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【雑文】夢日記(令和四年十月下旬から十一月上旬まで)

メモから清書している。しかし、その日その日で文体や構成が違うのは私の実力不足、あるいは直らない性質の所為なのでご容赦いただきたい。

令和四年十月十九日

 半島、あるいは岬の映像からその夢は始まった。雲一つない空の下、深い青のインク壺のような大海へニュッと陸地が突き出ている。普通に考えればそれは岬なのだが、どうしても伊豆半島のような土地であるという考えが拭いきれない。
 私は先端、最も鋭く海へ突き出ている陸に立っている。一歩踏み出せば断崖で、落下すれば海面に当たると同時に高く水柱を上げるだろう。
 恐れることなく崖の下を覗くと、すぐそこの岩壁に蜘蛛のごとく女が張り付いている。女は天を睨んでいるため、ちょうど覗き込んだ私と視線がぶつかる。
「リュウグウを、リュウグウを」
 女が明瞭な声で繰り返した。リュウグウ。それが竜宮城ではなく、彼女の視線の先、それは青空を突き抜けて、暗黒物質を通り抜けた先、小惑星リュウグウのことであるとわかる。
 風が吹いた、という情報だけが頭に入ってきて、一陣さえも感じられなかった瞬間、目が覚めた。


令和四年十月二十二日

「旧支配者のキャロル」が流れている。
 空を見上げよ。
 人工物が何もない丘、眼下のノッペリとした平原にも何もない丘に立ち、空を見上げる。星月夜だ。今話せば、舌がもつれる。
 風は感じない、やはり。けれども、丘を覆い、平原を覆っている草達は風の形の波を生み出している。
 遠くから誰かが歩いてきている。草のせいで下半身が見えないが、足が悪いのだろうか、足を曳くようにして進んでくる。
 誰だ。


令和四年十月二十三日

 タイトルを『樹下の二人』とした写真を撮りたくなって、持ったこともない一眼レフカメラを携えて町へ出た。
 青々とした公孫樹の下にカップルが居るのを見つけて、すぐさまレンズを向けようとするが、カメラが重い。レンズを支える左手が耐えきれずにミシッと音を立てた。苦戦しているうちに、カップルは消えた。
 青々とした桜の下にカップルが居るのを見つけて、すぐさまレンズを向けようとすると、カメラが部品ごとにばらけて、道路上に散らばった。拾い集めているうちに、カップルは消えた。


令和四年十月三十日

今朝、夢で一緒に歩いた人が誰だったか思い出せない。それがとことん辛い、と感じるのは何故だろうか。

砂漠の真ん中のしかし水の豊かな都市、外国人には優しくて、対立する部族には厳しいあの都市で、私は誰と歩いていたのだろう。

屋上庭園らしい所には大きな池一つ丸々作ったようなビオトープがあって、細い橋、桟橋、の、桁には藻が絡まって、(昔みたいに)落ちたら大変だと思ったから、一緒に歩いていた人の、自分より背のかなり低い人の、手をとって離さまいと握っていたのだが、あれは一体誰だったのだろうか。

途中、ビオトープは都市と砂漠の境界を流れる川になり、ビオトープの周りを歩いていたのが、コンクリートの堤を歩いていて、堤を降りる時にも手をとって、柄にもない英国紳士的振る舞いで、堤を降り、飛石に乗り、ぴょんぴょんと都市側の岸へ。岸にはHが立っていて、彼女も相当背の低い女性だが、私たちを冷やかした。私たち、私と私と共に歩く人。Hではないかとも思ったのだが、いや、彼女は途中から出てきたのだ。なら、この背の低い人は、私と共に歩いているこの人は誰なのだろう。名が思い出せない。

都市へと歩く最中、確かに私は砂漠の果て、地平線、という名の無窮を指差して、感想を述べたはずだ。その時に一緒に歩く人は入れ替わっていたのかも知れない。

都市の人は宗教を同じくし、時間になれば共に祈りを捧げていたが、対立民族は白い帽子を被って祈る。それでバレるのだ。大人だろうと子供だろうと都市の人々はウサギの小さなぬいぐるみを彼等に投げた。痛くないはずだが、そのことがなんとも悲しかった。外国人は祈らない。それを咎められもしない。だから、歩いていた。それで、一緒に歩いていた人が、思い出せない。とても辛く感じるのは何故だろう。彼女は外国語ができた。英語とイスラエルの言葉と。そんな人周りに居ない、から、架空の人物だろうか。架空の人物のことを、誰? と思い、辛い、と感じるだろうか。

目を覚ましたら、すぐに出ていかねばならなかった。夢の中では覚えていた(はずの)名前が引き潮のように遠のいていって、生活の雨が、生まれた干潟にある足跡、それは私たちの足跡だ、をぼつぼつと穿っていく。ただでさえ、思い出せないのに、私は扉を開けた。町へ出た。その時には干潟は穴だらけで、私たちの足跡はもう足跡ではない。朝寒の坂を降りてゆけば、水平線とも呼べない、大阪湾の際が揺らいでいた。

思い出せないまま、今日という日はもう午後に入っている。


令和四年十一月八日・九日

 二日連続で同じ設定の夢を見た。
 級友は小学校のそれ、教室は小学校の旧校舎、担任は中学校のH先生。旧校舎はなぜか紫色の光かがやくエスカレーターが設置されていたり、古く軋む木の床ではなく現代的な素材の床になっていた。
 昨日はそのH先生に怒りをぶつけるのをO(すっかり夢日記でお馴染み)に止められるというもの。
 今日は集団下校の夢。

