見出し画像

『タンポポ』から考える食と人間

画像3

どうも。ドイケンです。今回は『タンポポ』についてです。

『タンポポ』は伊丹十三監督によって1985年に公開された映画です。

「タンポポ」という題名を聞いてまず、ほとんどの人は「花?恋愛映画とか?」と思うかもしれません。が!全く違います(笑)。タンポポは主人公の女性の名前なのです(なんちゅうなまえや!)

あらすじ

未亡人タンポポの経営するラーメン店はさびれていた。そこにトラック乗りの男二人が現れる。たまたまそのラーメン店に立ち寄った二人は、そのタンポポの作るラーメンの味がいまいちだと評する。それにショックを受けたタンポポは二人においしいラーメンを作りたいと懇願。そこからトラック乗りの二人とタンポポはこのラーメン店を行列のできるラーメン店にするべく奔走することになる。。。

と、あらすじを書いたわけなのですが、これはメインストーリー。

サイドストーリー

このメインストーリーに付随する形で様々な食に関するオムニバスが繰り広げられるんです。これがおもしろい。

もともと僕は伊丹十三のエッセイが好きだったのですが、そこに表れている彼のセンスというかちょっとひねくれているユーモアが、伊丹映画には満載で面白いんです!

食材をセックスに使うカップルがいたり、フランス料理店にて重役がメニューを読めず、適当に料理やビールを選んでいる中、会社で一番下っ端のカバン持ちが完璧なコースを組んでワインまで完璧に合わせて重役達が赤面するストーリーがあったり、ホームレスの料理話などなど。。。

画像4

感じたこと

最近就活のことを考え出して思ったのが、どれだけ文明が発達しても人間の働く究極目的っていうのは「食」なんだということ。まぁ食べないと人間生きていけないですし。

稼いでいる人間は健康食、有機食材を買って食べたり、おしゃんな高級レストランでディナーをとりますよね。カップラーメン食べたり、モヤシ炒めを食べているところは想像つかない(笑)。

画像5

人間は火を使ったり調味料を使ったりして食材を楽しんで食している、唯一の生き物なんじゃないでしょうか?しかもどんだけ稼いでいる人間でも、というか稼いでいる人間ほど(?)「食」に執着する節はある気がします。

お金の話はともかくとして、その人間の食に対する「執着」をメインストーリーそして食に関するオムニバスの一風変わった映像によって、伊丹十三は表現したかったのではないでしょうか?

また、食は同時にエロチックでもあるのではないかということも気づかされる。生命維持、種の維持に直結する「食欲」と「性欲」これがないと生物は滅びる。伊丹十三は、食事とエロの関係をあからさまに強調した映像もこの映画の中で表現している。

話は飛ぶが、藤子F不二雄の異色短編集の中に「気楽に殺ろうよ」という短編漫画がある。ここにも性欲と食欲との交錯が描かれている。

画像5

この話では、主人公の男がある日を境に、性に関することは開放的、食に関することは閉鎖的な世界線に放り込まれてしまう物語である。

以下、主人公の男が気を病んでカウンセラーに赴いたときの1ページである。

画像2

まとめ

『タンポポ』は一見ストーリーのみにフォーカスを当てると、ラーメン店を繁盛させる話だと捉えられがちかもしれない。しかし僕は伊丹十三はこの作品と通じて、文明が発達してもなお「食」に執着する人間の生物として非常に根底に流れているソウルのようなものを描きたかったのだと感じた。

興味をもったら是非みてみてください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?