展覧会「絵と題名」について
ハロー。僕の初となる公立美術館での個展「絵と題名」が9/15(日)から鹿児島県枕崎市の「南溟館」で開催されます。ずっとその準備で本日、すべて作品を発送してお留守番の人たちにもあれこれお願いしているとこです。
個展は95年に東京のいくつかのお店で僕のポストカードが売られるころの初期の絵から、2024年9月、今月というか今日描いたまで全部で120点を集めました。初期の絵は画風がバラバラで恥ずかしいんですけど、愛おしくもありせっかくの機会なので初めて展示します。
そして展覧会にきてくれた人が僕がいなくても僕が自分の絵を僕が説明しているような感じにしようと思い、文章もたくさん書きました。以下の文章も展覧会に書いたものです。
絵にタイトルがつくようになったのは実は最近のことです。ラスコーの洞窟に絵が描かれた約2万年前からが絵画の歴史だとすると、絵に題名がつけられはじめたのは今から200年くらい前です。それまでは王様や貴族が娘の絵を描かかせたり、教会が聖書の場面を描かせるといった注文の絵だったのでタイトルの必要なかったのです。
それが、たとえばフランスで描かれた絵がイギリスで展示されることになり、絵を買う人が絵の区別をするために、それを扱う画商が「青い絵」などと書いてカタログに載せるようになりました。つまり画家は自分でタイトルをつけていないし、画商がつけたそれもタイトルではありませんでした。「モナリザ」や「真珠の耳飾りの少女」もダヴィンチやフェルメールはつけてませんし、みなさんが知っている有名な絵も18世紀以前のものはそうよばれているうちに定着したものです。
19世紀になるとターナーのように自分でタイトルをつける画家もでてきましたが、人につけてもらうアーティストも多くいました。絵と言葉のおもしろさでアートが生まれるようになったのは今からちょうど100年前に出されたアンドレ・ブルトンの「シュールレアリズム宣言」以降だと思います。
僕の場合は、見ただけでわかる絵の強さと、意味を知ると深い言葉の面白さと、見てくれる人の想像力で僕らしい作品を作りたいと思って表現していますが、こうした歴史を知ると、絵に題名をつけることが当たり前となっている今だからこういうことができるんだなと、この歴史の流れの一部にいることをありがたく思っています。」
そうなんです。昔のサロンなどでの絵の展示が描かれた絵を見ると、壁中に絵が飾れていてタイトルなどはありません。それが歴史とともに画商がカタログに載せるためにコメントを書き、のちにその作業が増えてきて画家本人に「画題」(タイトルではなく)を書くことを求めるようになりました。それから時代は進み、今は絵の展示にはタイトルがつくのが当たり前になり、見る人は絵よりも先にタイトルを見る人のほうが多いと思います。
世の中にいろんなアートがある中で僕は文学的アートというか、絵と言葉と見る人の想像力でそれぞれの広りのある世界を楽しんでほしいと思っています。その楽しみ方は、展覧会で実際の絵をみるとまた違うでしょうけど、ポストカードやSNSで絵と題名を頭に入れてその人の想像力で遊んでもらっても十分に楽しめます。
僕は僕なりに表現のみちを歩いてきましたが、いつでもどこでもなにかをするからには人の心の隅になにかを残したいと思っています。今回はその挑戦でJR最南端の始発駅からどこまで僕のアートが進むことができるのか楽しみでもあります。隣の駅の薩摩板敷くらいまでかもしれないんだけど、とにかくこうやって南溟館で僕の世界観を展示できることが楽しみです。ぜひみんな枕崎にきてね。
この個展で展示でされている絵は販売していません。絵に関するお問い合わせはHPで受けてくています。