「差別用語」地名

もちろん、抗議したり変更したりする必要は全くない件、先にことわっておくが。

和歌山市に仕事で住んでいた時、経済番組じゃない方のwbs(和歌山放送)を聴いていると、ドキッとすることが多々あった。

県民的人気を誇る演歌歌手・古都清乃氏が情感たっぷりに歌い上げるスーパーのCM。
殺人のニュースさえポエムに聴こえる、赤井ゆかりアナウンサーの包み込むような声。

それらに交じって、wbs交通情報。
まぁ地方都市なんで、渋滞してもせいぜい500mなんだが、交通情報の要らない田舎ほどマメに流れるんだ。

「コビトマチ」なる地名が、和市にある。
交通集中の名所らしく、交通情報でいきなり「コビト」を連呼されると、校閲や整理経験者はドキドキする。
城下町で、下級武士「お小人衆」が住んでいた町、という知識があっても、放送局から音で「コビト」が発せられるのは、心臓に悪い。

同様の緊張感は、滋賀にもある。
県の中部と北部をつなぐ道に「朝鮮人街道」という名があって、烏丸通や河原町通のように、固有名詞として通用している。
その昔、朝鮮通信使が通ったらしい。

朝鮮は、国号としては戦後に韓国が独立するまで。だから韓国では朝鮮日報や朝鮮ホテルといった老舗が屋号に使うぐらい。
日本では、旧植民地への差別意識を表明する際に、あえて使う人が多い。「チョーセン」と片仮名で書く例もある。
また、日本の学名では「似て非なる」意味で、亜種なんかに「チョウセン○○」と付けることがあった。
学術的な地域名称として、朝鮮半島や朝鮮語もある。亡き母校・大阪外大には「朝鮮語学科」があったが、無学な右翼が「北に肩入れするとは何事か」と抗議電話かけてくることがあったという。

朝鮮語学科には、南に肩入れする教官と、北に肩入れする教官がいた。両者は顔を合わせると喧嘩するので、仲裁役の北嶋教官の研究室を中間に挟んでいた。
この仲裁役教官の研究室を通称で「パンムンジョム」と呼ぶブラックジョークがあった。その口の悪い後輩、今は某研究所で偉い人になっている。卒アル写真のネタとして「長机にマイクコードをテープで留めて向かい合え」と提案したんだが、ほんまにヤッたんやろか。

報道では、初出のみ「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」で以後は「北朝鮮」にする扱いが長らく続いていた。
パーレン(丸括弧)の中に正式名称を入れることで、非承認国として1角下げる、という微妙な処理。ノンブル(紙面上端欄外)における元号と西暦の処理が、論調によって変わるのと同様だ。
これが拉致問題以降、パーレン部なしの「北朝鮮」に移行して今に至る。日本人を誘拐しやがったんだから非承認国の立場さえ与えない、つか読者からクレーム来る、という態度だ。
報道は日本政府に縛られず、双方を記載するが、少し差を付けている、との微妙なサジ加減、学ぶ場が無くなってしまったのも事実だ。
今のように「韓国と北朝鮮」だと、かえって略称同士で対等になった気もする。
じゃ「正式名称で大韓民国と書け」とクレームが来たら、「北部アイルランドおよびグレートブリテン連合王国」が爆誕するので却下だw

抗議といえば、40年ほど前。
NHKが朝鮮語の講座を始めようとした時。
民族団体からの抗議を受け、開始が1年遅れた。
その際にNHKが「アンニョンハシムニカ・ハングル講座」との妥協策を考案(ハングルは朝鮮語特有の文字の名)。
以後、南北分断や植民地支配や在日差別といった負の歴史は、加害者側で無視しよう!って便利な飛び道具として「ハングル語」なる誤用が爆発的に普及した。
所有者に無断で言葉の意味自体を変える、正誤を多数決で決める、加害者側で和解を決める、という日本的ムラ社会における学級会主義のエッセンスが、ぎっちり詰まっている。また、取材対象に台本通りの発言を強制するNHKのヤラセ文化も「ハングルを言語名にする」に一役かっただろう。

というわけで。
「朝鮮」は、韓国になる前の歴史的な名称、いまの北の国号、日本語における学術的な地域などの名称、民族差別を行う際の侮蔑語、韓国の老舗の屋号、などの使い方がある。

これらをちゃんと使い分けられるのが、日本人として国語や歴史を習得している状態なんだが………「自分たちも朝鮮日報とかあるだろ、チョーセンと呼んで何が悪い」みたいな馬鹿が増えた。
その馬鹿たちの偉大な指導者は「キャ朝鮮」なる新語を発明し多用した一方で、韓国の新興宗教を敬っていたんだから、まったく支離滅裂。言葉の意味の使い分けそのものを否定し「一般名詞に文句つける連中」と誤解させて憎悪を煽る、外大朝鮮語科にクレーム入れる、など好き放題を行ってきた。
彼等は民族差別やるだけでなく、「日本語の表現力の豊かさ」を壊しているんだわ。

話を戻して、湖東には「その昔、隣国の使節をお迎えした道」という素敵な固有名詞「朝鮮人街道」がある。
大阪外大の近くには「ロマンチック街道」があったが、バブル時代にお洒落なカフェバーが林立したことを根拠に、府道豊中亀岡線「トヨカメ線」との通称を改めたものである。
メマイがするほど歴史の重さが違うなw
近江路の「朝鮮人街道」は、右翼左翼の我田引水な言葉狩りに屈さず、後世に残したいもんです。









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