気がつくと、脳内に「呼吸が最小単位」という言葉が生まれていた
昨年ヴィパッサナー瞑想合宿を経験してから、「呼吸が最小単位」という言葉が自分の中に存在している。
合宿直後ではないものの、気づいた時には「呼吸が最小単位」という言葉が自分の頭に浮かぶようになった。
これはおそらく(明確な形では)誰にも話したことがなく、ネットに書いたこともない。
どうやら、自分の中で浸透しすぎて、発信するまでもないと思っていたようだ。
ここからの話は、おそらく音楽や武術、スポーツ、演劇、ヨガなど「呼吸」を重視する技術を磨いてきた人なら、感覚的にわかると思う。
改めて、呼吸は最小単位なのだ。
最小単位という言葉は、厳密には誤用だと思うが、自分の中でしっくりきている。
人が生きる上で呼吸は必要不可欠であること、気持ちを落ち着ける時にまずは呼吸に意識を向けること、スポーツなどで身体をコントロールする際にまず呼吸からリズムをつくっていくこと。
呼吸とは、そのような起点であり、最重要の土台であり、なにか崩れた時に立ち戻るポイントである。
そんな感覚を持って生きている。
人はその身一つで生きている時、必ず呼吸をしている。
食事も、睡眠も、頼れる人も、ジャーナリングも、なにかしら条件がないと活用できないが、呼吸は人が生存可能な環境にいる限り、確実な拠り所となる。
だから、何事においても、何よりもまず呼吸からいい流れをつくっていく。ここに例外はない。たとえ素潜りのような無呼吸でやる行いであっても、潜る寸前の呼吸が成否を分ける。例外はない。
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