「マンスプレイニング」

国営放送「ブラタモリ」の定期放送終了に関連し。同番組を「マンスプレイニング」と評した学者がいて、twitter で論議があったらしい。

「マンスプレイニング」とは、唱える人によって、その都度、定義が変動するのだが、概ね「男が女性に、知識や正しいことを言って、マウントを取る女性差別」として使われている。

今回のタモリ氏の場合。
「女性アナウンサーも負けじと回答を披露」
「タモリ氏は年少女性の現地案内人に謙虚」
といった反論が寄せられ、タモリ氏を女性差別者に認定する試みは不発だった様子。

だが、これは告発者たちにとっても織り込み済だったろう。
著名人を槍玉にあげることで「マンスプレイニング」を広められる。ネットで俗に言う「当たり屋行為」の一種になる。
いくら世間から批判的反応しかなくても、自派内の信者には「幻滅しました、もうタモリの出ている番組は視ません」と表明し、自らの信条の証とする人は一定数いるだろう(たとえタモリ氏が老齢で引退でも)。
そして今後、タモリ氏がベンチマークとされ、同等に博識で、タモリ氏ほど擁護のない人が片っ端から「女性に対する罪」で断罪される予定だ。

女性差別と切り離す形で、こうした信者形成の手法をきっちり指摘しておく必要がある。

ついでに言うと。
博識になるには、あらゆる人に耳を傾け、あらゆることを吸収する必要がある。
だから、博識な人は、総じて対人関係でフラットだと思うよ。
良い教育を受けて選民思想に浸る人はいるだろう。だが雑学博士みたいな奴は、フラットに世を見ていないと、なかなか出来上がらない。

「マンスプレイニング」
既に「マンスプ、マンスプ」と省略形で使われていることから分かる通り「意味はよく分からないけどオマエは悪い奴」という語だ。

左翼運動、女性解放、脱原発、反差別、共産党、薬害告発、児童福祉、愛国保守………この10数年、様々な運動が、乗っ取りに遭ってきた。
信者づくりと世論操作を軸とする、宗教か代理店かどこかの政府か、正体のよく分からん連中に。
様々な運動が、外部への説得を放棄し、異変に気付いた者を信者に攻撃させ、行政やメディアに椅子を求め、破綻したらリーダーが信者を捨てて次の運動に寄生する、という形に侵食された。

これが、ネット社会に自然発生する物なのか? 政権が宗教や代理店を重用した結果なのか? 国際情勢による他国工作なのか? 
田舎の一般人である私には推測できない。ここは正直に「分からんものは分からん」と言っておく。もしここで推論を展開すると陰謀論に片足つっこむ羽目になるんだw

話を「マンスプ」に戻して。
信者集団には、独自の用語が不可欠だ。
陰謀論派の「田布施システム」「イルミナティ」「ベンゾジアゼピン」「イベルメクチン」。
トランプ派が日本進出して陰謀論派と合弁(ネット企業みたいだね)した和製アノンの「光」「闇」。
共産党が集会業者を拾い食いした「私はシャルリ」「レインボーアイコン」「ジェンダー」「LGBT」「レイシスト」「ヘイト」。
そして枚挙に暇がない、統一協会ほかの極右による「ルーピー」「カンチョクト」「ミンス」。

中央競馬の馬名は9字以下と決まっているが。日本人に心地良いとされる5音や7音のカタカナ語を用意して、集中的に流せば、頭の悪い人々がそれを連呼して、何かが分かった気になる。これは昔からある。
ユビキタス
ドットコム
ソーシャル
セカンドライフ
ヘイトスピーチ
イベルメクチン
ワークショップ
笑うな、俺は真面目な話をしているんだ。
おい、笑うんじゃない。

「マンスプ」
私が「マンスプレイニング」なる語を twitter で初めて見たのは、さる市議の投稿だった。

当選後、党勢を立て直す看板として、その童顔に需要が殺到していた。
当時は、左派が必ずフォローする垢だった私は(笑うな「当時は」と書いてるだろ)この議員からもフォローされていた。

本人は夜中に、学生の日記のような内省的な投稿を長々綴っていて、公人として如何なものかと思ったが、まぁ人気者の辛さだろうと眺めていた。ほどなくTwを休まれた。

やがてTwに戻り、客寄せパンダ活動も再開された頃。猫を信奉する左派「肉球新党」に顔を出され、手を丸めて猫ポーズを取った写真をアップされた。
これに、耳とヒゲと、球形の上唇を描き足して返信したら、猛然と非難を始められた。
「マンスプレイニング」だと。

この時、妙だなと思ったのが。
非難の対象が私だと、絶対に名指ししない。
私の名前を出せば「対女性マウント」や「性的まなざし」が無かったと露見してしまう。

二次画像趣味界では猫耳が性的関心の対象である件は私も承知していたので、それに見えないよう、リアルな猫に寄せた画像とし、球形の上唇を加筆してあった。

また当時、左派は男女を問わず皆さんが、この議員を下の名で呼んでいたが、私のみ「○○議員」と呼んでいた。

私を「若い女性に粘着するオヤヂ」に仕立てるのは、かなり難易度が高かったはずだ。

議員は、それを考慮して。
「相手が誰か」「何をされたか」を伏せて、重大な性的差別を受けたと、深夜まで連投し続けていた。

あまりにも「年齢と性別と童顔」に関心が集まっていた件、私は苦々しく見ていた。
選挙で選ばれた一人前の議員として、下の名で呼ばないなどを守ってきた私をあえて槍玉に挙げる。
恐らく、最もアイドル扱いしない者を叩くことで「いくら配慮しても加害側は無自覚に差別」という理論を提起したかったのだろうが、その手法は「かまってちゃんが泣いて同情を引く」に堕ちていた。

