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バウムクーヘン東京味

 ぼくは千葉に生まれて千葉に育ったが、両親はそうではなかった。両親は元々大阪の人で、大阪で就職した後、転勤によって千葉へと移り住んだのだった。
 ぼくがある日22年間生きた土地から離れ、会える友達が一人もいなくなったのは、だから父の仕事の都合によることだった。父は20年以上の時を経て故郷に帰還したのだ。
 ……それで、千葉県在住時代のぼくには仲の良い女友達がいたのだけれど、彼女の方は彼女の方で、数年前から彼氏と同棲を始めるついでに埼玉へ引っ越したらしい。
 どうせ千葉に永住していても彼女とはそういう運命だったのだ……と思えば諦めもつくものだけれど。ぼくが大阪の新居にて、彼女と遊んだ昔の日を思い出すことでノスタルジーを起こした回数は、両手でもなお数え切れないほどだったこともまた事実だった。
 ところが先日、そんな彼女が大阪へ来訪することが決まった。……ぼくに会いに来るわけではない。京セラドームまで、SnowManに会いに来るのである。彼女は宮舘涼太推しだった。
「ライブの前に会って、ご飯でも食べよう!」
 そう言われて過剰にそわそわする程度には、引っ越してからの3年という期間は十分に長く感じる物だった。




 大阪に住んでから、都会に出たのはそれが初めてだった。大阪府とは「大阪市か、それ以外か」という場所であり、ぼくはもしかするとその日初めて真の大阪に足を踏み入れたのかもしれない。
 集合予定の駅のベンチに座って彼女の到着を待っている間、まさかこんなことになるとは……と、ぼくの内心には、落ちるところまで落ちたような気持ちがあった。
 彼女……ここからはAと呼ぶことにするが、Aとは小中学校が同じだった。従って家も近かった。Aと遊ぶというのは気分はもちろん距離的にもすごく気楽なもので、どこぞの駅に現地集合するにしても、「○○駅の〜〜あたりで」と言えばすんなり通じるような馴染みがあった。
 それが今は、片や初めての大阪旅行、片や初めて大阪市内に足を踏み入れた抜け殻人間である。○○駅の〜〜で! と言ったところで、お互いそれがどこなのかは現地にて手探りする具合なのだ。
 知らない土地で、オンライン上でのやり取りは続けていた異性と待ち合わせをする。3年という、中学か高校一つ分の時を空けていれば、お互いの見た目にだって未知があるだろう。……ベンチに座ったぼくは緊張していた。
 そしてそこで、あぁ嫌だな、こんなことになるなんて……としきりに思っていたわけだ。というのも、そこで体験した緊張について、ぼくには身に覚えがあったのだ。
 ぼくはインターネットで知り合った女性と実際に会ったことがある。その時の緊張に、それはものすごくよく似ていた。小中学校を共にした友達に対して、そんなやましい緊張を覚える日が来るとは。
 しばらくして、Aから電話がかかってきた。
「ねぇ今どこにいるの?」
「西出口って書いてる場所」
「西改札出口ってところまで来たけど、いなくない?」
「西出口と西改札出口が別だったりするなんてことがあるかどうか……?」
「どうだろう……。切符売り場まで来れる?」
「切符売り場? 俺はまだ改札を出てないぞ」
「なんで出ないの!」
「出たら戻れないからだよ! こっちで合ってるかも分からないんだから!」
 改札を出るとAがいた。見た目に驚くような変化はなかったけれど、それは3年のオンラインなやり取りの中に、Aの自撮り写真も多分に含まれていたからなのかもしれない。「写真と同じだ」という感想が、また邪悪っぽくて嫌なのだけれど。
 久しぶり〜! と、ひとしきりワチャワチャしてから、何やら行きたい店があるらしいAの案内に従って出発する。「道を間違えたらごめんね。散歩を楽しもうね」と言う彼女に、大阪在住の肩書きを一応は持ちながら付いて行くことしかできない自分について暗く考えないでもなかったけれど、そこはさすがAというべきか、彼女はぼくがあらゆる場面において使い物にならない男だということを一切承知しているようだった。
 Aは、友人からおすすめされたタコ焼き屋に行きたいらしかった。GoogleマップとGPS機能に命運を託し、炎天下の街を行く。そんな道のりの中で彼女のことをよく見てみると、諸々の荷物が入っているであろうリュックサックと、宮舘涼太の顔がドアップになっている団扇の入った手提げの他に、彼女はもう一つ紙袋を持っていた。