 設定だけならばまだ良いのだけれど、なんとこの二つの夢には唯一共通する登場人物がいる。
 その女子の名前を私は知らない。
 ただ昨日の夢はショートカットだった彼女が、今日の夢では黒髪を豊かに伸ばして三つ編みを作っていた。私は彼女と親しく話している。夢の中ではあるが、漫画のキャラクターのような印象を受けた。
 今日の夢の終わりはこうだ。
 集団下校の列が廊下から校門へと向かうのを外れて、私と女子は本校舎へと行く。薄暗い本校舎(実際にこの校舎は廊下の電灯を終日点けない)を歩いていると彼女は物陰に消えた。追うとそこには積み藁があって「ショートカット Ctrl +〜」とショートカットキーの案内らしき表示があった。もちろんこれはショートカットキーではない。
 そういえば、私はその時、彼女の名を呼んだのだった───。
 呼ぶと、廊下にゆらりゆらりと緩慢な歩調で移動する謎の赤い女が現れ、こいつに悟られないように静かに私は校庭へ出た。
 校庭から見ると、校舎の扉という扉が開けられていて、全ての扉に陽炎のように揺らめくメイド服を着た男たちの姿があった。異常性癖じみたものを感じるかもしれない。だが、そいつらは……。
 全員、目玉が無かった。
 しかし、遠くから見てもわかるくらい大きく口を開けて笑っていた。
 歯のない口で。

 校庭は逃げ場がない、と気付いてから目が覚めた。思えば、あの女子は物語シリーズの羽川翼ではなかったか、と思う。本編では三つ編みからショートカットに変わるのだが、私の夢では逆だったわけだ。


令和四年十一月十一日

 空間、room、淡い、という三つの言葉か、印象しか覚えていない。


令和四年十一月十三日

 佇む、と何度も詩に書いてきた。不思議と短歌では書いていない。佇立、という言葉も好きだ。なんとも微妙な行動を言い表せる。

 私は寺の前で佇んでいた。四方は森で、ただただ碧い。曇天、から、雨天へと変わり、木々の緑が暗く濡れ、寺が古寺らしい雰囲気を強めていくにつれ、古色蒼然、と頭の中で言った。
 突如、寺の障子が開き、ひとりの男が出てきた。この男、風貌は全く似ても似つかないのだが、Mである。『堂守でもやっているのか。意外だな』と私は冷静に感想を抱いている。Mは浄財を麻袋に回収すると、また寺の中へ引っ込んだ。
 私はなお佇んでいる。寺の前に佇んでいる私を門のところで見つめている私も佇んでいる。門のところで寺の前に佇んでいる私を見つめている私を山道で見つめている私も佇んでいる。そうして、寺へ至る山道で等間隔に私たちは並んで、佇んでいる。


令和四年十一月十六日

 美術館兼博物館というような施設に私はいる。ここが三ノ宮の中央にある、と思っている。
 美術館スペースはおよそ美術館と呼べない、意味は変わってくるが美術室と呼びたいようなものだった。というのは、美術館にあるグッズ販売スペースような部屋にさまざまな絵が飾られてあるからだ。ある連作の絵を追うごとに私はそれぞれの絵の世界に入っていた。
 真夜中、イギリスの湖を泳いでいると、水底からぼんやり青く光る何かが浮上してくる。それは白い服を着た女の姿をした精霊であり、夜の静寂を犯した私から精力を吸い取ろうとしているのだ。
 真夜中、崖に沿って行軍しているとすぐ脇の暗い森の中から鹿の声がする。そこで思い出されるのは和歌ではない。なぜならここはイギリスなのだから。銃声四発、立て続けに響き、音が崖の下へと落ちていく。
 真夜中、の、闇───。
 連作が終わり、次の絵を見ると、小さな長方形の画面に先ほどの崖らしき岩肌が描かれ、その上に赤い文字で「吉増剛造」と、いかにも絵の具と絵筆を使った筆跡で書かれていた。
 所変わって、高い天井、彫刻見事な壁、薄暗いにもかかわらずつやつやと光る床。まるで西洋のあらゆる名建築の要素を合体させたかのような廊下に、身長の二倍大きい両開きの扉がずらりと並んでいる。
 そのうちの一つを開けると、狭い正方形の部屋があり、採光窓から白昼の光がこぼれ、埃っぽい空気を際立たせていた。四方の壁に四段ほど棚が設けられ、その全てに不揃いな大きさの、しかし、両手で抱えることでしか持てないようなパンが並んでいる。これはダリが描いたパン、神戸で買う個包装の片手で持てるパンではなく、西洋の民草が日々の糧としているパンである。
 その隣の部屋は固く閉ざされ、そのまた隣の部屋を覗いた。またも狭い正方形の部屋、四方の壁には棚、しかしその部屋には何も置かれておらず、部屋の中央に採光窓に拝跪する肋骨の浮き出た裸の異邦人がただひとり居た。彼は時々私の夢に出てくる、イスラームや仏教などへの勝手なイメージが混ざり合った、私の夢にしかない宗教の信者なのである。この宗教は常に私の夢の中で迫害されている。
 いつのまにか私は学芸員の谷川俊太郎とこの博物館スペースを回っていた。
 もう一度、美術館スペースへ戻り、あの「吉増剛造」と書かれた絵を見たくなったが、谷川俊太郎とはぐれてしまい、迷子になってしまった。迷子?


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