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自作すごろく対人戦レポ(と、それを踏まえたアップデート内容)

 ↓本記事の前提となる記事↓

※アップデート内容だけを見たい人へ
……記事の後半(「・終章、メンシスの悪夢」と「・総評」の間)にアップデート内容をまとめています。


 上記記事で紹介した自作すごろくを友達がいないがために一生一人で遊んでいましたが、この度ついに対人戦をすることが叶いました……!!
 記念すべき初めての対戦相手を紹介するぜ。父、母、弟、……以上だ!
 ……というわけで、かつて小学生の頃に初めてすごろくの自作を試みた時もそうであったように、今回も対人戦の相手を家族に務めてもらいました。大昔から子どものすごろくに付き合わされて、今も毎週いただきストリートで「誰が風呂を洗うか」を賭けて遊んでいる人たちだ、面構えが違う。
 そんな歴戦のすごろくプレイヤーたちと臨んだ初めての対人戦の一部始終を、このレポ記事に書き残しておこうと思います。なぜかというと、その対人戦を通して本すごろくに改善点や問題点が山ほど見つかったからです。
 対人戦を行うためのゲームをテストプレイするには、やっぱり対戦相手が必要だ。そう実感させてくれる一試合でした。



・序章、ゲームを始める前
 ……テストプレイ時はサイコロをアプリに頼っていたのですが、4人プレイでそれはさすがに見づらいということで、初めてアナログのサイコロを使用することにしました。サイコロなんて都合よく家にあるわけがないと思ってたけれど、そういえば我が家には麻雀セットがあったのです。駒にも牌を使います。
 順番が分かりやすいように東南西北の牌をそれぞれの駒として、ヤーナム市街のスタート地点に配置。……したところまではよかったのですけど、この時点で早速判明した問題点が一つ。
 ……このすごろく、元ネタを知らない人と遊ぶのは思っていた以上に厳しい!

「この輸血液ってなに? あと水銀弾? なんかあれか、吸血鬼を倒す話なのか」
「あー、吸血鬼っていうか、狼男的な奴らを倒しに行くんだけど、輸血液は回復アイテムで水銀弾は武器みたいな物で、でもすごろくではただの止まると前に進めるマスになってて……」
「なるほど……? で、+2とか+3って書いてあるのは?」
「あ、だからそれが2マス進むとか3マス進むって意味」
「へ〜。え、じゃあ狼男はどうやって倒すの?」
「それは普通にサイコロで。このボスのマスまで行って、書いてある条件の出目が出たら倒せるから。あぁでも途中で武器がもらえたりするんだけど……。あぁそれとこのすごろくには特殊なルールがあって、こう、後ろからぴったり追いつくと2マス先に進めるっていうルールなんだけど」
「ふむふむ。じゃあこの分かれ道は? あとなんかゾンビもいるじゃんここ。戦うの?」
「いや、それは書いてある通りで……」
(以下、省略)

 ……いや、すごろくいつ始まるんだよ!!
 開始前の説明だけでてーきゅうが1話終わるくらいの時間の食い方をしました。詳しい説明が必要なことなんて背後からの奇襲くらいの物だと思っていたので、それ以外のいろいろなところに食いついて来られたのは正直予想外です。
 これが元ネタを知っている相手なら「ぴったり追いつくとバックスタブをキメて2マス進めるルールね。輸血液と水銀弾も拾うと嬉しいから進むよ」くらいで済んでいたはず。というかそもそも、元ネタを知らないすごろくを遊ぶ時は遊んでいる最中に元ネタのことを知ろうとはしないことが当たり前(そんなもの気にしたって分かるわけがないからあとでググる)だと思っていたので、ステージを見るやいなや片っ端から興味を持たれたのは本当に予想外でした。この上さらに世界観の説明なんてしようものなら、「よし、聞くこと聞いたし今日は解散!」となりかねないほど時間を持っていかれる……。そう確信するくらいのわずらわしい時間がそこにありました。
 この時点で筆者が思ったことは、「あぁこれは武器の名前とかを口にしてはいけないな」ということ。「なにそれ?」と思わせてはいけない。そういうことをするとどんどんすごろく本体への集中力が失われていく……。そんなことを考えながら進行しなければならないとは、元ネタを知らない人とでも遊べるように設計したつもりが不覚にも予想外でした。ちなみにさすがに向こうもこのペースでは日が暮れると思ったのか、それ以降ボスの名前等にツッコんでくることはありませんでした。
 さぁ、そんなぐだぐだな展開からようやく開幕した初の対人戦、はたしてまともに遊ぶことはできるのか……?