「あぁこれはね、君にお土産。東京からの」
「えぇ、あぁ、どうも。すごいなんか、東京からの土産なんて、父が出張から帰ってきた時みたいだ」
 東京土産はバウムクーヘンだった。
 パッケージの綴りから、どうしてバウムクーヘンは「Baumkuchen」なんだろうという話をする。日本人的に言えばこれはバウムクーチェンじゃないかと。するとAから「もしや英語ではないのでは?」と言われて、なんだかありそうな話だと感心した。真相は何も知らないのだけれども。
 ほかにも、濃度的に似たような内容の話をいくつかした。
「実は俺は今日、朝ご飯を食べすぎてしまった。焼きそばだった。細かい紅しょうがは箸で取りづらいから細長い方がいいと思った」
「あぁ、私もあんまりお腹空いてないんだよね。新幹線でお弁当食べちゃって」
「二次創作のマキマさんじゃん。会食前にお腹いっぱいになって「だから言ったでしょ!」ってなるやつ。あれすごい好きなんだよね」
「へー」
「(どうしようキモオタになっちゃった)」
 とか、
「鬼滅見てる?」
「見てない。もうアニメ全然見れてない」
「え、今期何も見てないの?」
「うん」
「今期ほどの豊作を……!? あぁそうか……3年の間にオタクを卒業しちゃったんだね……。思えば最初は岡崎体育を推してたのに、今はSnowManだもんね」
「岡崎体育は今も好きだよ! でもそうかぁ、オタク剥奪かぁ」
「剥奪ですね」
「ひーん」
 とか。なんかもっとこう……あるだろう! って感じの会話が繰り広げられる。「繰り広げられる」と言うと他人事っぽいが、過失は明らかにぼくにあった。あらゆる場面で使い物にならない男に愛想が尽きるのは、知り合うきっかけがインターネットだった相手に限られるものだろうか……? と、3年も間が空くと不安にもなってくる。
 けれどもその反面、ぼくは安堵もしていた。自分の口から出る話題の低レベルさには我ながら驚愕だけれども、レベルが低いだけで、それ以上の害はないことに安心した。……というのは、近頃の自分について不安に思うところがあったからだ。
 不快な話になるけれど、端的に言って、最近の自分の性欲には異常なところがある。それによって数十万文字に及ぶR18小説を執筆できていることはまだ良いけれど、自慰によって一日を無駄にしたり、睡眠時間を犠牲にしたりということが日常茶飯事になっていることはよろしくない。そしてそれは現実の人間関係にも影響を及ぼしかねないのではないか……とぼくは危惧していた。
 千葉にいた頃、飲んだ帰りに酔ったAからキスをされたことがある。ぼくの一周回った理性はその時「何してんのw」の一言以外に何も返さなかったけれど、大体なんとなく、Aとの間にはそういう距離感もあるのだ。
 もちろん当時は、ただただ連れ立って買い物に行くような日もあった。服を買いに行くAについていって、彼女が試着室へ消えることでアウェーな空間に取り残されたようなこともいい思い出になっている。……けれど誰もいない家に「うち、リングフィットあるんだけど、遊んでいかない?」と呼びこんで、
「暑いから脱いでいい?」
「えっ、それ俺に決定権があるの……?」
「あぁいや、下に普通に着てるよ?」
「じゃあ逆になんで脱いでいいのかなんて聞くのさ」
「エッチな感じになったらどうしようかと思って」
「エッチな感じの物を着ていらっしゃるんですか……?」
「着てないw」
「それはそうw (……しかし下に何を着ていようとも、それがアウターでない限り、エッチではない脱衣など存在しないのである)」
 なんて水面下の意識でキャッキャッしていたこともあった。
 ……要するにぼくは、3年ぶりの再会をきちんと正しく楽しめるのかどうか、すごく不安だった。何かが起こって、もとい起こしてしまって、これまでの20数年を台無しにするようなことがあってしまうのではないかと危惧していた。
 そして結果として、その末に出てきたのが、クソみたいなオタクのトークだった。あぁよかった、出力される物が、クソみたいなオタクのトークばかりでよかった! 久しぶりのAに会うのが、道行く誰もがノンアルコールな、お天道様の下の街でよかった!
