桂きん太郎になる

弟子入りして三ヶ月が経った頃、
京都花月の楽屋で師匠が大きな声で
「お〜い」
楽屋に行くと師匠が
「そろそろ名前をつけなあかんな」と。

「何がいい?」
突然に何がいい?と聞かれても
何か出前を取るにも悩みますよ(笑)

「勝枝はどや」
勝枝というのは師匠が事件後に
復帰する際に大師匠の
小文枝(五代目文枝)から
自分に勝つようにとつけて頂いた名前です。

「ワシがちょっと前まで名乗ってた名前や
 大きい名前やで〜」

と言われてもなんか自分には正直
似合わない名前だと思いました。
「師匠、それは縁起が悪いでしょ〜」

普通なら怒られそうな会話ですが
なんせ四分六の友達なもんで(笑)
「お〜そうかそうか」と
こんなシャレも笑って
流してくれる師匠なんです。

普通なら師匠の芸名から
1文字頂く事が多いんです。
...となると「きん」か「枝」なんですが
「枝」は先代から頂いた文字なんで
通常「枝」は使いません。
私の場合は必然的に「きん」になります。

「桂きん玉はどや」
同じ楽屋にいた
コメディNO.1の坂田利夫師匠が
「一生テレビ出られへんぞ」と
ツッコミを入れてくれます。

「桂きん大法学部」
坂田師匠「長いな〜」

いつしか名前で遊ばれて
大喜利のようになってしまいました。

「桂きんぎょというはどうでしょう?」
と自分なりにかわいい名前を言ってみたところ
「江戸に きんぎょ さんがいるわ」

色々と名前の候補が上がりましたが
「きん太郎」に落ち着きました。

桂きん太郎の○○○○○とか
桂きん太郎の○○○○○とか
横にいた坂田師匠が今やっている番組の
冠に名前をつけてアナウンスしてくれて
「ええ名前やないか〜」

そうすると師匠が楽屋に置いてあった
新聞広告の裏面にボールペンで
「桂きん太郎」と書いてくれ
「今から君は桂きん太郎や」と
芸名を頂く事が出来たのです。

今となっては記憶が定かではありませんが
1986年10月に弟子入りして三ヶ月後、
1987年の1月か2月だったと思います。
京都花月の楽屋で落語家 桂きん太郎 が
誕生した瞬間です。

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