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これまでの自分の歩み~折れない心⑤~

「教員」になりたいという思いは持ちながらも、教員採用試験には合格できなかった私は、中堅だけど業界では大きなシェアを持っていた印刷会社の本社営業職に新卒で入社しました。

1980年後半当時パソコンが、大きな企業でようやく普及が始まりかけた時期で、NECパソコンには膨大な厚さと量のマニュアル本がセットで売られていたのですが、私の会社はそのNECパソコンのマニュアル印刷のシェアの70%ほど受注していたので「NECチーム」があったのですが、いきなり私はそのチームに配属されました。

原稿が出てくるのがギリギリ、それでも納期は短いというタイトなスケジュールでそれが一日に20~50本ぐらい新しいPCマニュアル原稿が下りてくるので、猛烈な忙しさでした。気が付くと営業車で会社に戻ると深夜の0時過ぎなんてこともザラでした。そこから他社の見積書を作成してファックスして送るなどしてると、もう朝。。。

こんな状態がバブル期においては、当たり前でした。そんな中で私も集中力が落ちていたのでしょう。ある時大失敗をしてしまいました。お客様から原稿の修正版が戻ってきて、修正箇所の文字が印刷に回すフィルムのほうで修正がされているか確認する作業があるんですが、一か所私がその修正箇所を見過ごしてしまい、そのまま印刷・製本されてしまったんです。

後日、このことがお客様に発覚し、このままでは発行できない!ということで急遽印刷と製本をし直して、三日間で約10,000部を作り直したんです。もちろん私たち会社側の負担で。当時の額で、1,000万円の負担でした。

私は上司はじめ、会社の幹部の方々からそれは叱られ、面罵もされましたが社長だけは違いました。「誰でも失敗はするものだ。この失敗が君にとってどれだけの意味合いをもたらしたか。今後の君を見ていけばこの失敗が大きな成長の種になるんじゃないか。」とだけおっしゃられて、その後も自由に営業をさせてもらえたことは私にとって、自信につながっていきました。

そして、入社4年目。新規開拓営業でもそれなりに実績を残してきた中で、教員への夢が再び膨らみ始め、仕事をしながら大学院受験を目指し始めます。これも疲れと睡魔との戦いで、最初2校受験してNG。あきらめかけたのですが何とか踏ん張って半年後に3校受験して1校合格!!

会社の周りからは会社にとどまるよう、強力な説得を受けましたが、社長だけ「さらけ出せる先生になりなさい」といわれ、気持ちよく送り出してくれました。こうして大学院2年間で修士号を得て、夢の私立高校での日本史講師になっていったのです!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。次回は高校講師編です。

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