仕方がないので静観していた。
議員による非難も、犯人と内容を伏せている以上、盛り上がらないまま終息した。

それからだいぶ経って、議員を引退された。
引退の際、左派内でのパワハラセクハラが原因だと盛大に告発された。
議員の童顔に群がっていた左派たちは、互いに犯人だと罵りあった。
私は「私が、辞めさせた張本人ですw」と名乗り出たが、罵り合うのに忙しい左派は、相手にしてくれなかった。
(この「私が」は、上岡龍太郎師の口調で読んでいただけると、とても嬉しい)。

誰が?何をしたのか?を具体的に言わない性差別の告発。言えば差別じゃないと一蹴される。
チヤホヤされることは拒まず、チヤホヤしない年配者は、性差別として告発。

こういうトリックの際に使われる語が「マンスプレイニング」だったのだろう。

今はもっと曖昧になって、気に入らないだけで「マンスプ」になったが。

さらに月日が過ぎ、議員引退の顛末を蒸し返す左派は居なくなった。左派では身内批判が禁忌なので自然消滅する。
ただ「美人で将来有望な議員がオッサンのせいで消えた」とだけ、語り継がれるようになった。

あの議員さんは気の毒だったと思う。
あまりにも周囲がチヤホヤしすぎていた。

性的にチヤホヤしない人を逆に「女性差別」だと非難する。また差別の具体的内容を伏せて同情だけ集めようとする。若者がこうしたテクニックやワガママを与えられてしまう件も含めて、気の毒だったと思う。

「マンスプレイニング」なる概念。
「男が女性に、知識や正しいことを言ってマウントを取る女性差別」
既に男女平等が守られている、比較的知的な環境下でも、むりやり女性差別を創出し、フェミニズム運動を存続させるための詭弁ではないのか?
たとえば、ビジネスの場で、必要な職業技術を指導したとする。上手く出来なかった女性が「マンスプレイニング」と叫べば、技術の習得なしに昇進する。これではポル・ポト派時代のカンボジアだ。

「海外ではこういう理論がある」と言っても、「市民」の発達した欧米では、多様な言論がある。
現地で一般的でない物や、現地の環境に合わせた物もある。
たとえ進歩的で取り入れるべき概念であっても、日本に持ち込まれる際には「イベルメクチン」のような信者の合言葉と化す。
敗戦から80年近く経った。
いまだ「NASAが採用」式の宣伝手法を採る和製フェミニズム運動は、平塚らいてう氏や市川房枝氏に合わせる顔ないのでは?


もはや「平成レトロ」とでも呼ぶべきか。
「美人すぎる女性議員」なんて特集が、一昔前によくあった。
先ごろ1世紀を迎えた伝統政党、ここ(さえ)も数人がチヤホヤの洗礼を浴びていた。
着実に政治家として経験を積んでいった人、そうならなかった人、どちらも居る。

経験を積んでいけた側、の関係者からお話をうかがう機会があった。
外見や年齢を珍重されるストレス、足元を見失わなず仕事で成長、ことあるごとに周囲が助言し悩みを聞き、支えてきたようだ。
このへんに伝統政党の持ち味が、あった。

一枚岩の党としては、ありえないほどの対応の差があって。
部外者の私に対し、実績を積めた側は友人として、そうならなかった側は敵として、遇されていた。
誰からも謙虚に意見を聞く、のは代議政治を職業にする人に不可欠な資質なんだろう。

左派にとって「無礼で、敵かもしれない」私は、格好のリトマス紙だったようだ。
エイジズム、ルッキズムに晒された「美人議員」さん、私とさえ懇意だった人は残らず生き残り、こいつは敵だぁ!と叫んでいた人はみな消えた。
その結果を誇るつもりはない。
「知識や情報を得る」のは人間にとって大事なことだと言いたい。

「マンスプレイニング」と叫んで、指示された相手を叩く、また知識の習得を拒否する。これは、甘やかしながら信者にしていく手口にハメられているのです。

「新聞なんか読むな」どのカルトも必ず言います。代替オウンドメディアを用意さえする。
事実や社会から遮断し、人としての成長を妨げ、布教の兵隊としてのみ利用し、用済みになればポイ。
人から情報や成長を奪い、運動継続の兵士にするエセ理論が「マンスプレイニング」だと私は考えます。

もし女性差別なら「女性差別だ」と指摘すればいいのです。「差別だ」と言っても賛同が得られないと分かっている場面で騒ぎを起こすため、カタカナ語で定義をボカすテクニックが「マンスプレイニング」なんです。

最後に例文を………
あー、はいはい、もうマンスプですね。
こういうオッサン、いいかげんにしてほしいわ。
マンスプって言っても知らないでしょ。
あなたみたいなのがマンスプなんです。
分からなかったら調べてください、どうせ理解できないでしょうけど。
え、説明しろって? 
マンスプはマンスプです。あなたはマンスプ。みんなそう言います。はいブロック。

べつに、ヘイトでも反日でも発達障害でも何を入れても同じだけどなw

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