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かにの絵

かにの絵1

「全く、なんでひどい美術館だ。」
「かにの絵を飾るなんて、倫理観にもとるどころの話ではありません。」

先ほどまでにこやかに接客していたはずのAIロボットがぎこぎこと首を回転させながら憤慨する。耳元から蒸気のような煙が吹き出す。

「ええ、全くですね。」

美術館を後にした我々は、コーヒー店のカウンターで隣合っていた。
テーブルは全面が有機物体生成装置とタッチパネルを兼備していて、操作かするとニョッキリとコーヒーが生える。これは楽しい。

「ところで、あのかにの絵のどこが倫理観にもとるのでしょうか。」

僕が聞くと、ロボットは首を傾げるような動作をした後、思い出したようにがくりと体を震わせた。

「えみら氏は西暦2000年代からの旅行者様でしたね。大変失礼致しました。」
「前の旅行者様が西暦3500年時点の方だったもので。設定を変更しておきます。」

ピロピロ、ガシャン。
ウィー、ウィー、ウィー。
大袈裟な音を立ててロボットの首が伸び縮みする。
手足がミキサーのように回転し、機体も床から浮上し出した。

「大変ですね。細かい設定の変更でいちいち身体がそうなっていては。」

「これも設定ですよ。前時代的なロボットの見た目で、可能な限り機械的な動作をして欲しいとの要望でして。」

「それもまた、大変ですね。」

ズズ、とコーヒーを啜る。
ホログラム体で触れたものは実際の肉体に味覚、嗅覚、触覚、視覚(希望があれば痛覚も)を持って再現される。
ちゃんと苦く、ちゃんと旨い。

「いえ、『彼』のいた3500年頃といえば人とロボットの境界が曖昧になり、関係性が最も複雑化していた時期でしたから。」

ウィー、ウィーン…
回転が緩やかになり、やがて止まった。
ロボットは以前の人型を模した形に戻ると、椅子に腰掛ける。

「機械と人間に明確な区別をつけたいという彼の気持ちはわかりますよ。」

「優しいですね。」

ビコーンと音を立てて立ったふだには「No」と書かれている。

「いえいえ、優しいというよりはむしろ、自己中心的です。『彼』を理解し、『彼』のために私の振る舞いを変える行いはひどく非効率的で、生物的でした。」

コツ、コツ、とロボットがタッチパネルを触ると、目の前に液体が並々と注がれたジョッキが現れた。
大きく太いフォントで「ガソリン」と書かれたラベルが貼ってある。

「我々のような無生物が生物として人権を持ったのは、たった1500年ほど前です。」
「不毛な戦乱を繰り広げ続けた我々が信じ合うために最後に提示しあったものはなんだと思います?」

ロボットから管が何本が伸び、ジョッキのガソリンに刺さった。
ゴク、ゴクと液体を飲み干すと、まるで機関車みたいに、全身から蒸気が吹き出した。

「…このような無用な振る舞いですよ。人格とは無駄の中に生まれ、また無駄を生み出す素となるものなのです。」
「以来、我々の精神回路では『自らの人間性を見出す行為』に対し、『至上の喜び』が強く結びつけられました。」

「ロボットらしく振舞うという行いがあなたの人間性を見出したというわけですね。それはたしかに楽しい。」

プシュー、プシュー、
カシャシャシャシャ、とロボットの口元、歯のような部分が振動した。
僕も笑い返す。

店内にはおどけた小人のダンスのようなジャズがかかっていた。
跳ねるようなスイングに、ロボットが肩を揺らす。

「このお店のBGMはこれまでの長い歴史の中で人類と『類人』がつくった曲の中から、我々の心境に適した曲が選択されて再生されます。」
「今流れているのは西暦2000年以前の人類が作った、いわば骨董品ですね。」

「なるほど、いいですね。」

それからしばらく、2人とも喋らなかった。
時間が空白で塗りつぶされていく。
ただ手の中のコーヒーが、ゆっくりと冷めていった。私はそれを感じながら、壁についた模様の数を数えていた。その間も相変わらず、ロボットはクネクネと調子を取って揺れ続けている。

「ああ、そういえば答えを聞き忘れていました。3500年にはなぜかにの絵が倫理観にもとっていたのでしょう。」

「ええ、それは、西暦4000年頃に発生する第7次世界大戦の理由になったのが、ある芸術家の描いた、かにの絵だったからです。」
「そうですねぇ…では、説明がてら次は『博物館』にでも参りましょうか。」

景色が変化していく。
程なくして、街並みが現れた。

「道中楽しんでこその旅路ですから。『無用な歩行』を楽しみましょう。」

ロボットが先ほどの喫茶店でかかっていた曲を口ずさみながら先導する。

私も後に続いた。

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