。温度差で風邪をひきそうになる話だけれど、希代の大傑作が、日本のアニメの歴史を塗り替えたとすら言える特異点的な作品の放送が、この年から始まっていたのだ。
 後に劇場版が千と千尋の神隠しを追い抜いて、国内アニメ映画歴代興行収入第一位を塗り替えた伝説の作品、「鬼滅の刃」の放送が始まったのはこの2019年なのである。
 これに関してはもはや多くを語る必要はないだろう。数々の少年漫画原作アニメがそれなりのクオリティで消化されていく中で元々結構な高クオリティだった本作が、ヒノカミ神楽を発現した回のちょっとわけがわからないくらいの出来の良さ……100点満点中200点くらいある神回を生み出して、それをきっかけにわりと冗談抜きで世界を変えていったというだけの話だ。
 そんな神と呪物が同居する混沌の年2019だけれども、個人的にはその他にも存在感の大きい作品がいくつかある。「私に天使が舞い降りた」はごちうさのようなロリ感の目立つ日常系作品だけれど、ロリたちに対して年上のお姉さんがレギュラーキャラ(というか主人公)として配置されていることが特徴的なアニメだった。自分はあまりロリ中心の日常系には興味を持てない性分なのだけれどなぜか本作は楽しく見れたので、理屈的にはどういう訳でそれを楽しめたのか……を現在も自問している。4年経ってもまだ答えを見つけ出せていないので、そういう意味でこれは自分にとって重要な作品なのだ。
 「さらざんまい」は、自分もDVDで楽しんだ名作「輪るピングドラム」と同じ監督が制作した完全新作アニメである。愛とエゴという重く難しテーマと、それにしては可愛らしいデザイン、音楽や定番展開の特撮のような使い方、毎話毎話異常に上手い引き……といった要素は確かにピングドラムの人だと感じた。しかしそういった「らしさ」全開でシリアスに面白かった分、1クールで終わらせてしまうには惜しい作品だったような気もする。ピングドラムのようにもっと尺があればもっと深くまで楽しめたのではないか……と、意味のないことを未だに考えてしまうくらいには、この作品のことも気に入っていた。
 また、後にアマプラで見ることになった「まちカドまぞく」だけれど、これについては2022年に放送された2期の話題にて詳しく語ることにする。
 そして最後に、2019年唯一の視聴挫折作品である「どろろ」。これはべつにつまらなかったというわけではないのだけれど、暗く救いのない話を自分が苦手としがちな点と、和風テイストなデザインに魅力を感じられないことの多い自分の性分が挫折の原因であったように思う。本作に限った話ではないのだけれど、きっと自分はこうした挫折を繰り返すことで「自分の感性では、全ての名作を楽しむことはできない」ということを自覚していったのだろう。
 そういうわけで、いろいろな意味で得る物が(あるいは失う物が)多かった2019年の話題は、これで語り終えたことにする。すると次の話題はいよいよ2020年になるわけだけれど、アニオタデビュー10周年であると同時に20年代と呼ばれる大台に乗った節目の年に、自分はどんなアニメを見ていたのだろう? さっそく確認していこうと思う。

・2020年


 し、死んでる……!? アニオタは二度死ぬ。
 死因は何なのだろう。2015年ショックとは違って、べつに前年にあちこち手を伸ばしすぎたわけではない。呪物から受けた傷が癒えていなかったというわけでもないと思う。むしろ鬼滅の刃でアニメに対する気持ちは盛り上がっているくらいだった。……ではなぜこんな少数すぎる少数精鋭なリストが出来上がってしまったのか? 一年に完走したアニメが(前年から引き続き放送されている2クール以上の物を除くと)たったの二本しかないとは、なんというかまぁ枯れている。
 この年がどうしてこんな有り様になってしまったのか、その理由の最も大きい点はリストを作成した時にすでに突き止めている。それは当然といえば当然すぎる理由、「趣味に合う作品が全然ないから」だった。
 そもそも2015年ショックはあちこちに手を伸ばすことに疲れた自分が「濃く選り好みする」ということを自然と身につけた結果起きた事件だったのだと思う。だからこそ2016年からはリストが洗練されていたのだろう。ということは、「疲れ」というのはあくまでも「選り好みに目覚めるきっかけ」でしかなかったのだと思われる。そのきっかけを通してすでに「選り好むことの正しさ」を見出した自分にとっては、同じショック事件をもう一度起こすに当たってもはや「疲れ」のようなきっかけは必要なかったのだろう。ただ選り好みをするだけで、場合によってそれは起こってしまうことだった。
 つまり至極当たり前の話としてある、見たいアニメがなければ見ない。枯れるべき時は枯れる。そもそもアニメ鑑賞というものは、毎年必ずまとまった数の「趣味に合う作品」に出会えることが保証されているものではない……ということが可視化されたのがこの2020年だったのだと思う。何年かに一度こうした不作の年が起こってしまうことの方が、きっと確率的には自然なことなのだろう。
 そんなアンラッキーな2020年に見た数少ない作品のうちの一つは、この期に及んで既存タイトルだった。「バキ2期」は1期から間を置いて放送された物なのでリストに入れたけれども、地続きに放送されていたらいちいちリストに書き込んですらいなかっただろう単なる続編である。だからこそ幸い、特に文句もなく期待通りの面白さがあったのだけれど、この不作の一年の中では「新規タイトルではない」という一点がやたらと悲しみを帯びてしまう。作品自体は一切悪くないのに、印象の問題としてタイミングだけが悪かった。
 そして残る本年の片割れは「呪術廻戦」。鬼滅の刃と同じジャンプ原作ということもあってとんでもなく上がったハードルを背景に放送された本作は、個人的にはなんともコメントに困る作品だった。決して悪い作品ではない……というかむしろかなり良い物だったから、この作品に文句をつける方がどうかしていると考える人も多いだろう。……しかし個人的には、本作は、好きな部分と嫌いな部分がはっきり分かれてしまう作品だったと記憶している。
 絵の動かし方、話の見せ方、演出等々が、ハマっている時といない時がある。その差が激しい……というのが、本作へ対して自分が持っている印象になる。七海や真人絡みのシーンは軒並み良かったのだけれど、順平絡みの話は全て上辺を滑っていくような味気なさを感じたし、交流戦の諸々(特に銃弾キャッチのシーンと学長の戦闘スタイル開示のシーン)はもっとやり方があっただろうと思えて仕方がない。そして九相図が出てきたあたりのやたらぬるぬる動く戦闘作画はすごいことにはすごいのだけれど、とりあえず動かした感が強いというか、その作画の良さが相乗的なクオリティに対しては寄与していないように感じてしまった。その結果として、自分は本作にはあまり良い印象を持てていない。動かすべきところを超動かし、演出的にも100点満点を連発し続けた鬼滅の刃との差が浮き彫りになるようですらあったと思う。
 そんな風に、完走した作品に対する感想ですら微妙だった2020年だけれど、途中で視聴を挫折した方の作品はなんと三本もあり完走した物より多い。そういう意味ではだんだん2015年よりこちらの傷の方が深い気がしてきた。
 挫折の一つは「放課後ていぼう日誌」。この作品は尽く趣味に合わなかった……というか、価値観の多様性への配慮をかなぐり捨ててしまっていいなら「日常系作品の中でもワーストの出来の作品」だと言ってしまいたくなるような物だった。一言で表すと「けものフレンズに対するけものフレンズ2。ゆるキャンに対する放課後ていぼう日誌」という具合になる。とにかく話に品がない、知性がない、それを補って余りある何かもない。これをゆるキャンの下位互換と呼ばずして何と呼ぶのか……と個人的にはそれしか思うことがない。特に「ダメ人間的要素を含んだ引率者」を書くにあたって、本作とゆるキャンの差は顕著だった。せめて放送順が違えばまた印象も変わっていたのだろうか……?
