無題3

毎日、いつでも、ずっと、離れた家族のことを考える。胸が締め付けられる。自分の意思とは関係なく涙が止まらなくなる。怖くて怖くてどうしようもなくなる。足元から全てが崩れていく感覚に襲われる。あの愛しくて愛しくて、みんながみんなを愛していて、許し許されていて、温かくて、美しい空間も全てなくなってしまうのだろう。そして、それでも私たちは生きていかなければならないのだろう。愛しているのに、こんなにも愛しているのに、もうどこを探しても、いなくなってしまう。これがどういうことなのかわからない、何もわからない。断崖の淵にいるようにぞっとする。分かりたくないだけなのかもしれない。
そっと触れると、残った少ない力で一生懸命に握り返してくれる手が、痩せ切った頬の温かさが、愛情のこもった眼差しが、どうしようもなく哀しくて愛しくて切なくて苦しい。

母は、もう疲れたと言う。亡くなった祖父はまだ迎えに来てくれないと言う。早く逝きたいという。そんな母に、少しでも笑える瞬間があるから生きろなんて言えるわけがない。ささやかな幸せもすべて痛みや苦しみや絶望の前ではどうでもよくなってしまう。

生きるということがどういうことなのか、ずっと分からない。生きるとは何なのかわからない。どうして生きなければならないのか分からない。死んではいけない理由がわからない。それでも、愛する人には生きていてほしいと思う。エゴなのかもしれないけれど、生きていてほしい。

私自身も、愛する人1人も守れないならば、何もできないならば、こんなにも辛い日々を生きるくらいならば、死んだ方がマシだと何度も何度も何度も思っていたし、今でも思う。

けれど、何があっても、私たちはどうしようもなく今日を生きていかなければならない。生きていくしかない。
生きると言うことの意味なんて全くわからない。けれど、いくら願っても再び手に入らない奇跡を、喜び慈しみ悲しみ憎み諦めそうになりながらも、歯を食いしばり毎日なんとかどうにか壊れないように大切にしていく、それが生きるということなのだろうか。

今日も1日が始まる。私たちができることは、ただ今を必死に生きぬくことだけだ。何があったって生きていくしかないのだ。負けるわけにはいかない。負けやしない。

今日も愛しているよ。
私の愛する人たちも、これを読んでくれたあなたも、顔も名前もしらない誰かも。あなたの煩いが少しでも少ないように、少しでも多く笑えるように、ここに、切に、祈る。

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