・一章、ヤーナム市街編
 開始早々、「分岐マスは1マスとしてカウントするのか?」という裁定について、面構えが違うはずのメンバーがちょっと躓きました。カウントするからそこで止まった人は行き先だけ決めてくれと指示すると、「ふーん……?」みたいな雰囲気。
 ……まぁ、行き先を決めたならそっちに1マス進んじゃえばいいのに……と考えたくなる気持ちは、直感としては分からなくもありません。
 (以下、しばらく愚痴)

 しかしですね、「その分岐を決めるダイスロールで1を出すと、余剰の出目が失われること」は、それっぽいことが盤面に書いてある上に当然口頭でも説明したわけですから、分岐先に1マス自動で進むようにしてしまうと「余剰の1」と「余剰なし」が差別化されなくなってしまうことも分かるはずなんですよ。そしたらそこを差別化しておかないと、余剰1で分岐に入る時にちょっとしょうもない気持ちになるじゃないですか。べつに1が出てもいいやみたいな気持ちになるじゃないですか。だから分岐マスも1マスとしてカウントした方が絶対にいいんですよ。それに、分岐マスに止まった相手を踏んで2マス先に進む効果を発動して「お先に〜w」とか言ってたら1を出してその場に沈黙するとか、そういうシチュエーションが起きる可能性だって残しておいた方がいいでしょう? どう考えても分岐マスも1マスとしてカウントした方が面白いはずなんですけど、そんなことを一から説明していたら日が暮れますし、不本意ながら「そういうルールだから」と言うしかないんですよね……。不本意かつ遺憾ですけれども。

 (愚痴おわり)
 で、まぁ分岐にまつわるルールの躓きはそれくらいで済んだのですけど、するとすぐにまた別の裁定に関する躓きが起こりました。それは「マス効果で進んだ先に別のマス効果があった場合、それは発動するのか?」というもの。前回記事を読んでくれた人は知っているでしょうけど、当然、答えはノーです。理由は、そうしないとすごろく制作の難易度が上がる(またはゲームバランスが悪くなる)から。
 が、しかし、この裁定と「背後からの奇襲の行き先ではマス効果が発動する」という裁定を、うちの家族は筆者が危惧していたよりも深刻になかなか覚えてくれませんでした。……いや、ややこしくなってしまっていることは自覚しているつもりだったのですが……。
 (ここからまたしばらく愚痴)

 ……しかしそうは言っても、これってそこまで難しい話なんでしょうか? 背後からの奇襲だけは例外だよっていう、たったそれ一つだけの話じゃないですか。
 背後からの奇襲というラッキーイベントが、他のイベントを潰すといったようなエンタメ的にマイナスな動きをすることは本意ではないからそういうルールにしたんですけど、これはどちらかに統一するべきだったのでしょうか……? 統一するとしたら「発動しない」側にするしかありませんけど、でもそういうゲームって面白いですか……? 良いイベントが2マス先にあるから「進む権利or止まる可能性」を天秤にかけるだとか、ただのラッキーで起こるハッピーなイベントにそんな後ろ向きな選択があって本当に面白くなります……?
 発生する位置が完全にランダムだからこそ、行き先のマス効果も出た方が予想外のことが起こって楽しいかなと思ったんですけど、あまりにもそこでルール的に躓かれると少し考えさせられました。……いや、でもこれに関しては遊ぶ側が悪いような気も……。

 (愚痴おわり)
 さて、マス効果絡みの裁定を乗り越えつつ、プレイヤーたちはなんやかんや続々とボス戦までたどり着いていきます。大橋のイベントは残念ながら発生すらしませんでした。筆者が一人で遊ぶ時は発生することの方が多いくらいだったのに、ここ一番でエンタメ運がありません。
 で、ボス戦の際、やはり一番物議を醸したのは「1位は武器がもらえない」という点についてでした。これに関しては完全に筆者の強めの思想が入っていることなので、正直なところ撤廃してしまってもそこまで大きな問題があるルールではないようにも思います。それにこのルールに関して未だ煮え切らないところである「ボス戦でひたすら詰まっている人はどちらにせよ救われない」という点についても、改めて一考の余地が残されているように思えました。
 一方、意外だったのは「このボス戦厳しすぎじゃね?」という声は上がらなかったこと。特に母はだいぶ詰まっていましたが、本人もそれを見た他の人も、これといって物議を醸すような雰囲気は放ちませんでした。……他人の考えることとはよく分からないものです。
 ……結論としては、武器というのは一部のシチュエーションを除いてそこまで劇的にゲームを動かす力がある物ではないわけですし、もしかすると1位も武器を拾えるようにするべきなのかもしれません。個人的には気に食わないことですが。(武器無しでもズンズン突き進む1位の姿を見たくないですか?)