 その次の「ドロヘドロ」、こちらについてはべつに文句があるわけではない。ただ本筋に絡まない話がひたすらに多いというか、むしろどれが本筋なのかも分からないという、掴みどころのない話運びが肌に合わなかったので見るのをやめてしまった。それ以外に特に言うことがない。
 そして最後、「映像研には手を出すな」。これはむしろかなり面白かった作品で、最初の数話は良いアニメが始まったとわくわくしながら見ていた覚えがある。……が、見続けているうちに何やら小難しさというか地味さというかが目立ち始めたように感じて、視聴意欲を牽引してくれる力を見失い、そのまま見るのをやめてしまった。完成させたアニメーションを文化祭で披露したところが最終回ならよかったんだけどなぁと、そんなことを思ってしまう珍しいタイプの途中離脱作品として記憶には強めに残っている。
 ……と、2020年の振り返りはこれで以上となる。現代に追いつくまで残すところあと3年分。二度目のショックを通り越した2021年には、さらに洗練されたラインナップが待っているのだろうか? さっそく見ていこうと思う。

・2021年

 大、シーズン2祭り……!!
 期待通り作品数は復活したけれども、そのほとんどが何らかの続編であるという珍しい年。それが2021年だった。
 貴重な完全新作としては「PUIPUIモルカー」が記憶に新しい……というほどではないかもしれないけれど、印象としては強烈に残っている。クレイアニメならぬフェルトアニメによる、擬人化ならぬ擬車化したモルモットのゆるふわ5分枠……かと思いきや風刺的な内容に富んでいたり、ウサビッチを思わせるハイテンポ&ハイセンスな展開があったり、まさに本年のダークホース的な作品だった。……ただ、本作は楽しく完走したのだけれど、続編の方については無闇に話の規模を大きくし始める雰囲気を感じたので一話切りしてしまった。過不足ない思い出を大切にするために。
 もう一つの貴重な新作は「平穏世代の韋駄天たち」。本作は、SNSでよく面白い1ページ漫画を描いている人の描いたWeb漫画が原作とのことで期待して見たのだけれど、感想としては「悪い意味でWeb漫画らしい」というネガティブな物になってしまった。面白くなりそうでなりきらないというか、展開(というよりは話の配分?)が自由すぎるというか、いまいち舵取りの力が足りていない印象を受ける。それでも完走できるくらいには面白かったのだけれど……。なんとも釈然とはせず、物語的にも未完だった。
 一方、続編物はさすがに納得の出来の物が多かった。中でも特に目立つのは「ワールドトリガー」で、これは原作を読んでいるもののアニメの1期は視聴せず、なのに2期からは見るという、個人的に特殊な経緯を持つ作品である。そんな経緯を持つに至った理由は極めてシンプルで、「1期が長期クールの日曜朝アニメだったから」だ。
 日曜朝の長期クールアニメといえば「ワンピース」が筆頭であるけれど、今でこそその印象も払拭されたが、当時のそれへ対する印象はまだまだ「引き伸ばしだらけでクオリティも低いアニメ」という物だった。ワールドトリガーもそれに連なる物になるだろうと読んで原作ファンながら視聴は見送ったのだけれど、後になって振り返ってみればその読みは当たっていたことになる。
 しかし2期からは勝手が違った。放送時間は深夜に変更されて、他の深夜アニメ同様話数も短くまとまっている。そうなればクオリティだって上がっているのではないか? と考えて2期からの視聴に踏み切った結果、その予想は当たった。ワールドトリガーのアニメは、2期からが文句なしに面白い。面白すぎる原作に忠実で、映えてほしいところがきっちり全部映える最高のアニメがそこにあった。
 同じく文句なしの出来だった続編物としては、「小林さん家のメイドラゴン」がある。そのままで十分安定していた前作に比べて新キャラが登場したり初っ端からシリアス路線だったりと、最初こそ不安になることもあったけれど、そんな不安はすぐに吹き飛んだし新キャラのことも大いに気に入ることになった。やたら巨乳キャラが多い作風の中で「ドラゴンの乳が大きい理由」をさらっと明かしてきた点も印象深く気に入っている。
 さらに良かった続編物として、「鬼滅の刃」もある。……が、これに関しては良かったは良かったのだけれど、1期に比べると明確な方針転換がされているようにも感じた。というのも、1期のここぞという場面で発揮した異次元級の作画の良さが、2期以降では当たり前のようにポンポン連発されるようになったのである。どういう理屈でそれを可能にしているのかは想像することすら出来ないけれど、話題性の爆発が作画由来であった分、その話題性に偏重する方針が選ばれたことは明らかだった。社会現象からの期待が重すぎただけあって仕方ない気もするけれど、作画の良さでごり押しするような作風になってしまったことは個人的にはあまり喜べない。それでも良い物は良いし、きっちり面白かったのだけれども。
 そしてもう一つ、ある意味一番感情を揺さぶられた続編物がある。それは「ゆるキャン」の2期だった。前作の完璧さが「知性」という「原作まで含めたタイトル全体を覆う物」によって担保されていたので、よほどひどいことが起こらなければ当然面白い作品になるだろうとたかをくくっていたのだけれど、最初の頃はこれが思ったより楽しめなくて微妙な気持ちになっていた。なぜ自分は1期ほどにはこれを楽しめていないのか? と考えた末に見えた答えはシンプルで、人間関係の進展が魅力の一つであった1期に対して、2期では関係性のほとんどが完成されきっていたことで「進展」の楽しみが失われていたからだった。そこにどうしようもない物足りなさを感じてしまったのだ。
 しかし本作へ対する評は、レギュラーメンバーの妹キャラ(高校生の面々に対する小学生)がキャンプに参戦する回で一変する。ぼくはその回を見てようやく気がついたのだ。2期のキャラクターたちの魅力は「関係性の進展の魅力」から「完成されたコミュニティの魅力」に変化していたのだということに。個×個の関係性ではなく、集団としての魅力を楽しめるのがゆるキャン2期であるということに気がついたのだ。