 と、オタクが一人勝手に気色の悪い杞憂を噛み締めていた頃に、スマホを見ながら道を曲がったAが「あ」と足を止めた。
「曲がるところ間違えちゃった。タコ焼き屋じゃなくてホテルが出てきちゃった。ごめんね、ここに来たかったわけじゃないんだ」
「でしょうな」
 冗談でもそれ以上の返しをしてはいけないと思った。宮舘涼太がぼくのことを見ている。
 そのうち、無事に目当てのタコ焼き屋にたどり着くことができた。メニューを見ながら、合流前から食べすぎ気味な二人は「何個買おう?」と相談し合う。
「何個くらい食べれそう?」
「わからん」
「なんでよ」
「俺の胃はタコ焼き換算に対応してない。茶碗換算で頼むと胃が言っている」
「別々の味で6個6個くらいいけるかなぁ」
「いけるでしょ、たぶん」
「何味にする?」
「何でもいいよ」
「うーん、じゃあ、梅味以外」
「あぁっ、話が前に進まないと思って言わなかったのにっ。一個だけ消したところで話が前に進まないから、俺も同じことを思ったけど黙ってたのにっ」
「えぇw じゃあ一個はソースね」
「もう一個は?」
「決めてよ」
「じゃあ塩マヨ」
 断っておくのが遅くなったけれど、この記事はこういうだらだらした会話を書くことを目的にしている。
 強いて言えば、ぼくがこの時考えていたことは、なるべく自分では何も選択したくないということだった。おすすめがあるわけでもあるまいに、電車で30分もあればそこへ来られるような人間が、どうして新幹線で来た相手と対等にあれこれ言えるだろう? 食べたい物を食べたい量で食べてほしい。けれども本当に何一つ決めなければ相手もカチンと来るだろうから、距離感は見定める必要がある。ぼくはそんなことを考えながら、胃のタコ焼き換算がどうのこうのと言っていた。
 店内でタコ焼きをつつきながら、野球の話になる。なぜ野球なのかといえば、Aの好きな芸能人には3人いて、岡崎体育、宮舘涼太、そしてオリックスの宮城投手がそれに当たるからだった。よって彼女はそこからオリックスの試合を見るようになり、今や立派な野球観戦系女子になっているのだ。
 一方で、我が家では弟が特に熱心な阪神ファンであり、叔母や祖父も毎日かかさずテレビで試合を見ていたりと、身内に阪神ファンが多い。必然的にぼくもそれをいくらかは見ている。
「リーグが違うからさ、オリックスのことほとんど分からないんだよね」
「あーね」
「あぁでもそろそろセパセパ交流戦が始まるのか。…………セ・パリーグ交流戦のことを「セパセパ交流戦」と呼んでることがバレちまったな」
「草」
「いや、これには訳があって。何年か前に綾瀬はるかがCMで「セパセパ交流戦♪」ってやってて、それがまぁしこたま放送されてたんだよ。知らない?」
「綾瀬はるかが……? 知らないかもしれない」
「まじかぁ。まだ宮城投手がいなかったからか」
「私がテレビ見てなさすぎるのかも」
「鬼滅も見ないくらいだからね」
「うん。あ、見て、この店焼きそばも売ってるって」
「朝に食ったんだってw」
「知ってるw」
 タコ焼きはおいしかった。いつもは近所の店で買ってから家に持ち帰って食べるというラグのある食べ方をしているので、最初そのノリで焼きたてを口に入れたら熱すぎて死ぬかと思ったけれども。
 ところで、千葉時代に仲良しだった女の子と遊びに行くんだ! と父に話したところ、ぼくはその日の朝に軍資金を持たせてもらえていた。野球の話ついでに、Aにもそのことを報告しておく。
 父が軍資金をくれたことには訳がある。それはぼくの家族が、ぼくのどうしようもない守銭奴ぶりを知っているからだった。
