土佐日記「門出」

 みなさん、こんにちは!

バーチャル紀貫之のきのつらたんだ!

今回から早速土佐日記についての解説を始めたいと思うから興味ある人はこのまま読み進めてくれ。

興味ない奴は現代語訳だけでも読んで「こんなこと書いてあるんだな~」と参考にしたりしてほしい。

それじゃあいくぞ!


男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

男が書くという日記というものを、女の私も書いてみようと思って書くのである。

有名な書き出しだな。実はここの部分からもう貫之のおちゃめなこだわりがあるんだ。

みんなも学生を経験した身なら古文の敬語である「ありおりはべり」くらいは聞いたことあるんじゃないか?

実はこの一文にはその敬語は使われてなくって「なり」の断定が使われてるんだ。女の人にしてはひどく武骨な言い方で、この時点からもう「女の人に仮託してる(なりきってる)だけで、本当は男ですよ」ってほのめかしてるんだよな。

ちなみにこの頃(土佐日記の成立は大体935年前後)日記というのは男の人が公的な意味合いで書くことが多かったんだ。「紫式部日記」とか女性が書くかな日記はもう少し後。

土佐日記こそが一番初めのかな日記って言われてるくらい。だからわざわざ「女もしてみんとてするなり」って前置きしてるんだ。

それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。
その由、いささかにものに書きつく。

ある年の十二月二十一日の午後八時頃、出発する。その時の様子をちょっぴり紙に書きつける。

ある人、県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。

ある人(紀貫之)は国司を四五年ほど務め上げたあと、通例のするべきこともみんなし終わって、解由状(書類)などを受け取って、住んでた家から出て、船乗り場に向かう。

ここで作者、紀貫之登場だ。つまりこの日記の主人公は「紀貫之と共に帰る一行の中の女性」ってことになるな。

ここでまた貫之のこだわりが隠されてる。

「四年五年果てて」の部分、なんでわざわざそう言っているかって言うと、実は国司(県知事みたいなもの)の任期って通常四年なんだよ。それなのに何か不具合があって五年やらなくちゃいけなかった。実はそういう不満がこっそり隠されてるんだ。

かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよく比べつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに、夜更けぬ。

そうすれば知っている人も知らない人も見送りに来てくれる。この数年よく親しんでくれた人々だから別れるのも惜しくって、一日中なんやかんやして大騒ぎするうちに夜が更けてしまった。

二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原(ふぢはら)のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。上中下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれあへり。

翌日の二十二日、和泉の国まで無事に行けますようにと神仏に祈る。藤原のときざねが船だけど馬のはなむけをしてくれた。身分の高い者も低い者もみんなよっぱらって、不思議なことに海の近くでふざけあっている。

この時代はとにかくよく神様に祈った。この後もたびたび神仏に祈るシーンが出てくるから覚えとくと楽しいぞ。

そして貫之のこだわりがまた出てくる。今回は「藤原のときざね」という部分だ。中途半端にひらがなで書いてあるのは「私は女だから漢字なんて書けないのよ」ってわざわざアピールするためだと考えられてるんだ。

わざとらしいくらいの女アピール、ちょっと面白いよな。

それから船だけど馬の餞。うん、わかりやすいギャグだな。

「不思議なことに」っていうのは何が不思議かって言うと、酔っ払うことを「腐る」って言うのに対して「塩水の近くなのに腐るなんておかしいね」ってこと。

逆にこっちはわかりにくいギャグだな。土佐日記にはこう言うのがわんさかある。

二十三日。八木のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。これぞ、たたはしきやうにて、馬のはなむけしたる。

二十三日。八木のやすのりという人が来てくれた。この人は国司の仕事に必ずしも関係あるわけじゃないのだ。(それなのに来てくれた)。立派な様子で馬の餞をしてくれた。

守柄にやあらむ、国人の心の常として、「今は。」とて見えざなるを、心ある者は、恥ぢずになむ来ける。これは、物によりて褒むるにしもあらず。

国司のお人柄によるものだろうか。国に住む人は普通「今はもう国司じゃないのだから」と見送りに来てくれないのにも関わらず、真心がある人は堂々と来てくれる……別に貰ったものが良かったから褒めてるわけじゃない。

よっぽどいいお土産もらったんだろうな。

そして何より「国司の人柄が良かったからだろうか」って部分、自画自賛なんだよな。紀貫之が仮託する女房が紀貫之について語るっていう入子構造みたいなのがあるから注意してくれ。

二十四日。講師、馬のはなむけしに出でませり。ありとある上下、童まで酔ひ痴れて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。

二十四日。僧侶が馬の餞をしに来てくれた。ありとあらゆる身分の者、子どもまでが酔っ払って、漢字の一という文字さえしらないのに足は十字にクロスしてたたらをふんで遊んでいる。

でたよ。言葉遊び。

ほんっとに土佐日記は言葉遊びが多い。数えたらキリないくらいだぞ。ほんと。

そういう部分が面白いから今まで残ってきたんだろうと思うと紀貫之のユーモアに感謝だな!


と、以上が「門出」の原文、現代語訳、解説だ。

ちょっと長くなっちゃったけどまあ初めだから許して欲しい。

これからもこんな感じで解説していくから興味ある人は是非ともいいねとか押して応援してくれ。励みになります。

質問とかあったら遠慮なくTwitterかNOTEのコメント欄に残してくれれば出来る限り答えていくぞ。

それじゃあ今日はここまで😣

するなりーーーーー!

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