陰陽道閑話~陰陽道は何処から来て、何処へ行くのか【第1回】

この「陰陽道閑話」というのは、かつてniconicoにある「ブロマガ」で不定期に掲載しておりました研究雑記です。今までは無料で掲載しておりましたが、かねてより「ここまで書くなら有料にしてもいいのでは?」などの意見もいただいておりましたので、この際、思い切ってそうしようと思います。とりあえず初回は無料で公開します。以降は、深く書いてあるものは有料記事にさせていただきます。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

なお、この「陰陽道閑話」、時々”無料記事”も設けるかと思います。

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どうもkinosyです。

 日本史の研究者をやっております。専門は宗教史、研究テーマは「平安時代の陰陽道と陰陽師」、「”陰陽道成立論”の見直し」をメインとしております。陰陽道に関しては論文執筆はもちろんの事、ツイッターでヒソヒソとやっています。どうぞよろしくお願い申し上げ奉りまする。

 さて。先程書きましたように、趣旨は”陰陽道”というものを広く皆様に知っていただこうという啓蒙活動の場、そしてちょっとした研究発表の場にしていこうと思っておるのですが。まず第1回は・・・そもそも「陰陽道」ってなんじゃいな?という所を突っ込んでいきます。

 皆さんは陰陽道、あるいは陰陽師という言葉を聞くと何を思い出しますでしょうか。「レッツゴー!陰陽師」を思い出す人、「少年陰陽師」などのライトノベルやアニメを思い出す人もいるでしょう。その他では、夢枕獏氏の小説「陰陽師」シリーズ、あるいはそれを映画化した「陰陽師」「陰陽師Ⅱ」(東宝、監督:滝田洋二郎 主演:野村萬斎)のシリーズを真っ先に思い出す事と思います。いずれにせよ、陰陽道や陰陽師は平安の世に闇を駆け抜け、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する妖怪達を退治する・・・という姿を思い浮かべる事でしょう。

 しかし、それは幻想の世界の話でした。現実の陰陽師はいたって平凡・・・というか、地味な技術者だったのです。

 今から約十数年前、世に「陰陽師ブーム」が広がりました。たしか、私が高校1年生くらいの時でしたかね。私も陰陽道という名前は知っていたものの、そこまで詳しくは知らなかったので、正直言って件のブームで取り上げられた陰陽師の姿を「まぁ、こんな感じだったのかなぁ」という感覚で見ていたと記憶しています。
 その後、縁あって陰陽道というものに興味を持ち(興味を持つまでのエピソードなんですが、興味を持つ時って無意識的な場合が多いですよねぇ。どちらかといえば気が付いたら好きになってた的な?そんな感じ。)、大学で「そうだ、卒論には一つ陰陽道を書いてやろう」と思い立った訳です。そこから本格的な「リアルの世界」に足を踏み入れた訳です。

 「リアルの世界」、要は先行研究論文や史料によって明らかにされていた「現実の陰陽師」の姿を見る事となった訳です。そこで徐々に明らかになっていった事は・・・陰陽道というものの起源や展開状況が判然としていない、それどころか陰陽道が何処からやってきて、どうなっていったのかすらハッキリとしていないという現実でした(後に大学院に入ってから、この実情をさらに痛感する事となるのですが・・・)。

 「とりあえず、陰陽道ってどんなもの?陰陽師ってどんな人?」・・・大学ではまず初歩的な部分をテーマの主軸に置き、その上で自分なりの「発見」を研究して論文にまとめてみた訳です。タイトルは『平安時代における陰陽師の職務の本質』と題しました。
 論文の内容は、まず基礎的部分を押さえるべく先行研究整理を行って「実は陰陽道は”大陸起源説”と”日本起源説”とがあり、未だ両説ともに研究に用いられている事」「陰陽師が一体何者だったのか、諸説あってはっきりしていない事」を指摘しました。しかし、陰陽師が平安時代の貴族社会の中で重要な役目を果たしていたという事実がある以上、彼らには何らかの役割があった筈であろう、それは一体なんだったのか?・・・それを研究する内容の論文を書いたわけです。

 ザクっと結論を言えば、陰陽師は「判別者」としての役割を持っていた・・・という事です。貴族達のもとに陰陽師は足しげく通う訳ですが、そこで陰陽師が尋ねられるのは「起きている問題が国家的大事になってしまうのか、私的問題で収束するのか」という部分であったようなのです。そして、そういった判別は貴族達には出来ない訳であるから陰陽師がそれを行っていた・・・。陰陽師が貴族社会の中でその存在を保っていたのは、当時の時代では予想もつかない突発的な出来事=怪異や祟りに対して、陰陽師はその範囲・影響を明確にする役割をもっていた、と結論付けたのです。

 今見直すと、まぁ随分とお粗末な研究の仕方をしておりまして、いつかは修正加筆して世に送り出したいと思っている卒業論文なのではありますが、思えばこの時から陰陽師の実態が予想していたものと大きく異なっていたという事は感じ始めていたのです。

 その後、進路選択に際して私は大学院進学を決めて、なんとか大学院に入学しました。大学院は大学(学部生)とは異なり、”極める”場所です。不安と期待を持ってさらなる陰陽研究の深みへと足を踏み入れていく事となったのです。

しかし大学院でより深く研究を始めた事で、陰陽道研究と言うものが思っていたほど容易ではないという事を痛感し、先学諸氏の陰陽道研究が残した大きな大きな問題点と矛盾点がさらにその実態解明を容易ならざるものとしている事に気が付き、その壁にブチ当たる事になるのでした。

次回から、より具体的に言及していきたいと思います。

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