 飲み物を買わず、電車に乗らず、友達連中が飯食って帰ろうぜと言い出したら辞退する。ぼくのそんな姿を、両親は昔からしかと見届けてきて、そして苦言を呈することもついぞ諦めたのである。……無理が通れば道理が引っ込むというけれど、しかし、神に誓ってぼくは言える。ぼくは決してそのようにしてお小遣いをせびろうとしているわけではなく、ただただ本当にお金を使いたくないだけなのである。なぜなら金とは労働力の対価であり、労働とは、人の心を貧しくさせる物だから。
 小学生の頃、ぼくのお小遣いはお手伝いによる賃金制だった。風呂洗い二回でジュース一本に届くかどうかというレートの中で、守銭奴の心は育ってしまった。この世のありとあらゆる価格は、労力の割に合わない物だと。
 そしてその守銭奴ぶりを、Aもよく知っている。その昔、彼女はぼくに言った。
「君に奢られると恩着せがましい感じがするから嫌」
 これはなかなかショックだったけれど、完全に的確な指摘だったので、そのはっきりした物言いも含めてぼくはそこに素晴らしさを感じた。そうなのだ、結局のところ守銭奴は、たしなみ的に社会に合わせようとしたところで、そういう風になってしまうものなのだ。ならばハッキリ物を言ったり言われたりしてしまった方がずっといい。
 ……という経緯はあれども、軍資金をもらったからには、それをほどよく使わなければ怒られてしまう。それが父の狙い……もとい計らいなのだろう。恩着せがましさという物はきっと、汗水や血潮からではなく、ただ手元の紙幣と硬貨から無条件に湧いて出てしまう物なのだろうけど、Aにも今日ばかりは我慢してもらう他ない。何せ3年ぶり、うちの親にとってもそれは一大イベントなのだから。
 そういうわけで、金の切れ目が縁の切れ目になることはないけれど、胃袋の限界が、今日の縁の限界になることはある。Aはぼくに会うために大阪へ来たわけではないし、あわやここで解散か……と思ったけれど、幸いなことに彼女は、次のお目当てとしてたい焼き屋があるということで、再びスマホを見ながら歩き出した。
 たい焼き屋に着いてからの「どれ食べる?」問答は、タコ焼き屋からの再放送感が強いので割愛する。店に着くまでの道中には、置物かと思ったら本物だった犬がいたり、「なんか、あんまりイケメンがいないね」と斬れ味ゲージ白な感想を呟くAに、ちょっと安心したりしていた。道行く異性をいちいち眺めているような人は、自分だけではなかったのだと思ったのである。
 都会は面白い場所だ。地雷系女子って本当にいるんだ!と思ったり、米津玄師A〜Dって感じの四人組が地べたに座ってタコ焼きを食べていて近寄り難かったり、外国人がこの季節にヨッシーのフードを被りながらマリオカートで道を走っていたりする。良い場所なのかと言われるといささか疑問ではあるけれども、一度も来ないのではもったいないということは間違いないだろう。
 たい焼き(これも旨かった。芋餡とバター餡をシェアして食べたら、本格的に焼き芋感が強まったりした)を食べたあと、お土産を買いたいからデパートに行こうという話になった。彼氏が551をご所望らしい。
 昔は、Aから彼氏の話をよく聞いていた。そのほとんどがのろけを含む愚痴であったけど、「彼氏のパンツが全部同じ柄でつまらない。ジョブズか?」というような生々しくコミカルな内容も多かったので、ぼくはそれが結構好きだった。
 しかし、彼氏がエルデンリングというゲームをクリアしたという話を聞いたことを最後に、Aは彼氏の話を一切しなくなってしまった。だからそのことについて尋ねるのが今日のミッションの一つだと思って、ぼくは電車に乗って来たのだ。
 道中、聞いてみる。