 やや話は逸れるけれど、子どもの頃、父の会社のバーベキュー大会に参加したことがあった。そこへ行くと当然ながら大人のお兄さんお姉さんがたくさんいて、さらに当然ながら、その人たちの中ですでにコミュニティは完成されていた。言うまでもないことだけれど、その場において自分は明確なゲストだった。仮にコミュニティの外からの大人がそこへ参加することに比べても、「子ども」という立場はその場合よりももっとずっとゲスト的なのだ、ということを子ども心ながらに肌で感じていた。……しかし居心地は悪くなかった。というかむしろ良かった。すでにコミュニティを築き上げているお兄さんお姉さんたちが、ゲスト枠である自分にめちゃくちゃ好意的にかまってくれたからだ。
 ゆるキャンの妹参戦回を見た時に、ぼくはそのバーベキュー大会のことを思い出した。そうか、1期から見てきたいつものメンバーは、もうそんな風に「ゲストをかまうコミュニティ側」に回れるほど完成された仲になっていたんだ。……そう気づいた瞬間、本作のことがそれまでの十倍くらい魅力的に感じられた。その時の世界が開けたような感覚は今でもよく覚えている。ゆるキャンは2期も良い作品だったのだ……!
 ……一方で本年のリストにある最後の続編物、「ゾンビランドサガ」の2期。これは駄作だった。意地で完走はしたけれど、べつに無くても支障ないような味の薄いエピソードの連続に、前作までは頼りになったキャラの小物化とそれに伴うギスギス感や、鬼滅の刃原作で唯一不評とされた要素である「過去や未来との転生ネタじみた結びつけ」を採用した上で案の定つまらなくなった上に尺も食ったくだりなど、とにかくため息の出るような減点要素ばかりのアニメだった。一応加点要素としては、ゾンビ設定を上手く利用した悲哀の伴う話を一話から見せつけて前作からの期待に応えた点だとか、道中のしょうもないエピソードを伏線としてまとめ上げた最終回などがあるけれども、それらでは取り返しきれないほどに本作の脚本はひどかったように思う。何やらこの期に及んでまだ3期をやるつもりらしいけれど当然見る気はない。ゾンビランドサガというタイトルは2期で死んだのだ。
 しかしそれはそうと、この年は後々にアマプラで見た名作が多い年でもあった。一つは当時から話題になっていた「オッドタクシー」。登場人物の全てが擬人化された動物になっているアニメで、主人公はしがないタクシー運転手、そんな彼が女子高生の失踪事件をめぐって云々……というようなあらすじを聞いた時は、可愛い絵面にミスマッチな重苦しいサスペンスを描くタイプの作品なのだろうと思って、そういう重苦しさやこれみよがしなギャップを魅力とするような作風が苦手だった自分は本作を敬遠していた。
 しかし後年アマプラ入りしたことを機になんとなく見始めてみると、これがイメージと違ってめちゃくちゃ面白い物だった。どう面白いのかを説明するのはネタバレ防止の観点も含めてなかなか難しいのだけれど……。ドードー鳥のエピソードまで見て「この作品は面白い話を書ける人の物だ」と確信したことを覚えている。そして実際の面白さは、終盤に行くにつれてその時の確信を遥かに上回っていった。……つまり本作は、自分の選り好みの裏目を具体的に証明した例ということになる。しかし重要なのは、最終的な結果として、自分はそれすら取り戻すことに成功したということだ。
 もう一つの作品、「Sonny Boy」も名作だった。これはゴリゴリの難解系作品で、SNSで偶然話題を目にするまでは存在すら知らなかったものだから、おそらくどちらかといえばマイナーな作品なのだと思われる。高校生の1クラスが丸ごと異世界または異空間に飛ばされて、異能力に目覚めたり目覚めなかったりした各々が協力してそこからの帰還を目指し奮闘する……という話なのだけれど、失敗するでもなく成功するでもなく、その目標が多くの人物にとって中盤でおよそ消失するという脚本は、一筋縄では行かないと同時に新鮮で興味深いものだった。
 本作の魅力は、とにかく他ではやっていないことをやっていることだろう。序盤に登場したフィクサーじみたクラスメイトとの対立が物語全体を通して描かれるのかと思いきや、そんな単純なストーリーラインは途中であっさり消化されて無くなるし、突如現れた謎の人物によってメンバーが二派に分断されたかと思えば、その対立もいつの間にか「距離をとることでお互いを尊重する」という形に落ち着くし、難解系作品らしくネット上には考察が飛び交うけれども、そのどれもが根本的に違う見解を語る物で、同じようにぼく自身の感じた見解も違って……と、人によって見えている世界が違うとすら言えるほどの解釈の余地を持つ作品。それが本作であり、要するにそれは唯一無二で、自分の目で見てもらわなければとても伝えきれない物だった。しかし一つ確実に言えることとして、ぼくは本作を見られて本当によかったと思っている。難解系にして、そういうどこか清々しい読後感のある作品だった。あとついでに女の子が可愛いかった。
 と、そんな個性豊かな2021年に、挫折したアニメの数は三本。一つは「ワンダーエッグプライオリティ」で、ぼくはこれを早めに見限れたことを誇りに思っている。
 いじめや虐待や性犯罪など、社会問題じみた闇を相応に暗く、しかしスタイリッシュに描いた本作には、序盤からどこか輪るピングドラムっぽさが漂っていた。だから大いに期待しながら数話は見たのだけれど、すると途中で何かがおかしいことに気がつく。なんだか妙に、話の流れが遅い気がした。暗い話を扱うわりに、毎話の構成がワンパターンな気がした。まるで特撮物の序盤数話を見ているような気分がしたのだ。特撮は4クールある物だからのんびりしていてもいいけれど、本作はどんなに長くても2クール、そうでなければ1クールで終わる作品のはず。何か尺の使い方がおかしい……。元々重々しく暗い話が苦手だったぼくは、嫌な予感がしてそこで視聴を打ち切った。……後々に拡大スペシャル回を放送してまでなお風呂敷をたたみきれずに投げっぱなしで終わったと本作が批判されているのを見た時には、それはもう笑ったものだ。
 挫折した物のうち二本目は「ジャヒー様はくじけない」。力を失った準魔王がちんちくりんのロリになって人間界に落っこちてきては貧乏生活にあえぐ……という、どこか「はたらく魔王さま」を彷彿とさせる設定ながら、あちらがラノベ系であるのに対してこちらは明確に日常系の作品だった。
