仕事ができる人とは?

前回の投稿とも絡んでの投稿です。

前職の上司から教えていただいた話でなるほどと思ったことにピーターの法則というものがある。
組織の各階層は”無能な”人間で埋め尽くされるという話だ。

ある階層で有能な人間は出世して上の階層に行く。どこかの階層で能力が発揮できなくなったらその階層に落ち着く(出世が止まる)。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。
という法則のことである。

今の社会の構造からするとその話はなるほどその通りになるなぁと思ったが、そもそもプレイヤーとして優秀な人材がマネージャになることは理にかなっていないと思う。なぜならプレイヤーとして要求される能力とマネージャとして要求される能力は別物だからだ。
本来的には成果に対する報酬としての昇格が行われるべきではなく、該当の職位で成果を発揮できると思われる人間がその職位に行くべきなのである。それなのにあたかも人の能力には普遍的な尺度があるかのように思われがちである。
社会においてスペシャリストが評価されにくくゼネラリストが求められがちであるのはそこにあると思う。スペシャリストがある得意分野で成果を発揮した場合、同様の成果を他の分野でも期待されるが、その分野はその人の得意分野ではない可能性がある。また苦手分野で成果を発揮できなかった場合に、できない社員のレッテルを貼られ、他の分野でも同様の成果しか発揮できないと思われがちである。

プロジェクト型の仕事をしているから余計にそう思うのかもしれないけれど、各プロジェクトにおいて求められる能力は異なる。プロジェクトのスコープや目的、リソース、各人のR&Rが異なるからだ。
じゃあ自分の能力を最大限に発揮できるプロジェクトやプロジェクト内のロールを選んでいる人が「仕事ができる人」なのかなぁ。私はちがうような気がする。
その人が回避したロールに適正がなくてもチャレンジして結果プロジェクトを成功に導く立役者になる人もいるだろう。そもそも個人のために仕事があるわけではなくて、仕事を完遂させるためにみんなで役割と責任を分担して進めていくものだから、その中で自分のことばかり考えている人ってなんだか違う気がする。プロジェクトのことを情熱を持って推進していこうとする人を私は尊敬する。私の中の仕事ができる人とは情熱を持った人なのかな。いや、それは必要条件であって十分条件じゃないな。

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