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8/1 子供の運命の捉える視点③ 家系のストーリー=家系を知り「自分の現在位置」を知ることの大切さ

昨日の続き、子供の運命を観ていく続きです。

昨日は、後半、天中殺をもとに、家系のストーリーを考えていく、
…ということについて説明しましたが、
この「家系のストーリーを捉える」ことは、とても重要なところなので、
本日はまずそれについて掘り下げて、
終盤、男系・女系の捉え方とその影響について見ていきます。

さて、子供の運命を観ていくに際し、
なぜ、家系のストーリーを捉えることが大切なのか?
…といえば、

家系のストーリーが多少でも見えてくると、家族としての連帯感も生まれ、
家系のストーリーという縦軸が見えると、自分の拠り所を見つけることが出来、

それと同時に、現代病ともいえる「何者でもない自分」という感覚から脱却して、
拠り所を得ることが出来るからです。

「家族としての連帯感」などと書くと、
「それっておいしいの?」的な反応をされそうですが、
算命学というのは「個人が集団の中で生きるための学問」であり、
その「集団」の最小級の単位が「家族」であり(「集団」の最小単位は夫婦)、
「家族」というのは自分の環境を形成しているものなので、
仲の良し悪しにかかわらず、その連帯感というのは、重要です。

戦後、「都会人は根なし草」といわれましたが、これは、
戦後の義務教育において「日本の歴史」と「日本の近現代史」の断絶が起こり、
地方においては、それをつなぐ情報の語り部がそこここにいて根っこを維持できた一方で、
都会に在ってはその断絶をつなぐ語り部がいなかったために、
根っこ=拠り所を持たない都会人が大量に発生した、そのことに拠ります。

都会の根なし草の多くは「核家族」を形成し、
「日本の歴史」と「日本の近現代史」の断絶は世代の断絶、家族の断絶につながっていき、
その結果、世界的にも突出した「超個人社会」となっているのが現代の日本です。
(個食の飲食店がこれほど最も多いのは日本ではないか、という指摘もありますね。)

そんな現代に在っては、「家系」といってその意味がすぐに分かる人は稀となりましたが、
実はその「家系のストーリー」という縦軸こそが 「家系」であり、
その「家系のストーリー」を知ることで自分の現在地を知ることができ、
その「家系のストーリー」の参加者となるのが「継承運」 の人物の生き方、
その「家系のストーリー」 から離れ独自のストーリーを自ら紡いで生きていくのが「非継承運」の人物の生き方であるのです。

これはつまり、
何をするにしても「家系のストーリー」を認識しないことには「起点」が定まらない、ということであり、
「家系のストーリー」を捉え認識することは、
地に足をつけて、この世界に根っこを張って生きる上では不可欠である、
ということを意味しています。

もちろん、目の前の現実を生きることは何よりも大切です。
けれど、目の前の現実が、どういう背景で起こっているのかということの理解はそれと同じくらい大切で、

この「目の前の現実」と「背景を知ること」が、いずれも等しく同じくらい大事であることは、

「陽宅(現世の家)」と「陰宅(お墓)」が、いずれも等しく同じくらい大事であること、
「実の世界」と「虚の世界」が、いずれも等しく同じくらい大事であること、
「有形・現実の世界」と「無形・精神の世界」が、いずれも等しく同じくらい大事であること、
「生きている人」と「亡くなっている人」は、いずれも等しく同じくらい大事であること、

家系のバトンリレーの担い手は、
「バトンを持っている人(只今現在、今世の主役として生きている人)」も、
「バトンを持っている人を今世で応援している人」、「見えない世界で応援している人」も、
みんながみんな、すべて同じくらい大事であること、

…と、同じように大事なのだということだといえば、その意味が伝わるでしょうか。

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