 ジャヒー様の魅力は、キャラクター設定とその配置が絶妙なところ、それから日常系らしからぬ話の進み具合にある。失った力を取り戻すための魔石がちょくちょく見つかったり、人間関係に進展があったり、サザエさん時空ではなく不定期ながらもしっかりと進行していく物語が印象的だった。そして主人公のバイト先の店長やその妹、今や人間界で自分よりも遥かに強大な立場を築く元配下、敵対していたところから味方になった魔法少女などなど、登場人物の魅力にも事欠かないが、何よりも良いのは「誰に助けを求めるべきなのか?」という視点がそこに存在していたこと。あらゆる人物が、全ての真実を話して泣きつけば主人公のことを救ってくれそうである一方で、そうすることがバッドエンドに繋がるようにも見える。そういった独特の緊張感が密かに張っていることが本作の魅力だと、ぼくはそう思っていた。
 しかし実際のところの本作は、もっと浅い楽しさを求めているようだった。本作の視聴を挫折した理由はそこだ。「手なりの展開を擦ることが多すぎて飽きた」。これに尽きる。制作側としては定番ネタを繰り返す作風を魅力にしたかったようだけれど、個人的にそれはもはや時代遅れの手法にしか感じられなかった。せっかく良いキャラがあるのに、世界観があるのに、それを使って行うことの半分以上が同じネタの繰り返しばかりで、そのうちうんざりしてしまった。詳しくは2022年の話題で語るけれども、本作はせっかく日常系作品が新時代を迎えていく中で、その波に古い価値観で逆行してしまった、非常にもったいない作品であったように思う。
 そして最後、三本目は「ワッチャプリマジ」。これはDVDで百話以上を完走したプリパラと同じ系譜の作品で、かなり長い期間楽しく視聴していた覚えがある。特にみゃむの不安定な心情描写と、みるきのギャップが明かされる回あたりまでの出来は秀逸で、プリパラの再来としてものすごく熱心に視聴していた。
 しかしそれまで培われていた良さが、なぜか中盤で一気に失われた。テンポが劣悪になり、内容が薄すぎてとても見ていられなくなった。雲行きが怪しくなったのは、ソロでライブを行うことが当たり前の世界観で各キャラ同士のコラボライブが計画されたところからだったのだけれど、そこから10話くらいは粘ってみたものの一向にコラボのくだりが終わらず話も面白くならず、ついに心折れて、まさに挫折する形で視聴を降りたことを覚えている。後にほぼそのままそのくだりが終わることなく最終回まで駆け抜けて行ったと聞いた時は、なんだか力が抜けるような気分だった。
 ……以上で2021年の話題は終わりとなる。残すところはあと二年。どんどん見ていこう。

・2022年

 
 やっとパッと見のインパクトが濃すぎないリストが来た。
 上から見ていくと、まずは「ジョジョ6部」。5部が異常に面白かったので多大な期待を寄せてみたけれど、調子が良い時は5部くらい面白くて、そうでもない時はそうでもないアニメ……という感じだった。フーファイターズ戦やジャンピンジャックフラッシュ戦が気に入っている。キングクリムゾンをめちゃくちゃ分かりやすく描写してくれた5部のように全てを分かりやすく、かつ納得のいくようにいい感じのアレンジをしてくれることを期待していたのだけれど、後半に行くほど話のノリがよく分からなくなる点は残念ながらがっつり原作通りだった。まぁ原作がそうなっているのだから、やり方は想像もつかないけれどそれをなんとかしてほしいだなんて、よく考えれば無茶ぶりにもほどがある期待だったので仕方がないとしか言えない。
 次は「範馬刃牙」だけれど、これは要するにバキ3期である。タイトルが微妙に変わったからといって内容的に何かが変わったわけではなく、バキシリーズに期待するいつも通りの面白さがあった。本作は日常系ではないのに、こうしてリストの中で見ると感想の熱量と常連ぶりが日常系を彷彿とさせるところがある。内容は似ても似つかないはずなのに不思議だ。
 「まちカドまぞく2期」は、自分のこれまでの歴史が拾い上げてくれた名作である。かつての自分の素の感覚ではシリーズ物を2期から見始めることはあり得なかったのだけれど、2015年の飢えにあえいでゆるゆりを3期から、しかも話数的にも後半の方から見始めて、それを案外面白く感じられた経験がここで活きた。ニコニコ動画でチラ見していた切り抜き動画から湧いた興味もあり、ぼくは本作を2期であろうとお構いなしに見た。するとこれがまぁ面白いこと面白いこと。ゆるキャンに続く新時代のきらら系の到来を感じた。
 まちカドまぞくの魅力は、日常系にして「物語的な本筋」の概念があり、ストーリーがきっちり進んでいくことだ。その要素についてはジャヒー様も含んでいたところだけれど、まちカドまぞくのそれはレベルが違う。本作は「伏線」の概念を有するレベルでがっつりストーリー物として力を入れた構成になっていて、こんなにしっかりと大筋が組まれたきらら系があるのか!? と衝撃を受けること必至である。例えるならドラえもんを見ていたら突然3ヶ月くらいかけて劇場版じみた規模の話を毎週展開し始めただとか、そういう衝撃のあるアニメだった。
 そして本作が地上波で放送されていた時に、アマプラではついでに1期の配信が行われていた。おかげで週一で2期を見て、週五くらいで1期を見る。そんなまちカドまぞく漬けの生活をしばらく堪能できた。そしてその中で、「本筋の概念を強く持つ日常系」という魅力は初期の頃から健在だったことを知ったり、今までに見た物とはまた違う形の百合を知ったりした。個人的に本作のことはこの年の覇権候補だと思っているので、本年に至るまでに2期からだろうと見る感覚を養えていて本当によかったと思う。
 「風都探偵」は、平成の中頃に放送された特撮番組「仮面ライダーダブル」の完全オリジナルストーリーによるアニメ化という、かなり珍しいタイプの作品である。ぼくは子どもの頃は特撮に興味がなかったのだけれど、大人になってから仮面ライダーに興味を持ったタイプだった。そしてその際に生まれて初めて完走した仮面ライダーがダブルであり、今なお一番面白い仮面ライダー作品だと信じてやまない作品もダブルである。だからアニメ化されたというなら当然見るに決まっていた。オリジナルストーリーだというならなおさらに。
 本作の魅力はなんといっても、さすがにアニメということで、特撮版とは味わいの異なるおなじみのキャラクターを浴びるように体験できることだと思う。その出来は特撮そっくりというわけではないのだけれど、逆にアニメ版にはアニメ版の良さがしっかりあると思える物で、好きな作品を様々な媒体から摂取できるというある種一番豪華な体験を楽しむことが出来た。……一方で本作に欠点があるとすれば、それは1クールかけてまったく話が完結しなかった上に、続編の報せもないことだろうか。
