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あなた方の祈りを、確かに受け取る

色々あって、この年末年始は軽井沢にいる。

近くを散策しようと思いマップを眺めていると、徒歩10分ほどのところに「祈りの碑」という場所を見つけ、好奇心で訪れてみた。

近づいてみると、供花が見えた。「まさかこれは…」と驚きながら察した。

ここは6年前に連日報道されていた、夜行バスの事故現場だった。

軽井沢スキーバス転落事故 - Wikipediaによると、乗員・乗客41人中15人が死亡(運転手2人を含む)、生存者も全員が負傷したらしい。

事故の原因は明確にはわからないが、大型バスもこのルートも不慣れだった運転手がなぜかブレーキを踏まず、制限速度50kmの道を時速96kmで走り、反対車線側のガードレールを突き破ったらしい(本来なら、画像のバスのように走るはずだった)。

また、今年の10月にようやく初公判が開かれたものの、会社の社長は無罪を主張しているらしく、(罪があるかは別として)遺族の心が思いやられる。


てっきり記念碑か何かと思って来てしまったので、足を踏み入れていいものかと戸惑った。でも別に後ろめたいことは何もないので、「祈りの碑」の前まで行ってみる。

(こういう場での撮影を嫌う人もいると思うが、私は心に残すためのプロセスとして行っている。)

「祈りの碑」には、半分枯れかけている供花と、りんご2つ、飲み物が置いてあった。また、よく見てみると中央上部に13のガラスがあり、亡くなった大学生13名を表しているようだった。


書かれている文章。運転手以外の死者13人は関東の大学生。私は当時19歳だったので、同い年・同世代のようだ。いろんな偶然が重なれば、ここに私の名が刻まれていた可能性もあっただろう。

これが事故の2年後に作られた経緯を想像すると、胃がキュッとする。遺族の方々は、痛み・悲しみが癒えない中でも、前に進もうとしている。もし自分が大切な人を亡くしたとして、そこから未来の他人の不幸を食い止めるために動けるだろうか。


他にも、定期的に近所の小学生たちが千羽鶴をつくって、供えているようだ。雨風や雪にやられ、一部が散り散りになっているのが儚い。

また、亡くなった方のうち3人が通っていた法政大学の旗もあった(最初の画像に写っている)。





「祈りの碑」に来て30分ほど経って帰ろうとした時、50代くらいの男女(夫婦と思われる)とすれ違った。特に供え物などは持っておらず、普通に歩いていたが、遺族の可能性もなくはないと思った。

もしそうだとしたら、13人の死は、彼らの日常に深く深く刻み込まれているのだろう、と思った。

あの日、私のように報道をぼーっと眺めていた人の多くは、いま「そんな事故もあったな」くらいの感覚で生きていると思う。

しかし、「祈りの碑」は大災害などが起こらない限り、ここに在り続ける。遺族やその身近な人々にとって、この事故は己の人生と切っても切り離せないものである。

私もここに足を踏み入れたからには、「祈りの碑」をつくった遺族の方々の想いを受け取って、生きていきたい。


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