土佐日記「大津から出発」

するなりーーーーー!

少しずつ挨拶が私の中でなじんできたな。

バーチャル紀貫之の紀つらたんだ。

毎度おなじみ土佐日記の解説記事だ。興味のある方はぜひ見て行ってほしい。

さて、実際ここから旅は本格的に始まってゆくぞ。帰り道は気まま……かと思いきや、実はそうでもないことがここでわかるから読んで確かめてみてほしい。

それじゃいくぞー!


二十七日、大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。かくあるうちに京にて生れたりし女子ここにて俄にうせにしかば、この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。

二十七日、大津から浦戸に向けて漕ぎ出す。このような中で京で生まれた女の子が赴任先で急に亡くなってしまったので、この頃の出立の準備の様子を見ても何も言わない。京に帰るのに女の子がいないことだけが悲しく恋しく思う。

実はこの赴任先にて女の子を一人亡くしていることがここで判明する。だから何を見るにつけても悲しく、女の子が恋しく思われるらしい。

ユーモアたっぷりの土佐日記の中でもこの女の子のことはなんども出てくるんだ。一冊において悲喜こもごもを味わうことができるのも土佐日記の魅力だな。

ある人々もえ堪へず。この間にある人のかきて出せる歌、
「都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり」

船に乗っている人々も悲しみをこらえることができない。その中でもある人が書きだす歌には、「都に帰るというのにどこか悲しく思えるのはもう帰ってくることのない人がいるからなのだなあ」

このある人は誰かは明かされてないが、居合わせた全員が深い悲しみに包まれていることをよく表している良い和歌の一つだな。

又、或時には、
「あるものと忘れつゝなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける」
といひける間に鹿兒の崎といふ所に守のはらからまたことひとこれかれ酒なにど持て追ひきて、磯におり居て別れ難きことをいふ。守のたちの人々の中にこの來る人々ぞ心あるやうにはいはれほのめく。

また、ある時には「てっきり居るものだと(死んでしまったことを)忘れてしまって、もういない人をどこにいるの、と聞いてしまうのは悲しいことだ」と詠んでいるうちに鹿兒の崎で新しい国司の兄弟や他の人がお酒などをもって追いかけてきて、磯で別れがたいなあなどと言ってくれた。新しい国司の館の人々の中でもこうやってきてくれる人々は真心があるようだなあと(貫之は)おっしゃっている。

貫之、新しい国司のこと嫌いか?

女の子を亡くした悲しみを詠んだかと思えば、新しい国司の兄弟のことを褒めたりもする。なかなか忙しない印象も受けるけれど、この悲しさに浸りきらずに淡々とした描写だからこそ、全体的に面白さが損なわれずに済んでいるんだと思う。

かく別れ難くいひて、かの人々の口網ももろもちにてこの海邊にて荷ひいだせる歌、
「をしと思ふ人やとまるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ」
といひてありければ、いといたく愛でゝ行く人のよめりける、
「棹させど底ひも知らぬわたつみのふかきこゝろを君に見るかな」
といふ間に楫取ものの哀も知らでおのれし酒をくらひつれば、早くいなむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば船に乘りなむとす。

こうして別れたくないなあなんて言って、見送りに来た人たちがみんなで網を持つように口をそろえてやっとのことで作り出した歌は、「名残惜しいなあと思う人がとどまってくれているのかと思って、鴨のように群れて私たちは来たのだよ」と詠めば、とても喜ばしく思って京へ帰る人が詠むには、「棹をさしてもそこが分からない大海のような深い真心をあなたたちに見たようだ」と詠んでいる間に、情緒の分からない舵取りが一人だけお酒を飲んでしまって、早く行こうとして「潮が満ちて風も吹いているぞ」と大騒ぎするものだから船に乗ろうとする。

この鴨に例えているのがなんとも牧歌的というか愛嬌があっていいよなあ。きらびやかなものに例えるのもいいけど、こういう庶民らしい可愛らしいたとえだからこそ京に帰る人の胸を打ったんだと思う。

そして返す和歌のスケールの大きいこと!

海のような深い真心、という表現が先ほどの鴨の小さな例えと相対的になっているのが今回の面白いところだな。

しかしこの時代、舵取りをしている人々に情緒はなかったらしく、雰囲気ぶち壊しに急がせるもんだからおかしくってたまらない。一人でお酒飲んじゃうとこもよろしくない。風雅な人々と舵取りといったようにここでも対比がされている。

この折にある人々折節につけて、からうたども時に似つかはしきいふ。又ある人西國なれど甲斐歌などいふ。かくうたふに、ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲もただよひぬとぞいふなる。今宵浦戸にとまる。藤原のときざね、橘のすえひら、こと人々追ひきたり。

この時に来てくれた人々はこの場に合わせて似つかわしい漢詩を吟じてくれる。またある人はここは西国なのに(東国である)甲斐の歌なんて歌ってくれる。こうやって歌っているので「舟館のチリも感動して散り、空をゆく雲も漂ってしまう」といったようだ。今晩は浦戸に泊まる。藤原のときざね、橘のすえひらや他の人々も追って見送りに来てくれた。

ここで出てくる「ふなやかた~」というのは当時の男子の嗜みである漢詩からの引用だ。場にふさわしい漢詩を引用して別れを惜しんだり喜びを表したりするのは貴族ならではだな。

二十八日、浦戸より漕ぎ出でて大湊をおふ。この間にはやくの國の守の子山口のちみね、酒よき物どももてきて船に入れたり。ゆくゆく飮みくふ。

二十八日、浦戸より漕ぎ出て大湊に向かう。この時に国司の子である山口のちみねがお酒など持ってきて船に積んでくれた。行く間に飲み食いする。

こうして大津から出発して、貫之たちはゆく先々で様々なことを体験し、考え、和歌を詠むこととなる。

次からは本格的な旅の途中についての解説を進めていくぞ!

それじゃあ!


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