 「リコリスリコイル」は、本年のアニメの顔にして、久しぶりに現れた問題作である。ここ数年のアニメで問題のある物といえば「シンプルに駄作」とか「全体的には良いのだけど引っかかる点もある」といった物ばかりだったけれど、本作の問題点はそういった物たちとは一線を画する。
 本作はとても面白かったのだ。3ヶ月間の放送期間のうち、前半2ヶ月は誰しもがこれを覇権だと信じて疑わなかった。美少女コンビによる日常系×ガンアクション物という二刀流のジャンルを完璧な形で仕上げて来た大傑作として本作は語り継がれることになるはずだった。……しかし最後の最後で、いよいよ最終回だというところで、その一番重要なタイミングで、脚本のクオリティが唐突に地に落ちた。地に落ちるどころかもはやマントルまでめりこんで行ったとさえ言える。それまでの面白さとのギャップもあるけれど、それより何より、なぜか急に、どう考えても素人の中学生くらいしかこんな脚本は考えないだろうという無理のありすぎる流れが、最終盤にて雪崩のように展開されたのだ。
 かつて面白かった作品が続編にて見る影もなくなることはよくある。けもフレ2がその最たる例だった。ゾンサガ2期もそうだった。だから2期で急につまらなくなるというのなら話は分かる。最初からつまらなかったり怪しさがあったりするならそれも分かる。けれども途中までは絶賛されていた1クールの中で、唐突に目も当てられない稚拙な脚本が急出現するという体験は、ぼくは一度もしたことがなかった。たぶん多くの人も同じだろう。シンプルに「なんで……?」と思わざるを得ない。面白かったね、いい作品だった、2期もあったらいいなぁ……と和やかな感想を持ってこのアニメを完走するはずだったのに、俺たちはこのギャップをどう考えればいい? どう受け止めればいい……? 気持ちの整理がつかないまま、本作は一応の大団円を迎えていった。しかし1クール内の脚本クオリティの落差が最も大きいアニメとして本作は歴史に名を残すだろう。……あるいはそれでも素晴らしい売上だけがそこに刻まれて、このような感想は封殺されていくのかもしれないけれど。
 「ガンダム 水星の魔女」は、大昔に原作小説が世に出た「閃光のハサウェイ」の映画化がガンダムファンだけではなくアニメファン全体へのヒットを記録したことで急激に盛り上がっていたガンダムというジャンルに現れた、期待の完全新作アニメである。それも主人公とその相棒がどちらも女性……というか少女だということも相まって、情報が発表されてから放送までの間に多くの期待と不安を寄せられた作品だった。
 結論から言うと、ぼくは本作のことが嫌いである。何が面白いのか分からないと断言できる。尺の使い方がおかしいアニメで、どうでもいい話や質の低い展開を見させられる時間が多すぎる一方で、面白くなりそうな展開はあっさり終わってしまう。そんなアニメだったと記憶している。世間はなぜか本作をずっと持て囃すけれど、この尺配分の中に、丁寧な人間関係なんてどこにある? ずっと分からなかった。ミーム化しやすい台詞や展開に引かれて盛り上がるオタクたちのことも馬鹿なんじゃないかと思っていた。……が、しばらくネットの感想を追っていると、少しだけその見解が変わってくる。
 本作のファンの話を聞いていると、本当に同じアニメを見ていたのか……? と狐に化かされたような気持ちになることが多い。しかしそこでちゃんと確認してみると、べつにぼくが何かを見落としているわけでもなければ、ファンたちが幻覚を見ているわけでもないことが分かる。ただその上で、ぼくが一分間の映像から一分分の情報を得ている一方で、ファンたちは一分間の映像から五分分の情報を得ているような感覚があった。どうしてあれだけの描写をそんなに深く楽しめる? この人たちには同じ映像の中から何が見えているんだ……? と、そんな感覚に陥る体験をしたのはこの時が初めてだった。だからぼくは本作を正当に評価できているのか分からない。けれど見返してみても、やっぱり本作はどうしようもなくつまらないとしか思えないのだ。そして、だからこそぼくは後の時代にでも水星の魔女の評価がネガティブな方向に見直されることを暗く期待していたのだけれど、最終的にこの作品は、本編放送終了後に起こったポリコレ的な論争によって落ちぶれていくことになってしまった。なんともまた後味の悪い結末である。
 ちなみに、そんな個人的には何が面白いのか分からない本作をなぜ完走したのかというと、それは父と一緒に見ていたからだった。父は初代ガンダムしか見たことのないガンダムファンで、Gレコには一切魅力を感じず、ハサウェイも見ず、だけどガンダムというジャンルには興味を持っているという、そういう人だった。だからぼくは水星の魔女の放送が始まる時に父を誘ったのだ。きっと本作が面白くなり、父が令和のガンダムに興味を持ってくれることを期待して。
 しかしその末に、ぼくは早々に本作への愛想を尽かした。視聴を打ち切りたかった。だけど毎週日曜になると父が言うのだ、「今日ガンダムじゃん。見ようぜ」。……じゃあ見るしかないじゃないか、誘ったのはこちらなのだから。しかも父は、つまらないから切るという行為がものすごく苦手な人だった。イチかゼロかの人なのだ。そこを角が立たないようにするのは骨が折れる……というか不可能だと思う。だから親子で本作を完走した。完走して、最後のエンディングが流れる中で父が一言言った。
「いまいちだったな」
 そうだろうと思う。気が合ってよかった。気が合ったこと以外の全てがよくなかったのだけれども。人を誘ったことでここまでの深手を負ったアニメもこれが初めてだった。いつかは放送されるのだろう次のガンダム作品のことが今から不安である。
 愚痴が長くなってしまったけれど、残念ながらこの負の流れは次の作品にも続く。「チェンソーマン」は、ぼくが一番好きな漫画がアニメ化した物だ。ぼくはこれを待ちに待っていた。売上や人気は十分なはずなのに、そして何より当時この世で一番面白い漫画だったはずなのに、鬼滅がアニメ化して呪術がアニメ化して、スパイファミリーもアニメ化して、なのにチェンソーマンだけはまだアニメにならない。そんな状態を不服に思い、単行本の売上数や他タイトルのアニメ放送時の巻数等をデータ的に取り上げてまでぶつくさ文句を言い続けて、ようやくやっとのアニメ化だった。
