見出し画像

紙の本

紙の本が好きだ。ページをめくるときのそこはかとない期待。指にかかるわずかばかりの紙の重み。何より見開き2ページが一瞬で視野に入り、そこだけは確実にいま把握している、という安定感がたまらない。文章は今読んでいるその字だけを見て読むわけではないのだ。

ところで年始めの総括でも書いたが、昨年の前半は特に企画に乗れないことが多かった。

企画に参加と言っても自分の場合コンテスト等にはあまり縁がなく(出しても入賞するような文章は書けないし)、近辺で見聞きした中でその時どきに「書けそう」と思ったものにこそっと出して静かに楽しむのがせいぜいである。大それた事は考えていない。けれど「あ、これはやってみたい!」と思った企画に、昨年はまったく参加できないことが多かった。

#寄せ文庫  はその最たるものだ。

猫野サラさんをはじめとしてたくさんの人々が驚くべき早さで作り上げた「ふみぐら小品」は、ふみぐら社さんのnote記事について各自が短い感想や創作(二次創作?)を書き、イラストを加え、本にしたものである。企画立ち上げの時から知っていたし、何かを書く時間は十分あったにもかかわらず、どうしても何も書けなかった。短い感想文すら書けなかった。


気の利いたことを書こうと思ってしまったのが敗因だろう。


ふみぐら社さんはフォローはしていたけれどスキを付けるくらいでお話ししたことはなかったと思う。さほど近しいわけでもない自分が何か書くからにはそれ相応の内容のあるものでなければ、と気負ってしまった。ふみぐら社さんの記事をいろいろ読んだが肝心の自分の文章が何も出てこない。そうこうしているうちに〆切が過ぎた。付け加えると、同時期に行われたたなかともこさんの#花束郵便にも何も書けなかった。

書けないけれど購入はできたのでありがたく申し込ませていただく。

届いた本はシンプルですばらしく美しい文庫だった。力のある人たちが本気になるとこのレベルのものがこんな短期間で(しかもこれだけの人数を擁して)完成するのだと舌を巻いた。すごい。すばらしい。うまく言葉が見つからない。ふみぐら社さんも喜ばれたと思うけれど、何の関係もない自分も手にとってひたひたと喜びがこみあげてきたほど。

表紙を見てなめらかな表面の手触りを感じ、栞に感動し、そして本を手に取り開いた時、文章がするすると水のように流れてきた。


えっ?


ネットで読んでいた時はこんなじゃなかった…… 読んでも読んでも表面的な字面しか追えず、稚拙な感想の言葉さえ出てこなかった。なのにどうして紙に印刷されて本になるとこんなに自由に文章の中身が自分の中に流れ込んでくるのか。

そこには宮廷料理で船を漕いだ体験に始まり、猫が雨樋に詰まったりサボテンが話しかけてきたりライオンと銭湯に行ったり、折々のおかしみとかなしみが織り混ざった不思議な世界が展開されていた。

日常なのにすぐ隣に見知らぬどこかへの入り口がポッカリ穴を開けている。落ちる落ちると思いながら当たり前のようにその穴に吸い込まれていく。一寸先は異世界。でも異世界は現実と混じり合いペーソスを伴ってなんでもない顔でそこにいる。

かと思うと見ないふりをしていた影にさりげなく正論が投げかけられていたり。どうして紙の本だとこんなに容易に飛び込んでくるのだろう。どうしてPCやスマホで読んでいると字面が目を滑るのだろう。こんなに面白い文章たちが!

ああ、これは紙の本になるべき文だったんだ、と思った。

もちろんそれは自分の感覚であって皆がそう思うわけではない。だけど同じ文字の並びが、紙の本としてあらわれると伝わる力が倍増することもあるに違いない。メディアの違い、デバイスの違い、もしかするとそれは単に自分の受け取り方なのかもしれないが。


なんて、本が届いてから半年近くたってやっと書くことができている。本当に遅い。ビジネスだったらとんだ役立たずだが、何としてもこの気持ちは残しておきたかったのでここに記すことにする。

今も買えるようです。まだの方はぜひ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?