12/2「犯罪者」と「偉大な人気者」、同じ命式でもここまで人生が変わるのか?という事例と理由③
同じ命式を持ちながら、
=同じ生年月日でありながら、
一方は、「史上最凶の犯罪者」、もう一方は「偉大な人気者」となったケースについて説明している、その続きです。
さて、人間の運命が「宿命と環境の交点」において生まれるものであることを踏まえれば、
同じ生年月日でも、まるっきり異なる人生になる、というのは、至極当然のお話なのですが、
それでは、「生年月日で占います!」という占い・鑑定が、
まるでウソなのかといえばそうではありません。
この内容を書き始めて、
そのこと、つまり、
「生年月日だけをみてペーパーで鑑定書を作成する占い師はまがい物なのか?」
…という質問をくださった方がおられたのですが、
必ずしも、そういう、
宿命だけで判断する、環境を見ずに判断する、という占い師さんがダメだというわけではありません。
というのも、
命式を丁寧に観れば、
実際の環境を見ずともある程度予測は立ちますし、
(例えば、初旬・二旬に大きな散法のある身強の人は、社会人になって陽転傾向である一方、
若いうちに大きな散法の大運がめぐらない身強の人は、本質的な陽転が難しいなど)
宿命に応じた要素を中立的に捉えて、宿命の鋳型を伝える、というのであれば、
本人の実際の人生がどうであったとしても、
宿命に応じた「目指すべき姿」、「理想形」を前提に、生き方・在り方を伝えればよいわけで、
そういう「占い」にも意味や価値はあります。
よって、生年月日のみをもって書面で一方的に『鑑定』をすることも、ダメだということではありません。
但し、
一般的に「苦しい」といわれるような命式である場合において、
どうすれば、より良く、発展的な生き方を実現できるか?
…といった、宿命の要素を中立的に捉えるだけでは目的を果たせないような場合や、
あるいは、
どうすれば、今の苦境から抜け出すことができるか?
どうすれば、自分の個性・才能を際立たせ、世の中に存在感を発揮できるか?
…といった、状況に応じた、具体的な対処を知りたいような場合には、
「環境や状況に応じた具体的な対処」が必要なわけで、
その場合には、双方向コミュニケーションによる『鑑定』が必要となるだろうと思います。
今回の事例の命式も、
命式だけを見て判断すれば、
「水に沈みそうな小石」、「真っ暗な中、見失いそうな小石」 であり、
たいへんに苦しい人生ですね…という判断となるわけで、
実際、この命式をもつ一人は凶悪な犯罪者となったわけですが、
そういう「苦しい命式」の良さを引き出す、
そういう「苦しい命式」をして立派な人物として世に活躍する人物をつくる、
…というような場合には、
双方向のコミュニケーションを定期的に積み重ねつつ、
環境に応じた宿命の活かし方を捉え、
その宿命の本領発揮に向けた「間断のない運命の改良」が望まれるものと考えます。
こうした「間断のない運命の改良」というのは、
例えば、「帝王学」として算命学が活用される場合、
つまり、算命学をもって「凡庸な人物を帝王としてつくりあげる」という場合において採用されるアプローチですが、
帝王でなくとも、
問題の多い命式の場合には、ある程度そういう「間断のない運命の改良」が望まれる、ということです。
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