「そういえば彼氏の話をエルデンリング以降聞かないけど、エルデの王になったまま帰って来なくなっちゃったの?」
「彼氏? あぁ生きてるよ?」
 その、「あぁ生きてるよ?」の言い方! ぼくはそれを聞いてなんだか感動してしまった。
 自分がどこで何を見てなぜそのイメージを持ったのかは分からない。けれどもその、声のトーン、間、台詞選びが、全て完璧に、あぁ「彼氏持ち20代女性」の物言いだ! という感じがした。本当に完璧だったのでぼくは感動したのだ。漠然としたイメージが実体をもって目の前に現れることは、それが危険や不快を伴わない限り、素晴らしいことなのだから。
 551はデパートの地下にあるらしかった。エスカレーターを下る最中、Aが言う。
「大阪と東京ではエスカレーターの立ち位置が逆だけど、私は間違えないよ。大阪では右に立つ」
「べつに左を歩いて下りてもいいのでは?」
「そんなことして、転んで怪我でもしたら大変でしょ。私だけの体じゃないんだから」
「……えっ? あ、そうなの」
「そうだよ、舘様が私を待ってるんだから!」
「は? あっ、あぁ舘様がね、京セラでね。…………一瞬、物語を一週見逃したのかと思ったわ」
「え? ……あぁ、違う違うw」
 これがその日一番、ぶっちぎりに面白い内容の会話だった。ぼくは再び感動させられた。さっきよりもさらに強い感動だった。
 ぼくは趣味で小説を書くのだけれど、最近はキャラクターの仲の良さの描写として、くだらない内容の日常会話を好んでよく用いるようになった。しかしまぁそう考えると、今しがたエスカレーターを下る短い間に起こった会話は、もし小説だったら奇跡の出来となる物だった。
 推しのライブを見に来た彼氏持ちの女友達と下りのエスカレーターを舞台に日常会話を書け。そう言われて「私だけの体じゃないんだから。……○○様が待ってるんだから!」のくだりを発想するのは、ぼくの自力では無理だ。完全に無理だ。現実の会話の面白さが、空想の面白さを圧倒的に超えている。ぶっちぎっている。なんて素晴らしい。やっぱり人と話すって大事なことなんだ!
 今の会話は面白すぎるから絶対投稿するぞ! と本人に公言しつつ、ぼくとAは551の行列に並んだ。並んでいる間にも常に会話は繰り広げられたけれど、エスカレーターでのそれに内容の濃さが遠く及ばないのでここでは割愛する。主にグミの話とかをしていた。
 割愛するのがもったいないやり取りと言えば、レジ前でのことくらいだろうか。
「なんで財布を出してるの。軍資金があるって言ったでしょ」
「え、これはお土産だから。いいよ」
「よくないよくない。あのね、俺は今朝親から「都会は物価が高いから3000円は持っていけ」と言われたんだ。それで3000円に遠く及ばない金額しか使わずに帰ったら、またケチったと思われて怒られちゃうんだよっ」
「なるほどw じゃあ、すいません。ありがとう」
 これが駆け引きとか話術ではなく、本当に実情を話しているだけなところがつらい点だけれども。そうして軍資金は無事にいい感じに使われたのだった。
 3年ぶりに友達と会ってご飯を食べようという時に、3000円も持っていかないと思われていることはいくらなんでも舐められすぎではないかと思うけれど、人が舐められることにはいつだって理由がある。会える友達が一人もいなくなっていた身としては、そういうことを考えるのも懐かしいことだった。
 お土産も確保して、ライブの時間も近づき、いよいよそのあたりでお開きになる。駅までAを見送ると、最後に「じゃあね」と彼女は手を上げた。それがハイタッチを求めているように見えて、応じるべきかどうかぼくは迷い、やがて「引く分にも、距離感を見誤るな」というタコ焼き屋で考えたことを思い出し、Aの手に自分の手を合わせた。
