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先生


小学校二年生。                              初めてのクラス替え。                                      一年生のクラスが嫌だったわけじゃないけど、すごくワクワクしていたのを覚えている。                

新しいクラスメイト、新しい担任。                        朝から落ち着かなくて、                              「○○ちゃんと同じクラスになれるかな」                        「次は男の先生かな」                                  小学校に上がって、ずっと近所に住んでいた幼馴染とはクラスは別になり、一年生の初めての担任は女性の先生だった。                    幼稚園では人見知りでなかなか自分から他の子に話しかけるのも苦手で、毎日幼稚園バスに乗るときは母に                       「やだ、行きたくない!」                            とダダをこね、なんとかバスに乗り込んでもすぐ車酔いする体質だった私は幼稚園に着くころには気持ち悪くなっていて、すぐに保健室に直行っていうことも多かった。

小学校に上がっても、入学式のあと父兄と別れて教室に入ったとたん不安になり、こっそり教室を抜け出して母を探し、すぐに見つかって帰宅後は母から怒られた。

そんな私も調子のいいもので、小学校に通いだしてしばらくすると人見知りもすっかり治り、毎日学校に行くのが楽しみに思えるくらいになった。   

二年生のクラス替えも今までのクラスメイトと離れるのは少し寂しかったけど、新しくできる友達への期待の方が大きかったし、一年生の担任の先生も優しくて大好きだったけど、幼稚園から女の先生にしか接していなかったのもあり、男の先生ってどんなんだろうみたいな興味があり、二年生の始業式はかなりソワソワしながら登校したのを覚えている。

幼馴染の子とはまたクラスは離れてしまったけど、クラスメイトで一番仲の良かった子とはまた同じクラス。                            担任の先生は・・・また女性だった。

仮にこの先生をK先生とする。                                 このK先生、かなり厳しいと有名で、同級生たちは                 「K先生以外ならいいや」                            っていう子もいるくらいで、全部で4クラスあった私たちの学年で唯一の女性担任ということもあり、わたしもまわりと同意見だった。                 なのに・・・よりによって・・・。

K先生は私の学校で一番の年配で、他のクラスの先生はとても若々しく見えたし、男子も女子も関係なく、生徒には苗字で呼び捨て方式だった。              

最初はイヤだと思っていても、だんだん慣れてくるとそうでもなくなってきた。                                   確かに怒ると怖いし、しつこい。                         

給食の牛乳パック。                                私たちの学校では飲み終わったら、みんな同じたたみ方で小さくして捨てることになっていた。                                ある日、一人だけたたまずに、飲んでそのままの状態で捨てた子がいた。                             K先生はとにかく誰がやったのかわかるまで諦めなかった。                午後の授業もホームルームにして、                              「みんな、目つぶって机に伏せて。やった人は正直に手上げなさい。」                       まずはこの方法をとったけど、誰かが目を開けてるのかもしれないと思ったのか、誰も手を上げなかったようで、これは失敗。                   次に、みんなに小さな紙を配り、                                 「まずは名前を書きなさい。そのあとに今の気持ちを短くてもいいから書くこと。」                                     給食時間が終わってからずっとピリピリしている教室内にウンザリしていた私はその紙になんて書いたかもう覚えていないが、とにかく先生が爆発するのが怖くてビクビクしていた。                             その紙を先生が集めて、中身をすべて確認している間も教室内は静まり返り、外で体育の授業をしている声や、となりのクラスの授業をする先生の声なんかがすごく遠く聞こえていたのを覚えている。                     

結果、その方法も失敗。                               その生徒は名乗り出なかった。                                      五時間目が終わり、二年生は掃除当番を除いて、みんなが下校していき、廊下はかなり騒がしくなって、                            「さすがに明日に持ち越しかな」                             と思っていたが甘かった。                                 「誰がやったかわかるまで、掃除もしないし、家にも帰れません。                         どうしてもわからなければ、警察を呼んで捜します。そうなったらみんなの指紋を調べて、その子は捕まることになります。                できればそれはしたくないです。どうしますか?」                     なんてことを言い出した。                               もちろん、今考えればそんなことで警察を呼ぶこともしなかっただろうし、ましてや全員の指紋を取られて逮捕・・なんてことはあり得ない。             しかし、子供の私たちを脅かすには十分だった。

他のクラスの子たちが掃除も終えて帰っていき、まわりがやたら静かになったころ、一人の男の子が「ごめんなさい」と静かに立ち上がった。

たぶんみんなそうだったと思うが、私は内心、                    「正直に言ってくれて助かった」                             という感じだった。                                       