 しかし本作は無情にも駄作だった。無粋極まる改変、的外れな演出、ボソボソ喋っていて聞こえない声、絵は綺麗ながらどうにも映えないアクション……。つまりは褒める箇所を頑張って探さなければならないような出来の作品だった。呪術廻戦のアニメに正直あまり良い感想は持っていないと語ったけれど、この頃になると、そちらのクオリティがひどく羨ましくならざるを得なかった。アニメは向こうの方が数十倍面白いと思った。散々待たされた結果がこれかと思うとメンタル的にもキツかった。というか未だにトラウマになっていて、何か面白いアニメを見るたびに「チェンソーマンもこのくらい良い出来になっていてくれたら……」と呪言を吐く癖が未だに治せずにいる。
 しかしそんな本作も、オープニングだけは良かった。映像も曲も良かった、完璧だった。どうしてこのクオリティを本編で出してくれなかったんだ? と思って調べてみると、本編とオープニングでは監督している人物が別であるようだった。そして本編の監督は本作が初監督作品なのだという。ちなみに呪術廻戦もチェンソーマンも制作会社は同じなのだけれど、呪術廻戦の方はもちろん別の人物が監督をしていた。……そうなると犯人は明確じゃないか? 覚えたぞ、中山竜。この期に及んでチェンソーマンは映画化するらしいけれど、見るかどうかは監督の名前次第だ。
 さてそんな暗い話題を抜けて、ようやく面白かったアニメの話。「BLEACH」はかつて夕方アニメとして長い期間放送されていたタイトルだけれど、今回その最終章が深夜アニメとして帰ってきた。ワールドトリガーの例があるので本作への期待はもちろん大きく、そして幸いにもそれが裏切られることは全くなかった。原作の良い点は全力で映えさせ、悪い点は贅沢な改善を施す。なんならしれっとハイクオリティなアニオリも入れる。そんな文句無しの作品だった。ただ一方で、そもそも原作が七年も昔の作品であるため、根本的に古さを感じる部分もないわけではなかった。ポジティブに考えるなら、それだけここ最近のアニメや漫画が進歩しているということでもある。
 そして最後、「ぼっちざろっく」。これが本年の覇権候補の二つ目だ。きらら系作品なのだけれど、コミュ障ぼっちキャラという体で描かれる主人公の社会不適合者ぶりが中々本格的であり、そんな彼女を時には支え、時には頼る仲間たちとの青春バンド物のストーリーと、きらら系らしい日常系ギャグを行ったり来たりする本作は、これまた同ジャンルの新時代を切り開くような作品だった。
 本作のバンド系アニメとして特徴的な作風に、学生であるメンバーが全員金銭面で四苦八苦しているという点がある。ゆるキャンでもキャンプ用品の高額さに結構しっかり触れていたけれど、コミュ障すぎて気が進まないバイトを仕方なくやってみたり、食費を削ってみたり、友達から金を借りてみたり、高い金を出して買った物が勘違いにより目当ての品とは違ったり……と、あちらにはなかった暗いリアリティがポップに明るく描かれているのが本作特有の味になっている。アルコール愛飲者の描き方でもゆるキャンとの違いが垣間見えるだろう。一方で、ずっと一人でギターの練習をしていた主人公が無双……をするわけではなく、バンドメンバーとのチームワークを学びながら少しずつその才能を認められることで頼られ尊敬されていく流れは、バンドが題材の作品としてしっかり作られた物であり、知性のゆるキャン、ストーリー性のまちカドまぞくに並び、「明るい暗さ」と「青春物」と「きらら的なギャグ」の高品質な融合という第三の新たな道を行った本作は、例によって同ジャンルにまだまだ未知数な無限のポテンシャルを感じさせてくれた。というか普通に魅力的な点が多くて面白かった。
 他にも、友人である陽キャからバイトに挑戦したことを「一歩前進だね!」と褒められた主人公が「私にとっては百歩くらいあったんだけど……」とネガティブになる場面や、ライブハウス経営者兼引率者が成人であることから居酒屋で行われた打ち上げにて友人の口から母親を早くに亡くしたことが明かされる場面で、同じ時に離れた席のサラリーマンが「妻に愛想を尽かされて自殺を考えている」という話をしている光景が差し込まれるなど、とにかく本作には一筋縄ではいかない描写が多い。きらら系という言ってしまえば狭いはずのジャンルを見ているだけでこれだけ新鮮な体験が出来るとは、同ジャンルが好きなオタクとして嬉しい限りである。
 ……2022年アニメの感想はこれで以上となる。こうして振り返ってみるとこの年は、きらら系のめざましい発展と、上げて落としてくるタイプの駄作が特徴的な年だった。最終回で台無しになったリコリコ、ハサウェイ等からの期待を空振りした水星の魔女、原作からの期待を監督の生贄にされたチェンソーマン……と、これだけ重ね重ね裏切られた気分になる年も珍しい。一方できらら系はゆるキャンの感じさせた新時代が一過性ではなかったことを証明するかのような傑作揃いであり、こちらのジャンルには大いに今後を期待できる。……この「期待」が、いつかまた今日のように歴史を振り返った遠い未来にて、「裏切られたこと塗れの2022年の伏線回収」とはなっていないことを祈る。
 さて、長すぎる本記事も次でようやく終着点にたどり着く。大団円を期待して、2023年に見たアニメのリストを見ていこう。

・2023年 

 豊作〜! この年のラインナップは記憶に新しいこともあるけれど、何より質が良くてにっこりしてしまう。
 さっそく一本目の「推しの子」は、ヤングジャンプ原作かつ、おそらくアニメ史上初の初回90分スペシャルが放送されたアニメである。ちょっとした映画のような尺の1話目を用意しただけあって制作陣の気合いは十分ということなのか、何一つ文句のない完璧なクオリティの披露がその90分はもちろん1クール通してずっと続いた。2022年あたりからよく耳にするようになった「原作への理解度・解像度」という点が完璧だった本作は、その初回を短編作品として見た際の出来の良さまで含めて、本年を代表する一作になっている。そしてその1話の完成度ゆえにネタバレがもったいないので、まだ見てない人は皆ぜひ最高の90分を見よう……! たぶんまだアマプラにあるはず!
