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30過ぎての反抗期。”もっとお母さんと一緒にいたかった”。

前回、ハードモードな人生として手術のことを書きました。
こういう”身体”のトラブルはわかりやすいのですが、
”メンタル面”でのダークモードって意外に大人になってから気づくよなあ、と感じます。
その一つは、わたしにとっては、母との関係。

・鍵っ子だった幼少期

わたしの家は共働きだったので、物心ついた時から
母はずーっと仕事している姿が焼き付いています。

小学生〜中学生まで鍵っ子でした。
弟がいるのですが、小学生時代は、弟と一緒に学校から帰ってきて。
ランドセル置いてすぐ近所の公園で友達と遊んだり、学校に行ってバスケしたり。


当時は、”こんなもんか”というか、あまり深く考えてなかった。
お母さんもお父さんも働いてて、
夕方は子供だけで遊んで、夕暮れにお母さんがお弁当とか
お惣菜を買ってきて、お父さんも帰ってきて、
それを食べて、寝て、また次の朝がくるっていうだけ。

大人になって大爆発、遅れてきた反抗期。

30歳過ぎた頃に、あるきっかけで、幼少期の母親との関係を見つめ直すという
めんどくさい作業をして。
まあ、いつか向き合わなきゃいけないことなんだろうなあ…とは思ってた。
ボロボロ涙を流しながら、
幼いころの記憶を呼び起こして、どんな思いだったか、
どんなふうにして欲しかったか、ノートにしこたま書いた。
その時、湧いてきた感情が怒り寂しさで。

”わたしはもっとお母さんと一緒にいたかった。”
”ずーっと寂しかった。”
”もっとたくさんコミュニケーションを取りたかった。”
”どうしてわたしを放っておいたの?”

そんな気持ちにね、30過ぎて気づいたんですよ。
もう、親元を離れて、結婚して、子供も産んだ、大人のわたしが…。
(そしてその思いを手紙して母に送りつけるというエピソードは後日。)

大人になった今だからこそ。

大人になって、自分も母親になった今だからこそ、わかることもたくさんあるのだけど。
子供を育てるって、本当に大変。手間も、体力も、お金もかかる。

なんかね、息子を見てると、自分の子供時代のことを思い出すんです。
小さかった自分が抱えてた感情とか、思いを。
その感情って、癒してもないし、綺麗に水に流せてるわけでもない、
向き合って乗り越えたわけでもなく、
ただただ、そのまま心にあり続けてて。消化できないままなんです。

続き→母と娘のむずかしい関係。Part1。



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