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陶器を試る人へを読んで

また待ちに待った本が届く。
小野賢一郎さん陶器を試る人へ
加藤唐九郎さんのやきもの随筆の中で私が良くわからなかった人物が小野賢一郎さん。

中でも唐九郎さんに語った言葉に引っかかっていてなんなのかちょっと読んでみたいなと思った。
「ジャーナリズムは花火のようなもので、大きな音をたててはなやかに大空に開き、人をアッといわせて、驚かせ、喜ばせ、それですぐ消えなければいけない。
それがいつまでもあとを引いては、ジャーナリズムとしては価値がない。」
加藤唐九郎 やきもの随筆より引用。

自分の制作の事を考えてみるとき
私には、あとに残したい(やきものは残るし)
とか
社会に自分の作ったものが消費されたくないという気持ちがある。
自分の仕事がふわっと届く事に少しの畏れもあったりする。

消費されるために制作された作品を見ると(勝手に自分が感じてるだけですが)不思議な腹の立て方をしたりもしていた。

読んでみて楽しかった。
こんな風に作ってみようかなと素直に思った。
こんな道具作ってみたいなとも思った。
時々あらわれる俳句(小野さんは俳人でもある)は文化人からのクイズのようで特に楽しかった。

難しく考えてしまってどんどん何もできなくなってきているなとなんとなく感じていたのでこのタイミングで読めて良かった。
自分の目の前に誠実に作られたものが在り、
存在に気が付き
読んだり、見れたり、触れたりできる。
その時の(自分でも他者でも社会でも)流れを作っていくのならそれも良いなって思ったりもした。

生きている限り考え事は続く。
しかし光陰は矢の如し。
考え事ばかりして手が止まっているのは自分の本意ではない。
どちらにせよひとところにとどまってはいられない。

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