・二章、聖堂街
 さて、ヤーナム市街での一連の躓き方を見てからここへ来てみると、いかにも不安が絶えません。ガスコインに文句を言わなかった人たちは、謎の力場を無限に発動する物として扱いゲームが停滞しても平気な顔をしているのでは……だとか。教会の使いに関するルールを正しく処理できるのか……だとか。
 そんな不安と共に進行したところ、「人攫いに攫われるのは一人だけ」という仕様を説明する暇もありませんでした。筆者がトニトルスの説明に手こずっている隙に、瞬く間に二人目がヤハグルに吸い込まれていきました。
 しかし、その時筆者は気付かされました。あぁ確かにこれは全員吸い込まれた方が面白いかもしれない。何せ脱出口が人攫いマスその物であることで、一人が二度吸い込まれることは説明するまでもなく絶対にない。なら全員吸い込まれてしまってもゲームは停滞しないし、べつに良いのでは? むしろ誰か一人が攫われた瞬間に盤面からイベントが一つ減ることの方がエンタメに反するのでは……と。
 またその際、最初に入った人にはトニトルスが与えられるわけですが、二人目にはその件についてこっそり黙っていた(得たとも得られないとも言わなかった)ところ、意外にもそれについては完全にスルー。その後一切話題に上がることもありませんでした。……人攫いの仕様が「何人でも攫うが、最初の一人にしかトニトルスを与えない」に確定した瞬間です。それでちゃんと面白かったので。
 なお、力場の方には誰も止まりませんでした。背後からの奇襲の仕様を覚えられない人たちは「力場は一回しか発動しない」と説明しても十中八九忘れるでしょうし、止まらずに済んだのは幸運です。
 ……と思いきや、そういった記憶力・理解力の印象に反して、教会の使いについては家族全員が予想をはるかに上回る正しい処理を見せてくれました。誰一人として「自分が教会の使いに何回止まったのか」を忘れないのです。筆者はテストプレイ時これに相当苦しめられたのですごく意外でした。これが分担の力なんですね。結果、教会の使いは自分が思っていたよりも盛り上がる良イベントとして機能しました。
 エミーリアについても特に問題なく進行。ここで3位だった弟のほかに、ガスコイン戦で詰まりまくった母が武器を得るというなかなか理想的な展開になりましたが……。
 母が仕込み杖を得た瞬間、あっ、この武器の仕様の説明は無理だな……と思いました。そして一応説明を試みはしましたが、その予想は当たってしまいました。
 ボス戦マスの手前からボスに挑むことで順位判定に介入して武器獲得チャンスを得られる効果を持つ「仕込み杖」ですが、「原作で選べる3つの初期武器の中で最もトリッキー」という原作再現要素を出したかったそのややこしい仕様を実際の対人戦に持ち込むのは、現実的ではないのかもしれません。
 筆者の説明を聞いて、母が言った一言目がこれでした。
「え、今ボス戦の前までワープできるの? いつできるの?」
 ワープできるわけないだろ……ゲームにならんわ……。
 と、その時は思ったのですが……。よく考えてみれば仕込み杖は、武器獲得のルールに一考の余地がある以上、その性質その物に一考の余地があるとも言える物です。そして、原作では鞭にもなる仕込み杖を使ったワープ……すなわちワイヤーアクションは……確かにちょっと見てみたいですよね。
 この話題に関しては、本記事終盤の「・アップデート内容一覧」に続きます。