その男の子は普段からちょっとやんちゃで、よくK先生からもげんこつをもらうような子だったので、                              「あ~あ、またやられるよ~」                            と少し心配になったほどで、ここまで残されて追及されたことについて、その男の子に怒りみたいなものは皆無だった。                       

K先生は、                                       「先生はもうこれでいいです。みんながいいなら、みんなで掃除して帰りましょう。」                                 と言った。                                              「なんでやったの」                                   「なんですぐ言わなかったの」                                      この手の質問も一切せず。

それでももちろん、その後牛乳パックをたたまない子は一人もいなかった。

K先生はとてもパチンコ好きで、日曜日にパチンコで勝つと、月曜日の授業中に、                                      「他のクラスの子には内緒」                        と言って、景品のお菓子を私たちに配ってくれた。                     あまり勝てなかった月曜日は、飴玉を一人2,3個ずつ。                   たくさん勝った日はキャラメルもついた。                             

そう、怒ると怖い。けどアメとムチをしっかり使い分けられるベテラン先生。

三年生の年はクラス替えがなかったので、クラスメイトも担任もそのまま持ち越し。                                   そのころには私はすっかりK先生が大好きになっていて、クラス替えがないことがありがたかった。                               まわりに「K先生のままでかわいそう」などと言われても、ぜんぜん気にならなかったし、他のクラスをうらやましいとも全く思わなかった。           

全員ではなかったかもしれないけど、少なくとも私の周りの子たちはK先生が大好きになっていて、休み時間も先生を捕まえては授業の質問をしたりするぐらいだった。                                                  

だいたいは私を含めた3,4人がまとまって先生のところに行っていたのだが、短い休み時間の中で全員の質問に丁寧に答えるのが難しいと考えた先生は、                                         「次の日曜日はパチンコ行かないから、みんなでうちに来る?」                と提案してくれた。                                    もちろん、私たちは大喜び。                                学校から先生の家までの地図を書いてもらった。                            休みの日に、ましてや先生の自宅で勉強。もうテンション上がりまくりで一緒に行く子たちとどの教科書を持って行くか、お菓子も持ってっていいかな、何時に待ち合わせる?、先生の家って大きいのかな・・、とにかく先生にすごく近くなれる気がしてうれしかった。                   

母は「本当は迷惑なんじゃないの?あんまり長居しないで勉強終わったら帰ってきなさいよ。」とあまりいい顔はしなかったけど、一応許してくれた。

そして日曜日。                                 みんなで歩いて先生の家に。まだ昼前で天気は快晴。                        「いらっしゃい。迷わなかった?」                            休みの日に見る先生は何だか特別優しく見えた。                        飲み物とかお菓子とかがテーブルに用意されていて、母からも                     「勝手に家の中ちょろりょろするんじゃないよ」                     と言われていたので、すぐにテーブルの周りをみんなで囲むように座って、なんだか何を話していいかわからなくなって早速勉強を見てもらうことにした。ゆっくり一人ずつがわかるまで丁寧に教えてくれて、いつもの授業もわかりやすかったはずだが、もっともっとわかりやすく教えてくれた。             

お昼には先生がそうめんをゆでてくれて、午前中はちょっと緊張してたのもあって、一生懸命勉強していた私たちもお昼のあとは、なかなか勉強が手につかなくなって、先生の周りで勝手におしゃべりをして、それを先生が笑ってみていて・・という風に時間が過ぎていった。                    聞くと、先生は担任の生徒が変わると私たちみたいに家に招いて勉強を教える機会が何度かあったらしい。                                だからか、私たちが家に来ることも、用意された飲み物やお菓子も、帰るまでの時間もどこか懐かしそうな、慣れてるような感じがしたのだ。               

そうか、「厳しくて怖い先生」と思われている先生を大好きな私たちと同じように、先生のことが大好きな生徒が今までもずっといて、私たちがとても特別な存在ではないんだとなぜか嬉しくもあり、ちょっと寂しくもなった。      

一部の生徒を特別扱いをしたりしない先生は、何度も私たちを家にも誘わなかったし、私たちも自然とそれを言い出さなかった。                  遠慮とか、そういうのとは違う何とも説明しがたい感情。                    

四年生になって、クラス替えがあり、K先生は常に小学年担当だったので、私たちは「先生のクラスの生徒」ではなくなった。

私の忘れられない先生。                                       巷で言うような、特別な言葉をくれたとか、私の人生を変えたとか、そんなものは何もないし、その後もっともっと迷惑かけたり、お世話になった先生はいたけど、この先生が一番私が忘れられない先生。            

                              

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