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こんな日だからこそ、書けるnoteを。

思いつきでnoteを書き始めた。
ものすごいスピードで時間は過ぎてゆき、なんとまあこの木下かりんという人間が21歳になってしまったようです。おめでとう私。

0:00を過ぎて、親しい友人や後輩、先輩が各種SNSでお祝いしてくれてほんっとうに嬉しいと同時に、私はいつも通りひなちゃんねると竹脇まりなさんのYouTubeチャンネルを見ながら申し訳程度の運動に励み、いつもと同じシャワーを浴びている。いつも通り、大好きな椎名林檎さんの音楽を聴きながら。

当たり前だが、21歳になったからといって何かが急激に変わるというわけではない。「誕生日おめでとう」という決まり文句(祝ってくれた人たち、嫌な気持ちになったらごめんなさい…)はあるものの、別に何かおめでたいことがあるというわけでもない。

だけど、なんだか特別にしたくて、私は「ありあまる富」をチョイスした。

21歳になった私は、林檎さんが歌うように、ありがたいことに「ありあまる富」を持っている。


日付が変わって真っ先に祝ってくれる人がいること。

祝ってくれる人の中には、昔からずっと仲良くしてくれている人もいて、その人が時たま気にかけてくれること。思い出してくれること。

昔からの友達とやりとりすることで思い出す今までの21年間、幸せなときも幸せじゃないときも、ごくたまに死にたくなるようなどん底メンタルなときもあったけど、なんだかんだ今周りに大好きな人たちがいて、幸せだからいっか~と思えていること。

そう思わせてくれる環境や自分の性質や感受性。

そんな幸せが何ら変わりない日常になっているけれど、その「何ら変わりないと感じている」自分の立っている環境が稀有であること。

そして、このような素晴らしい幸せに気づかせてくれる「ありあまる富」を作った椎名林檎さんの良さに気づくことができる私という存在すべても。

すべて「ありあまる富」なのだと思う。


総じて、きっと21歳の私は幸せだ。

だけど、その幸せを噛み締めるとともに、幸せに浸れる自分勝手さも、その一方で、世の中はもっと幸せで溢れさせることができるはずだとか、まだ世の中に不満があるとか、そんな自分勝手さも持ち合わせている。

どうせ自分勝手でいるなら、自分勝手でいられる勇気をもたせてくれることに感謝して、できるだけ正しく自分勝手でいたい。

そして、もちろん「ありあまる富」が幸せをつくってくれることも忘れずに。


今までに書き綴ったことは、21歳だからこその特別な抱負ではない。

いつもと「何ら変わらない」、幸せな木下かりんの頭の片隅なのだ。

ということを、誕生日に楽しみに置いておいた無印のジャージー牛乳のアイスを食べながら、書き綴っているのである。


最後に、21歳の幸せな私も、どうかよろしくお願いします。

少しでも、皆のことを幸せにできますように。


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