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案外 書かれない金継ぎの話 spinoff 2 焼継ぎという修理

スピンオフ第2回は、焼継ぎやきつぎについて。焼継ぎというのは、ざっくり説明すると壊れた器をガラスで接着する技術(または直した状態)です。ガラスで接着するのでガラス継ぎと言われることもあります。金継ぎで使う漆と違い分子レベルで結合するので、原理的に硬度も耐水・耐熱・耐薬品性も金継ぎの比ではありませんし、修理時間も恐らく焼成~冷却まで半日もあれば終了します。
しかし、現在では全く行われないだけでなく、ノウハウすら正確には伝わっていないロストテクノロジーになっています。ネットや書籍にも記されているのを読みましたが、どれも修理方法の解説が中途半端ではないかと思います。

焼継ぎ

18世紀末に京都で行われていた焼継ぎは、19世紀に入って江戸でも行われるようになり、江戸後期には「器が売れない」と瀬戸物屋が愚痴るほど焼継ぎ屋が増えて、全国的に流行ったそうです。ところが江戸末期から急激に衰退し明治期に入ると焼継ぎ屋は居なくなり技術も途絶えてしまいます。理由は、磁器ものの大量生産が始まり染付の器が安価に入手可能になったため、わざわざ修理する必要が無くなったからだと言われていますが、技術伝承が途絶えるほど衰退するというのは、価格以外の理由もあったのではないかと思ったりします。(長くなるので、そこは深堀りしません。)

さて、最初に焼継ぎ修理解説は中途半端だと書きました。焼継ぎ解説の多くは「白玉しらたま(鉛ガラスの微粉末)と糊を混ぜ、それを接着面に塗り、器を張り合わせてから焼成した」と説明されていますが、陶芸やガラス工芸をした事のある方ならば分かるように、これは技術的に無理があります。
糊は白玉が溶ける前に燃えて器を固定出来なくなりますし、白玉は溶けて液体になると窯の中で形状を保持できる粘着力は失われるので、写真のような精度で器が冷めるまで持ちこたえる事が出来ません。また、そもそも、破損面に塗って接着出来るなら表面に白玉を盛る加工をする必要がありません。

複雑な破損も精度の高い修理がされている

よって、表面に盛り上げた白玉が破片の接合として機能しているのは間違いないけれど、白玉が溶ける700℃近辺で器を固定するためには白玉以外の耐火物が使われているのではないか、と推測できます。
焼継ぎ部分を観察したところ、白玉が焼成時に発泡し接合部が露出した箇所や周辺に黒茶色の粒がある事が分かりました。

これは一体何なのか?そして気付いたのが粘土です。粘土を水で緩くしたものをドベと言いますが、おそらくドベに糊を混ぜたもので張り合わせ、そこに白玉を盛って(被覆して)から小型窯炉で加熱する。これならば形状を保ったまま、接着も可能ではないかと推測しました。
なお、粘土粒子は器の固定は可能ですが、白玉が溶ける温度域で一緒に溶ける事は無いので接着には加担しません。もし、これが正解ならば、焼継ぎした器を指で弾いた時に、素地がきちんと接着されていない独特な音がするものがある理由も納得できます。
知り合いの骨董屋さんに話をしたところ、表面のガラスを取り除いて器を外したものがあるから見るかと言われ、観察したら案の定、接着面は、素焼きの粘土粒子と表面から流れ込んだであろう鉛ガラスが混じった状態でした。

焼継ぎ品の中には黒茶色の粘土粒子が見られないもの(白く見える)もあります。通常、粘土は700℃以上で焼成するとベージュ~濃茶色になるので白いものが何かは不明ですが、おそらく粘土の質の違いによるものではないかと思います。また、外側に近い部分はドベを使い、内側は溶けた白玉が流れ込んでいるとも考えられます。この辺は個々の焼継ぎ屋の材料やテクニックの差のように思います。

接着が白い箇所は、白玉が溶けて浸透した部分

焼継ぎ屋は、修理材料と小型窯(七輪のような形状で、フイゴで酸素を送り火力を上げるタイプの窯)を担ぎ、声をかけてくれた家の軒先を借りて修理を行ったと説明されているものもありますが、これは鋳物を直す鋳掛け屋と混同したのではないかと思っています。陶磁器とガラスを接着させるためには器自体を高温に加熱する必要があります(ガラスを溶かして陶磁器に付けるだけでは接着しません)が、器1つを修理するために窯の温度をその都度上げるのは手間も時間もコストもかかります。なので焼継ぎ屋は多分、家を回って器を集め、持ち帰って修理したものを返却したか、あるいは壊れた器と似た焼継ぎ済みの器を交換して交換賃を取るというビジネスモデルだったのではないかと想像しています。焼継ぎに記入されている窯印サインは、恐らく複数の焼継ぎ屋が共同で窯を利用したために必要だったのではないかと考えています。

ちなみにドベで器を固定し、白玉で覆って焼成することは可能か試してみたら、3個試して2個は上手くいき、1つは窯出しの時に取れてしまいました。ガラスの粉末である白玉と糊を混ぜて筆で塗るのは非常に難しく、十分な量を付けらなかったのが原因ではないかと思います。もしかしたら江戸期の焼継は、白玉を乗せるのに筆ではなくイッチンという技法を用いたのかもしれません。
試しに直した物を指で弾いたら昔の焼継ぎと同じような音がしたので、恐らく焼継ぎの方法として間違えていないと思います。
なお、ドベで固定するという発想は、実を言うと本編で解説した接着用錆を思い付くルーツだったりします。

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