「あれがしたい、これがしたい」を持ってますか?(14日目)
連続更新を途切れさせたくなくて、2日ほどテキトーなものを書きました。今日はしっかり書きたい。
やっぱテキトーすぎるとダメみたい。View数が露骨に落ちた。見られることが最終目的なわけじゃないけどやっぱ見られたら嬉しいわけで。
ところで、卒業旅行、卒業式を残して全ての行事が終わった。修論は何とかなった。1ヶ月のモラトリアムを過ごしたらいよいよ社会人だ。
この大学生活で何を得たのだろう。人脈?向上心?自立心?価値観?専門性?はたまた自分にもわかってないものか…?
なにせ、自分の現状を受け止めずぼけーっと過ごしたので、これをしたってものが無い、気がする。所謂「陰キャ」ですね。
前にも書いたけど、周りが変わってきてる。変わらないやつもいるけど、確かに変わったやつもいて。焦ってる。
結局こうなんだよね。夏休みの宿題は間際に頑張るタイプ。受験勉強も先駆けてやれなかった。自分のやる気スイッチは「危機感」であり「焦燥感」なんだよね。導火線が自分でなく「周囲」にある。とことん、意思決定をして生きてこなかった。前向きなスイッチを増設しなければ。
今まで自分が「こう」であることに気づかなかったんだけどね。漠然と「怠惰」で片付けてたけど、それだけじゃない。趣味も、勉強も、研究も、友人も、恋愛も、全ての物事が周囲に依存している。これじゃあだめだ。
だから、今は小さなことから「本当にこれをしたいのか?自分の意思か?」を自問自答している。ゲームをしたいのか、ゲームにやらされているのか。やりたくてしてるのか、やることがないから手に届くものをテキトーに選んだのか。
これを自問自答する。それはまぁ、自己意思のない人生を送っているなと再確認する。ダラダラした休日、ってやつ。25歳、幼稚園児でも出来ることが出来ていないことに気づく。昔はこんなじゃなかったはずなんだけどね。いつからこうなったんやろ。
noteをはじめた目的のひとつに「自己意思の言語化」がある。自分の意思を作る。自分の意見をはっきりと述べる。ただ書き連ねる。今はその段階。
現状、自分でもわかるほどに薄っぺらい内容を書いてるのは承知だ。これを継続した先に何があるのだろうか。それは分からないけど。
話がまとまらなくなってきた。とりあえず引越しに備えてコツコツ荷造りをしよかな。社会人まであと1ヶ月ちょい。なんやかんや楽しみです。
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