・三章、禁域の森
 この縦長のステージが展開された時に空気がしれっとしていたことが個人的には不服ですが、まぁそれは仕方のないことでしょう。
 ここでの開幕には幸運にも、テストプレイ時にはなかなか発動しないイベントだった「大砲」が発動しました。……が、筆者が父に向けて撃ったそれはダイス勝負により不発となり、イベントはそれきりで終わってしまいました。
 ……原作的に説明がつかないので不採用としたのですけど、大砲には「失敗すると返り討ちになる」という仕様があった方がすごろく的には盛り上がるのかもしれません。これからはそうします。……あれ、それに砲手が駆けつけてきた主人公にしばかれる流れは原作にもあるから、それを思えば原作的にも……(独り言)。
 話をすごろくの進行に戻しましょう。ヤーナム市街で揉めた甲斐あって、森の分岐はスムーズに処理されました。また、なぜか毒ヘビが謎に盛り上がってました。元ネタが分からない人からすると、直感的に理解できるお邪魔キャラの存在が目立って見えるのかもしれません。
 しかしそこまではよかったのですが、この先の森での展開を機に、ある不運がこの試合を通して起こってしまいます。それは「一試合を通して誰も三本目のへその緒を入手することが出来なかったこと」です。せっかくの初めての対人戦なので、出来れば誰かに引き当ててほしいところでした。なのに森では迷子が二回も出ながら、それでもなぜか誰一人として宇宙人のいるAコースには立ち入らなかったのです。隠し通路を通った人はいませんし、確率的にすごいことですよこれは。
 それはそれとして始まるヤーナムの影戦。するとここで一つ、ポジティブな方向に意外なことが発覚します。それは「連続するダイス勝負のわずらわしさ」が完全な杞憂だったことです。
 アプリのサイコロならまだしもアナログのサイコロを振りまくるのは面倒なのでは……という危惧は全くの杞憂で、むしろそこで行われる一つ一つのダイスロールがゲーム中一二を争う盛り上がりを見せる物でした。というのも、相手役のダイスは立候補した他プレイヤーがライバル意識むんむんで振るのです。それがまぁ盛り上がる盛り上がる。
 ちなみにこの時点で仕込み杖はややこしい処理に関する要素を完全に失っており、ただの数字を宣言して当たれば+1する武器と化していました。しかし案外それでも楽しく機能している。確率の内訳を知っていると仕込み杖はかなり弱いのですが、それを知らなければパーティグッズとして十二分のポテンシャルを持っていたのかもしれません。盲点です。
 しかしそれにしたって、想定していた要素が勝手に削られてしまうのは不本意なこと。そのあたり諸々の出来事を鑑みると、初めての対人戦から得られた大きな収穫は、口頭でルールや効果を説明することの難しさだったのかもしれません。すごろくの進行をできるだけ止めない長さの説明を意識すると、削られていく要素も多かったです。

・四章、ビルゲンワース
 これは予想していた範疇のことですが、このあたりで筆者以外のプレイヤーたちが疲れ始めました。本作は元ネタを知らない人にとってはべつにどこで終わっても消化不良には感じられないすごろくなので、なおさらだったのかもしれません。
 脳喰らいと蛍花とユリエ、全てのイベントに誰かしらは止まったのですが、機能したのは蛍花の二回休みだけでした。もしかすると脳喰らいは確定で武器を食べてしまってもいいのかもしれません。ユリエは……ミコラーシュ戦が白けることを思うと、やはりあまり多く彼方への呼びかけをばら撒きたくはないですね。
 ロマ戦ですが、明らかにややこしい上に再誕者と比べるとクオリティが微妙な例の仕様は全カットして進行しました。そしてそれで全然問題なかったので、やはりこのボスについてはもう一度考え直す必要があるのでしょう。他人を妨害できる再誕者とは逆に、1を出すと自分がマイナスされてしまうとか? いや、それではどちらにせよ後ろ向きだから「前向きな方が面白い」の法則に反するか……。
 ……代案募集中です。

