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また日記を書いてみようかな

昨年の夏に「チコちゃんに叱られそう日記」としてひと月ほど毎日更新をしていた。単なるその日その日の記録だったけれど、書いておくと(ああ、こんなことを思っていたんだ、そうだそうだ、そんなことも)と後で改めて感じ入ることもあった。

書かなければ書かないで日は過ぎていってしまう。

ひとつひとつは小さな気づきや出来事でも、流れていけば記憶から消えて「なかったこと」になる。でも書きとめれば、時に振り返り、時に反芻して「物事に感じ入る心」が保たれるような気がする。わたしにとって日記ってそんな感じ。

というわけで、またちょっとやってみようかと思う。
毎日と決めてしまうとしんどいので、もっとゆるくして。


まあ、書く気になったのは現在、遠距離介護に来ていて日常から切り離されているというのが大きい。自宅にいると際限なくいろいろな仕事が目に付くけれど、実家とは言え別の家にいるとそれほど「あれも、これも」という気にはなれず、PCに向かう気持ちも多少出るというものだ。

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とにかく無理矢理スケジュールを空けてえっちらおっちら実家にやってきた。
ちなみに上の飛行機に乗ったわけではない。たまたま止まっていたので撮っただけ。これはポケモンのロコンだね。おばちゃんだって一番最初の151匹だけは知ってるんだ。

移動する時は本を持って行くことが多いが、本屋を見ると何か買わなければという妙な使命感があり、何冊携帯していても必ず文庫本などをさらに買ってしまう。電子書籍にすれば軽くていいってことはわかっているんだけど、やっぱり紙の本が好きだ。手触りとかページをめくる感触とか。本日はケメコ先生(北大路公子)の未読の奴をお買い上げした。2017年刊だからまだこんなマスクをするようになる前である。ケメコ先生のお父様も健在でちょっとしんみりする。

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実はケメコ先生のTwitterをフォローしているので、その後、お父様が亡くなられたことやご自身の手術のことなども聞いちゃっているから。人生っていろいろだよね。

空港は思ったほど混み合ってはいなかった。夏休みだから覚悟していったのだけれどまだお盆じゃないからかな。それでも子連れのご家族はいつもよりずっと多く、こんな中を小さい子を連れて移動するのはどんなに大変だろうと思った。あの道をわたしも通ってきた。客室乗務員さんがかまってくれて、ありがたいんだけど子どもは眠くなってきているのでちょっと放っておいてくれないかなあなんて思ったこともあったなあ。

飛行機を降りたら尋常でなく暑い。高校まではここに住んでいたのに、この暑さには本当に慣れない。でもあの頃は32度になれば「暑い日」だった。今みたいに35度とか、時には40度近くまで上がることはほとんどなかった。ムッとして高温サウナに全身を突っ込んだような熱気に温暖化がここ数十年で大きく進んでしまったことを実感する。街を移動するあいだ車窓から外を眺めると人があまり歩いていない。暑すぎて危険なんだろう。


実家父は相変わらずだった。90代だが頭はしっかり、自分で歩きタクシーにも乗り、何でも食べる。ありがたい人である。この人をひとりで置いておくのが心苦しいが、わたしだって仕事も家族もあるのでなかなか来られない。かといってわたしたちの自宅に呼び寄せると、ただでさえ少なくなった人間関係が全部切れてしまうので本人もそれは望んでいない。遠いのは本当に面倒だ。

まあ元気だ元気だと言っていても90代なのだから少しずつあちこち悪くなる。正直、明日の朝になって目が覚めない、なんて事態も絵空事ではない。耳はとても遠い。強力な補聴器を使っているが四六時中入っているわけではないので、風呂から上がった後など、近くからかなり大きな声で呼んでも聞こえない。いきおいこちらのボディランゲージも激しくなる。指さしたり、ものを見せたり、大げさに身体を動かし表情を変えたり、どうやったら伝わるか毎回がチャレンジ。頭がクリアなだけに本人もストレスだろう。

施設にいる寝たきりの母は「目しか動かない」と聞いていたけど、面会できた今日はそうでもなかった。何か言いたげに口が動く。でも、もう声は出ない。手も少しだけ動いたけれど3センチくらいかな。意思の疎通ができなくなって久しい。動かない身体に閉じ込められて何を思っているんだろう。それを考えるとせつないのでなるべく明るく接している。わたしだとわかるのだろうか。目は開くけれど脳の視神経がやられているので見えていないかもしれない。

昭和初期に生まれて戦争をくぐり抜け、高度成長時代を走って、貧乏なのに両親はわたしを学校に行かせてくれた。人よりかなり長く。性役割に関してとても伝統的な大勢の親戚からは「女の子をそんなに学校にやって」みたいな評価を受けていたけれど、おかげでいま平穏に生きていられる。ありがとう。10代の頃は何であんなに家を出たかったかなあ。とにかくこの実家を飛び出して親のいない場所に行かないと息ができないような気がしていた。あれって思春期の妄想だったんだろうか。

とりあえずおさんどんしたり残った父と会話しながら過ごす週末である。
仕事があるので月曜には帰る。それからまだ暑い季節のうちにまた来る。時間が許す限り、できるだけ来ようと思っている。


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