 その次は「鬼滅の刃」の3期。作画のキレキレっぷりは留まるところを知らず、ゆえにもはや特に語るところがない。日本は今のところその気になればこのクオリティの物を1クールお届けできるんですよ……ということを証明する、良い意味で恐ろしい作品だと思う。また、体感の話なのでどこがと言われても困るのだけれど、作画の良さは健在どころかさらに激しくなっていく一方で、遊郭編に比べるとそれによってゴリ押している印象は控えめで、ちゃんとストーリーや動き以外の演出による見せ場も多かったように思う。特に無一郎の過去編で鬼が出現する場面には、このアニメってこういう演出も出来るんだと感心させられた。
 「スキップとローファー」は、少女漫画っぽい第一印象を放ちつつ実際にはそういうわけでもない作品であり、なんというか説明に困る良作だ。恋愛もあるけれど恋愛漫画というわけでもなく、日常系っぽいゆるさがありながらゆるいだけの作品でもなく、なんというか、それら全てを内包するからこそのリアルさと、人間関係に知性的な焦点を当てた「現実の人間観に対して真剣な作風」……という表現で合っているのかもよく分からないが、とにかくそういう感じの作品だった。印象に残った点を一つ一つ上げていけば今作の「癖が強いわけではないのに、他作品のどれとも決定的に違う」という雰囲気を伝えられるかもしれないけれど、それだとあまりにも長くなりそうなのでここでは割愛する。ともかく、ぼくの説明能力を遥かに超えた面白さを持つ作品なので、ぜひとも多くの人に見てもらいたい。……あとどうでもいいけれど、本作はぼくが母と見た新規タイトル(つまりゆるキャンの2期を除く)としては数年ぶりの物だった。その路線だと次はアオのハコに期待している。
 「天国大魔境」は、大半の土地が廃墟と化したと思われる上に化け物まで闊歩するポストアポカリプス寄りの日本で天国と呼ばれる安息の地を目指す二人と、それとは別視点で描かれる施設内で管理されて育つ子どもたちとその脱走……という、何やら意味深な二つの視点が交互に描かれる作品だった。……が、ほんな本作に一本のアニメとしての評価を下すことは非常に難しい。というのは、見せられた物語はロジカルな面でもエモショーナルな面でも全てとびきり面白かったし、シリアスとギャグのメリハリも良く、要所で目を引く演出の妙には類稀な物を感じたけれど、……しかし致命的に本作は完結していないのだ。
 天国大魔境というタイトルの由来、天国を目指す旅の行方、謎の施設の目的と脱走した子どもたちの行く末、各キャラの過去に残された謎、そもそも二つの視点の関係性や世界の真実など、ありとあらゆる物が分からないまま、本作の放送は終わってしまった。べつに何かアクシデントがあったわけではないはずなので、初めからそれで予定通りだったのだと思う。あとは続編が制作されるのかが問題だけれど、少なくとも最終回放送時には特に報せもなく……と、文句なしに面白かった一方で本作はかなり困った状態になっている。今時このまま投げっぱなしで音沙汰がなくなったらある意味伝説的だ。
 「呪術廻戦」の2期は、渋谷事変と呼ばれる後半戦から急に出来が覚醒した。それまではまぁ1期の印象通りのアニメだなぁといった感じだったのだけれど、渋谷事変に突入してからは何かが違った。ギアが三段階くらい上がった。特にあれだけどこか締まらない感じを残していた演出面が嘘のようにキレを得た。ついでにオープニングがアニソン史上一二を争うほどかっこいい物になった。また、CM入りやエンディング前の引き方がハイレベルになったように思う。甚爾の降霊、領域への侵入、重面春太の生存判明、魔虚羅の出現あたりが特に印象的で、それ以外には穿血の見せ方(特に看板を切断する演出)や駅の看板を用いた演出、ちゃんと意味のある映え方をした漏瑚vs宿儺の作画等も印象に残っている。……というか、渋谷事変が始まってから印象に残っていないシーンの方が少ないとすら言えるほどだ。唐突にものすごい勢いで今年の覇権が決まったように思う。
 一方で同じジャンプ原作の「アンデッドアンラック」については、今年で唯一の肩透かし作品だったと言える。初めの頃は面白かったのだけれど徐々に話の進みの遅さが目立ち始めて、スポイル戦の頃には昔の夕方アニメみたいなテンポになっていた。逆に言えばそれ以外の点には全く文句がないのだけれど、しかし「話が進まない」ということのストレスはなかなかに強烈で……。正直ぼくはもう視聴を打ち切りたいと思っているのだけれど、水星の魔女よろしく、これも父が見ようと言うので結局は完走へと向かっている。それこそ呪術廻戦のような他のジャンプ原作アニメも父と見ているから、べつにジンクス的なことは何もないのだけれど、それでもなんだかなぁ……と思ってしまったり。
 「君のことが大大大大大好きな100人の彼女」、通称100カノは、ヤングジャンプ原作のラブコメ……あるいは恋愛と美少女を含むボーボボ的なギャグ作品である。そんな本作のアニメ化は意外なほど完璧なクオリティで実現した。ブリュンヒルデの頃の悪夢が嘘のようなヤングジャンプ原作の快進撃である。特にギャグ描写においてアニメの強みである「動き」と「音」の使い方がいちいち上手く、原作を知ってても笑えたり、原作を知ってても唖然とさせられたり、とにかく一見の価値ありなすごいアニメだった。未見の人がいるならば、このアホみたいなタイトルと親に見せられない展開の数々に紛れこむ謎に秀逸なロジカルさはぜひ体験してほしい。
