思い出たちの警告


思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない

これは、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」という歌の一節です。この一節を自分なりに考えてみました。


いやな思い出は、
朝にぼんやりした頭でシャワーを浴びているとき、
一人でお昼ご飯を静かに食べているとき、
夜に布団に入って枕に頭をうずめたとき
ふとした瞬間に現れる。

共通するのは、一人のとき。
そして、何気ないタイミング。

いい思い出は、そんな乱暴なことをしないのに
なぜ、いやな思い出はそんなことをするのか。
いやなことを思い出すと、それで頭がいっぱいになって、
あの時の後悔・恥ずかしさで消えたくなることもある。

それでも、ふいにやってくるのは、きっと忘れてはいけないからだ。
自分の無意識の警告なのかもしれない。

その後悔や恥は定期的に、私の腕をつかみ、頬をひっぱたきにやってきている。
多分、私がちゃんと進むために。

そう思えば、突然現れる思い出たちの警告を
少しは受け止められるかもしれない。

それにしても、たった一節でこれだけ考えさせるのは、言葉の強さと視線の深さがあるからなんだろうな、と改めて思った。

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