・五章、隠し街ヤハグル
 鐘女を背後からの奇襲で飛び越えられてしまう点がこのステージの抱える問題点(盛り上がらないポイント)だと思っていたのですが、それに該当するシチュエーションは起こりませんでした。そんなことより、アメンレーザーが機能しすぎるくらいしてくれて、そしてそれがちゃんと盛り上がりに繋がった点がよかったです。
 アメンレーザーの裁定に「一回休み中に再度被弾した場合」の処理は書きませんでしたが、ここは自由でいいと思える一方、今回の我が家では「重複しない」を答えとして進行しました。本当にそのレベルでレーザーが機能したんですよね。喜ばしいことです。
 また、三人衆についてですが、ここで得られる「火炎放射器」はある問題を抱えています。それは「今までのテストプレイで一度も効果を発動できたことがない」ということです。そしてその問題点は今回も解決しませんでした。二人も入手したのに、発動はゼロ回……。べつにそれで盛り下がることはなかったのですけど、せっかく用意している要素としてこれでいいのか? と疑問は残ります。
 それと「獣の爪」ですが、これの順位判定についても未だに一考の余地が残っています。「ビリ以外なら移動と戦闘に+1する。ラスボスを突破した者は順位にカウントしない」というルールに決めてはいましたけど、やはりこの効果でミコラーシュ戦に2位で突入したなら一生+1されながらダイス勝負を続ける……という絵面には、まだミコラーシュ戦にたどり着いていない3位以下の視点から見て理不尽感があったんですよね。一人きりのテストプレイでは「まぁそういう武器だし」でスルーできたのですが、対人戦ではこの理不尽感が目立つ。空気に出る。
 かといってその一方で、たとえばビリでようやくミコラーシュにたどり着いた人からこれを振るう権利が剥奪されるのはつまらない気がしますし、いっそ移動時だけの物として扱うという案も、獣の爪以外にまともな武器を持たない人のミコラーシュ戦にしょうもなさが漂ってしまうことが裏目になります。
 個人的には、多少理不尽なくらい強い武器が三人衆から1/3の確率で拾えて何が悪い? と思うのですけど、「理不尽な強さは少しくらいならあってもいい」というのはある程度コアなゲーマー特有の感覚である気もしますし、なんとも難しい問題です。
 ……正直、筆者はこのあたりで、生の人間を相手にすることが面倒くさくなってきました。

・終章、メンシスの悪夢
 疲れてきた面々には朗報となる最終ステージですが、ここではある種の悲劇が起きてしまいました。
 開始早々、見られているゾーンを当然のように全員回避。メルゴーの処刑人も、小人に止まった・止まらないに関わらず全員回避。ほおずきで休む人はいても、三本目のへその緒を入手する人はいない。……という、比較的つまらない展開が、この記念すべき初の対人戦にて起こってしまったのです。
 形勢は、筆者と父の上位2名、母と弟の下位2名にきっかり分かれました。ここで下位の人がへその緒を引いて上位勢をミコラーシュ戦から引きずり出すと面白かったのですが、それは叶いませんでした。……必然、盛り上がりには欠けます。
 しかし、そんな中始まった上位勢のミコラーシュ戦において、この対人戦があったからこそ得られた最も大きな改善案が爆誕しました。
 それは、ミコラーシュに出目で2の差をつけて(つまり勝利点は1)ダイス勝負に勝った父が言ったことでした。
「いや、2点くれてもいいだろ」
 ……言われて手元の点数表を見ると、筆者が3点で父はこれから加算される0点。
 あれ? たしかに2点でもよくね? そう思って、急遽「勝ち点は相手の+1の影響を受けない」という仕様を加えてゲームを進行しました。
 するとまぁなんということでしょう。ダイス勝負に勝つこと自体の難しさはそのままに、非常にテンポよく勝利点が溜まっていくではありませんか。……間違いなくこっちの方が面白い!
 ダイス勝負の勝率と、勝利点の増加具合は切り離して考えるべきだ……とは、一人で遊んでいる限りはおそらく一生気づけなかった改善ポイントでした。この改善によってミコラーシュ戦は完成されたと言っていいでしょう。大収穫です。
 その後、完成されたミコラーシュ戦にて母と弟のビリ争いが勃発。ルドウイークの聖剣を振るう弟と仕込み杖で毎回別の数字を宣言する母の戦いは拮抗して大いに盛り上がりました。……が、ここへ来て危惧していたことが一つ実現してしまいます。
 二人以上のプレイヤーがダイス勝負を連続して行っていると「今どちらが攻撃しているのか?」が分からなくなる問題です。これは危惧していた通りのことがきっちり起きてしまいました。それもミコラーシュ戦で1を出すとその回はあいこの可能性すら消えるわけですが、そこで「振る意味のない相手ダイスは振らない派」と「儀式としてとりあえず全てのダイスロールは執り行う派」が衝突。分かりづらさはさらなる混迷を極めていきました……。
 これの解決法として筆者は「大きさの違うサイコロを一度に二つ振る」という物を考えていたのですが、いかんせんヤーナムの影が盛り上がってしまったばかりに、今さら自分一人でサイコロを振るだなんて無粋なことはあり得ない!という空気が場を包んでいました。
 あぁ、対人戦の……あるいは人の、なんと熱狂的で、なんと面倒くさいこと……。
 長くややこしい戦いの末、勝利したのは母でした。駒に書かれている文字で言えば順位は、西南北東です。