 「葬送のフリーレン」は、サンデー原作であり、ジャンプにしか詳しくない自分は当初ノーマークだったのだけれど、推しの子に便乗したような初回2時間スペシャルに釣られて見たところめちゃくちゃ面白かった覇権候補作品である。この経験により初回拡大スペシャルへの信頼度はうなぎ登りになった一方で、本作の良さを的確に説明することは難しい。というのは、日常系でもなく、戦闘描写の質と棋譜のテンポは完璧ながらバトル物というほど頻繁にバトルがあるわけでもなく、人間ドラマに終始する作品なのかと思えば上記の理由からそうでもなく、兎にも角にもジャンルとして括ることが難しいからだ。
 逆に言えば、既存ジャンルの良いところ取りをしているのが本作だとも言える。比較的派手さは控えめながらも常に100点に近いクオリティを叩き出し続ける本作は、推しの子共々、鬼滅をきっかけに質とハードルの上がった昨今のアニメを象徴するような傑作であるように思う。また、本作は公式SNSが毎週アニメ化された部分の原作を公開してくれているのだけど、それと見比べることで「原作への理解と解像度」という言葉の示すところがなんとなく分かるようになっている。原作も良い作品なのだけど、アニメ制作陣はそこから映像作品的な良さを見出す力の高さが尋常ではない。
 そしていよいよ本リストの完走作品としての最後を飾るのは、「範馬刃牙」の2期……というかバキの4期。このシリーズはもうすっかり我が家の常連である。死刑囚、大擂台賽、刑務所、そして原人ピクル……と、思えばかなり長々と見続けている。はたして5期が来るのかは知らないけれど、来るならそれも見るのだろう。
 そして本当に最後の最後、ここへ来て珍しい挫折の仕方をしたのが、「アマプラで後から興味を持って見た作品」の中で現状唯一の視聴断念作品、「アンデッドガールマーダーファルス」である。これはヤングジャンプで連載し始めた「ガス灯野良犬探偵団」という漫画が面白く、その原作担当が上述タイトルの小説を執筆していたということで、せっかくアニメ版がアマプラ入りしているのだから見てみようと思ったことが視聴のきっかけだった。そうして視聴し始めてみると、ゴダール卿の話までは文句なしに面白く、これは当たり作品を見つけたぞと思っていたのだけれど、そこから唐突に困難が立ちはだかった。登場キャラが一気に増えたのである。
 ぼくは頭も悪ければ記憶力も悪い。ミステリ色の強い本作において登場人物が一気に増えたことで、その足りない頭の処理能力はあっさりパンクしてしまった。しかもそれがなまじアマプラ作品だったために、サムネを見ることで今後ともその新キャラたちが末永く活躍していくことを察してしまい、これは自分の脳みそではついていけない、あるいはそれが出来たとしてもひどく疲れる……という確信を得てしまった。従ってそれから数日葛藤した後、ついには視聴を諦めてしまったというわけである。作品に罪はないので一応言っておくと、ミステリと落語を題材にした本作は脚本の完成度が高く、「人間と社会的に共存する怪異」として数多登場する異種族やそれに絡んだ戦闘など、数話見ただけでも非常に見どころの多い作品だった。人数多めのミステリも大丈夫という人にはぜひともおすすめしたい作品である。あるいはそうでなくとも、ゴダール卿の回までは見るべきだろう。
 ……以上で、ぼくがこれまでの半生に見てきたアニメの紹介を終わる。
 正確にはもっと「見たとは言えない程度にチラ見した作品」や「1話そこそこで切った作品」、もしくは「2011年以前に放送された作品をDVD等で視聴した場合」などなど、ここに含まれていないタイトルはかなりの数があるはずなのだけれど、全てを思い出せるわけではないので、あえて語ろうとはしないことにする。
 今の時点でもう六万文字を過ぎている。思い出の振り返りとしては十分すぎる長さだと言えるだろう。

・おわりに
 最後に、ぼくがこの十年と少しの間に育んだ、自分にとってのより良い作品鑑賞の方針をまとめておく。わざわざ書く理由は、万が一にも忘れないようにするためと、それが不特定多数に対してのおすすめの方針でもあるからだ。
 方針は以下の通りである。
・話題作だろうとなんだろうと、情報収集の段階でピンと来なければ見ない。逆に、ピンと来たならマイナーだろうとシリーズの途中だろうと見る。
・機会を見逃さない。一挙配信や再放送やアマプラ入りなど、すでに通り過ぎた作品に追いつくチャンスはそれなりに来る。問題はそのチャンスを踏まえて「ピンと来るかどうか」だ。機会にピンと来たなら見る。来なかったなら見ない。
・成功体験を大切にする。失敗体験も大切にする。
 ……大体こんな感じだろうか。これを一言で表すと「嗅覚に従う」になる。
 ぼくはこの論理性とオカルトをないまぜにした「嗅覚」という概念の確かさを強く信じている。ただし確かさというのは「自分に必要な物を引き寄せ、不要な物を遠ざけること」に対してではない。嗅覚が保証するのは、「ある程度の利益と、そして何より納得を得ること」に対する確かさである。そしてこの嗅覚を保つためには、今後とも自分の感性の輪郭と、成功体験や失敗体験を収集していかなければならない。かつてアニメを見ていなかった自分にアニメに対する嗅覚が備わっていなかったように、嗅覚とはきっと訓練を怠れば失われてしまう物だから。
 だからこそ、2024年が面白いアニメの多い年になることを願う。もしも自分の人生が、いよいよアニメを見ている場合ではなくなるのだとしても。

 
 
 
 

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