 ハイタッチというには小刻みなタッチをぺちぺちぺちぺちと連射して、Aは京セラドームへ向かい去っていった。次にいつ会えるのか、そんな機会がそもそもあるのかは、当然ながら何とも言えず、分からない。
 帰りの電車で一人考える。女の子に手に触れたからってキャーキャー騒ぐような純粋さは、ぼくからはすでに失われてしまっているけれども、それでもぺちぺちハイタッチには少し思うところがあった。というのは、Aのスキンシップは他にもあったからだ。
 551に並んでいる間退屈したのか、Aは時々ぼくの頬を鷲掴みにしたり、「ぶしゅ」と言いながら腹に手刀を繰り出したりしてきた。それ自体はハイタッチと同じく非常に嬉しいことだけれども、ぼくはそういう時にこうも思う。……いいなぁ、やましい心がなく、そういうことが出来る人は。
 単に「女子からやる分にはスキンシップだけど、男からやったらセクハラ!」という話ではない。エルデの王に義理立てるというようなことでもない。事の問題は、恩着せがましさと同じように、ぼくがAに同じようなことをし返せば、そこにはどうしようもなく性欲がにじみ出てしまうということだ。
 もういつ会えるのかも分からないし、というか女の子に触れられる機会なんてもはや無いかもしれないし、怒られない範囲でできるだけのことをしておこうかな! ……という魂胆が、どんなに冗談で覆い隠そうとしても必ずにじむ。だから「ぶしゅ」と手刀を繰り出せるのは、やましい心がない者だけなのだ。
 それが非常に羨ましい。こちらが気色の悪い葛藤をしている間、向こうは「暇だなぁ」くらいにしか思っていないのではないかと思うと、羨ましい。
 だからぼくはハイタッチも躊躇した。自分のようなダメ人間は、一緒にいるだけで欠点が十個も二十個も発見されてしまうわけだから、もはやそれは仕方がないにしても、それでも総評を「何をやらせてもダメな男」から「加害性のある男」に悪化させたくはない。
 ……しかし、そういう思惑を、はたしてぼくは達成できたのだろうか? それとも最後の最後で失敗したのだろうか。あるいは触れる触れない以前の段階から、たとえば視線によってすでにそれを失敗していたのだろうか。
 ……まぁでもべつに何でもいいや、とぼくは開き直る。Aほどぼくの欠点を熟知している人はいない。その知りっぷりは親にも匹敵するところがある。だとしたら今さら、3年ぶりに会えた貴重な貴重な一回だからといって、そこまで気にしなくていいか……。と、そう思うことにした。もちろんそれは、もしまた会うことがあれば今度はこちらも手刀をお見舞いしようだとか、そういう意味では決してないけれども。
 家に帰ると、軍資金の余りを返納するついでに父から聞かれた。
「Aちゃんと会うの、だいぶ久しぶりだったでしょ。お姉さんになってたんじゃない? 可愛かった?」
「20歳過ぎてからも何回か会ってたから、そんなに変わってなかったよ」
「うん。可愛かった?」
「可愛かったよ」
 父は男性にしては珍しく恋バナが好きな人なのだけれど、はぐらかされたことは二度聞かない……といったような奥ゆかしさを持ち合わせていないところが良くなかった。Aはそういうことを(クリティカルな場面以外では)しない人だから、帰宅して早々に気圧差がえぐかった。
 バウムクーヘンは家族で食べた。ちょうど好みの味と質感がしてすごくおいしかった。また近いうちに東京出張へ行く父へ同じ物を頼もうとは、情緒の問題により全く思わなかったけれども。

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