「遥かなる我が心の熊本」

学生時代の昭和末期、南千里にあった留学生寮で宿直員のアルバイトをしていた。
タンザニアから来た「ムカやん」の思い出を記す。

伊丹から千里に到着するなり。
「ここから熊本は遠いのですか?」
「ここから西へ700kmです」
「熊本はどんな所ですか?」
「火山があり、熊本は火の国とも呼ばれます、人々は情熱的で親切です」
「おぉ!それは是非行きたい」

ムカやん、地方自治体の研修で来日したんだが、毎晩、事務所に聞きにくる。
「明日の見学コースに熊本はあるか?」
「いいえ大阪府内だけです」
「熊本に行きたいが」
「かなり遠いので休暇日でも日帰りは無理」

ある夜、ムカやんが駆け寄ってきた。
「彼女は熊本か?」
ロビーのテレビを視たら、荻野目洋子氏がダンシングヒーローを歌い踊っていた。
「She is very young! but she dances very hard」(彼女は幼いがとても激しく踊る)
「I love her, I think she is Kumamoto」(彼女が好きだ、彼女は熊本だと私は思う)
以来、ムカやんは、荻野目洋子氏がエラく気に入り、TVで視るたびウットリして「クゥマー、クーマモート」とうわごとを言っていた。

確かに、荻野目洋子氏のダンシングヒーローは、当時多かった「洋楽カバー」でも図抜けていた。
ビートにはちょっとうるさいアフリカのお兄ぃさんが惚れ込んだんだから、荻野目氏は胸を張っていい。それから30年以上たっても変わらず歌い踊っておられる件もまた、荻野目氏がいかに本物だったか、ムカやんの目も確かだった。

歌番組で荻野目洋子氏を追い続けるムカやんに、私は告げた。
「She is from Tokyo, not Kumamoto」(彼女は東京出身、熊本ちゃう)
「But, I think she is Kumamoto」(でも、彼女は熊本だと思う)
そして、ムカやんは、声をひそめて私に告げた。
「In Swahili language, Kuma means vagina, and Moto means hot, fire, burning………」
(スワヒリ語で、クマはオ○コの意、モトは熱い、火、燃える………)

ネットもない時代だったが、大阪外大生たるもの、何語専攻だろうが男子ならそれぐらいは知っていた。
だが、世界に車と電子機器を輸出していた先進国に「燃えるオ○コ」なる地名があると言う事実。
我々がオランダのスケベニンゲン村を愛でる以上に、スワヒリ語圏では可笑しいことだろう。
相手の言語的文化的バックボーン受け取り方を想像できる能力こそ(幾多の私立外大に知名度では負けていたが)阪外大の矜持である。

ムカやんが「クゥマ、クゥマモートー」。
私も唱和した「クゥマ、モートー」。

ムカやん、さらにシミジミと、タンザニアの民話?を語りだす。
「むかし、タンザニアに日本から3人の先駆者が来た。名前は、石原と(失念)と熊坂だった」
どうも技術指導の話らしい、我が財団にも関係しそうなので神妙に聞き入る。
「ダルエスサラームの空港で歓迎式典が準備された、綺麗な女の子が花束もって並ぶ」
「石原氏が自己紹介して挨拶、次に2人目、3人目が”マイネーム・イズ・クマサカ”……」
「女の子たち、花束なげすてて逃げ出してしまった、歓迎式典はブチ壊しになってな」
「実は、スワヒリ語でクマはオ○コの意味、モトは追う、追跡する、狩る、狩人………」

日本の「熊坂さん」はタンザニアに行くと「オ○コハンター」という意味になるらしい。
私の上司にも熊坂さんがいた。古きよき新聞人らしいフランクな小父さんで、いっぺんこのネタを教えてあげようと思ってる内に私が中途退職してしまい、その機会を逸した件、悔やまれる。

ある日の夕方、大学から留学生寮に出勤すると、ムカやんが居なかった。
前立腺肥大で入院してしまったとのこと。
前立腺の働き、前立腺肥大の原因などは未だ詳しく解明されていないらしいが、バイト職員たちは、果たされないムカやんの熊本への思いと関連付けて解釈していた。

♪たーんたーんたーんたーん、たったかたった たったったー たったかたった たったったー
♪ぎゃらっら ぎゃらっら ぎゃらっらっ ぎゃぎゃぎゃー
「……クゥマ、クゥマモートー」

アフリカ男のお眼鏡に適う荻野目洋子氏の激しいダンスに、ムカやんはまだ見ぬ「夢の国・熊本」を思い描いていたのだろう。荻野目氏はいい災難だが。
森村誠一氏「人間の証明」では、ホテルが夜空に描いた光輪が、麦わら帽子に見えた例もある。エトランゼの強い強い思慕は、少々のコジツケをものともしないのだ。

国内線のYS-11がキーン、ブォーンと熊本空港に着陸する、降り注ぐ南国の陽光の下、ムカやんがタラップを下りると、情熱的な熊本女性が花輪を首にかけ、ムカやんに取りついてキスの雨、鼻の下を伸ばしたムカやんが「クゥマ!モト!」………
入院しているムカやんを思い、宿直室でアホなことを考えていた。

電話が鳴って取ると、ノイズの奥に小さな小さな叫び声が聴こえた「From Tanzania!」。
ムカやんの家族が心配して寮に電話してきたようだ。
日勤者から「無言電話がよくある」との業務連絡を受けていたが、タンザニアからの超長距離通話で声が小さくて聴こえなかったのだろう。切るなよ、可哀想に。俺は外大生といっても学力ではなくBCL(短波放送聴取)趣味が過ぎて入ってきたクチなので、ノイズの奥の聴き分けはお手の物だ。
ムカやん、嫁はん、おったんか。

幸い、ムカやんはほどなく退院し、寮の自室で静養することになった。
私は勤務日に、ムカやんを部屋に見舞った。
「ムカやん頑張れ、病気が治ったら熊本に行こうぜ」とアリガチな見舞いを言えば、前立腺に悪いだろう。ベッドに横たわるムカやんに「あまり熊本を考えると、病気に悪いぞ」と言った。

ムカやんの身の回りの世話は、同じ自治体の研修生だったケニアの看護師さんが買って出てくれていた。
「幸運だったな、仲間に看護師さんがいて」
「彼女はとても親切にしてくれるんだ、でも1つだけ困ったことが」
「何が困るんだい?」
「彼女が親切に世話してくれるたび、患部が痛むんだ」
「あーほー! なに考えとんねん、このド助平が」
英語を忘れ大阪弁でツッコんだ、治らんわこの前立腺。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?