30 day book challenge 第23日

第23日。「暗記している本の一部」

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美とは痙攣的なものであり、さもなくば存在しまい。

「ナジャ」 アンドレ・ブルトン 現代思潮社

ハードカバーを買いました。古書店でも出回ってますが、まだ出版社から買えるみたい。日本語訳は1976年刊、わたしのこの本は1977年に出た第二刷とあります。青かった表紙の色も褪せ、中のページは茶色く変色していました。出版社は今は「現代思潮新社」という名になっています。

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ブルトンはフランスの文学者でありシュルレアリスト。「シュルレアリスム宣言」を書き、このムーブメントの頂点にいた人でした。シュルレアリスムの父なんて記載もあります。

なぜこの本を買って読んだのか全然わからないのですが、確かに一時期、わたしはシュルレアリスムに傾倒していました。推しはダリ。そしてフロイトは神。10代の頃です。前回といい今回といい、本当に厨二病だったんでしょう。でも、意識できる世界の下に無意識というわけわからない部分があり、そのちょっと怪しい、ちょっとアブナイあれこれが思わず知らず表に出てくるなんて、なんと刺激的なことか。

ダリ、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、キリコ、そういった画集を見ていって、その先にこの「ナジャ」がありました。物語は、うーん、よくわからない。ナジャは女性の名で、この本の書き手「ぼく」こと、ブルトンが夢中になる相手です。はじめの四分の一くらいは、アポリネール、エリュアール、トリスタン・ツァラなど実在の人物と「ぼく」との関わりが書かれたり、観に行った演劇の話だったり、とりとめもないのですが、それからナジャがあらわれます。

ナジャは、現実的に言えばなんというか、精神的にかなりヤバくて、錯乱したりいなくなったり、また会えたりで、最後は結局、どうも精神病院に入院させられたらしいと記述されています。で、会えなくなるんですが、それらの顛末も含めてなんだかもう全編が「呑みながら書きました」状態。誤字はないですよ。でも、「ぼく」の頭の中を流れるさまざますべてをダラダラ垂れ流しているような、そんな本です。

でもそれが好きだったの!

それまで読んできた首尾一貫したふつうの物語とあまりにも違うので新鮮だったというか。

とにかく無意識、精神分析によって出てくる何だかわからないもの、ダリ(記憶の固執とか、解剖台の上のミシンとこうもり傘とか、とんがった足の長い象さんとか)、わけわかんない不気味なものたち、そういったことがらに惹かれて惹かれて、そればっか手に取っていたです。

この本はそんな若い季節の、思い出のひとつ。

  

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