・アップデート内容一覧
……聖堂街の人攫いは何人でも攫う。ただしトニトルスは最初の一人にしか与えられない。
……禁域の森の大砲は、どちらから仕掛けたかに関わらず「ダイス勝負に負けた方が一回休み」となる。
……禁域の森の隠し通路は、止まれば必ず通れる物とする(ダイスロール撤廃)。
……隠し街ヤハグルにて、鐘女の各個体に一番最初に止まった人は、1マス進む。
……火炎放射器の効果は「自分の止まったマスから1マス圏内にいる他プレイヤー全員をXマス戻す。一回だけ使える」に変更。
……ミコラーシュ戦のルールに「勝利点は「相手ダイスに常に+1」の影響を受けないものとして計算する(例……3:2はあいこだが、3:1は勝利点2となる)」を追加。
……仕込み杖から順位関連の効果を削除して、「自分の「背後からの奇襲」の効果を「ボス戦の1マス手前にワープする」にする」を追加。(テストプレイしてみて強すぎた場合は「背後からの奇襲で10マス進む」に弱体化予定)
……ロマ戦のルールを「累計15以上で突破。ボス戦マス(ロマ)にいずれかのプレイヤーが出入りするたび、戦闘中の者は偶数奇数を予想する。その当たり外れに応じて各々の累計から+3または-3する」に変更する。

・総評
 ぶっちゃけた話、もう二度と家族でこのすごろくを遊ぶことはないと思います。やはり制作時に危惧していた通りの「作者の思想が強すぎて、作者しか遊べない」という予想はある程度当たっていたわけです。それでもミコラーシュ戦の大収穫や、上記の通りのアップデート、その他諸々一考の余地がある点について改めて再考を求められたことについては、本当に対人戦が出来てよかったと感じます。このすごろくにはまだ進化の余地が残されていることがよく分かりました。……しかしそれはきっと、筆者のためだけに存在していればそれで良いものなのです。
 ただ、もしこの先また別の自作すごろくを考えて仮にそれが完成したとしても、もうそれを家族で遊ぶことはないと思われるので、次回作が作れてもその対人テストプレイは行えないということが、筆者にとっての唯一の心残りです。
 ……それで、かつて自分とその家族が遊んだ市販のすごろくのようには本作を上手く楽しむことは出来なかったけれど、その理由はどこにあるのか……? というと、筆者の思想の強さやゲーム性にちょくちょく顔を出すややこしさ、元ネタを知らない人と二次創作作品で遊ぶことの難しさ……等々たくさん理由はあるのでしょう。しかし、その内の最たる物としては何があるのか? というと、それは「大前提として硬派であるしかないこと」であるように思います。
 アナログで、最低限の情報をコピー用紙に手書きするだけであり、小道具もメモくらいしかなく、「一発ギャグをする」のようなバラエティ系のイベントも有さず、かといって簡素すぎて味がしないことも良しとしない。……そんなすごろくは必然的に硬派な物になるしかないのです。つまるところそれはこの令和の時代に作られる「ゲームの面白さにグラフィックは関係ない」という思想を原料としたゲームソフトのような物であり、それを思想や評論性とは無縁のプレイヤー(たとえば任天堂の有名ソフトにエンジョイ勢としていくつか触れている程度にしか「ゲーム」という物を知らない人たちのような精神性)に見せたところで、なかなか上手くはやっていけないわけです。
 ……そういうわけなので、最後に「悪夢の主、ミコラーシュ/Micolash, Host of the Nightmare」の台詞を引用して、この記事の締めにしたいと思います。


Ahh,Kos,or some say Kosm…
(ああ、ゴース、あるいはゴスム…)
Do you hear our prayers?
(我らの祈りが聞こえぬか…)
No we shall not abandon the dream!
(けれど、我らは夢を諦めぬ!)
No one can catch us! No one can stop us now!
(何者も、我らを捕え、止められぬのだ!)



 ……自作すごろく次回作、「全部焚べろ! ロードラン採集ツアー☆」。鋭意構想中……!!


 


 
 



 


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